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第十章 されど幸せな日々
96 美味しい音 朱実
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かんかんかん、と手にしたスプーンを朱音が机に打ちつける。ご機嫌だ。赤璃に口に入れてもらった粥が美味しかったらしい。自分で食べられる訳もないが、何かを持ちたがるので、小さなスプーンを朱音に渡してあるのだ。それだけで満足らしく、自分で食べたような顔をしてスプーンを振っていた。
母上が顔をしかめるのが見えたが、見えない振りをした。
「ふふ。美味しかった? 上手に食べたねえ」
赤璃にも見えているだろうが、赤璃もまた、知らん振りで朱音に声をかけていた。いつも通り。そう。私たちは、いつも通りの食事をしているだけだ。
共に食事を、と望んだ父と母が不快になったところで知ったことじゃない。これで、共に食事をとることを諦めてくれればよいのだが。
朱音は食事は好きなようで、食事の時間は割とご機嫌だから、もしかしたら、大丈夫だと言われてしまうかもしれない。
「もう一口、食べる? あーん」
「あーん」
「んー。上手」
かんかんかん。また、朱音の手のスプーンがご機嫌な音を立てた。
食事は楽しい、美味しいと知ることが大切だから、この時期の子どもには、一口食べただけで大げさに褒めてやるとよいものらしい。赤璃が子育ての先達たちに聞いて、それを実践している。
離乳食を始めた頃は、たった一口の重湯もべぇっと出してしまって心配したものだ。あまり美味しいものではないから仕方ないのか、と思ったり、こんな物も食べられなくて大丈夫なのか、と心配したりした。乳以外のものを口にしていなかった所へ、違う味覚と触感のものが口へ入ったのだから、思わず出してしまうのも当然と言えば当然なのだが、つい慌ててしまった。
この心の動きは、我が子だからだろう。どこか他所でこのような場面に出会ったら、赤子とは、こんな物もきちんと食べることができないのか、と呆れていたかもしれない。もしくは、このようになってしまうと分かっているなら、目につかないところで食べさせるべきだ、と考えていたかもしれない。
「あ。これはイマイチだったかー」
三口目。お粥でない何かが口からべぇっと出てきた。何か緑色の野菜を食べやすくとろとろにした物だったのだろう。口の周りに緑が散らばり、何ともおどろおどろしい事になっている。
「まあ……」
上がった母の声を気にすることなく、赤璃は手早く、朱音の口の周りを布巾で拭いた。
「混ぜちゃうか」
お粥の下に野菜を少し隠してスプーンですくう。
「嫌なものは嫌なんじゃないのか?」
「いや。お粥大好きだから、誤魔化されてくれるかも」
赤璃の目論見は見事に当たり、朱音は、ほんの少しだけ下に潜り込ませた野菜入りの粥を口から出しはしなかった。
自分の食事は後回しで朱音の口に食べ物を運ぶ赤璃を横目に、私は自分の食事を食べ進める。先に食べておいて、食事の済んだ朱音を預かれば、赤璃も、自分の食事をゆっくりととることができるからだ。
朱音には乳母がいるのだから乳母に預けてしまえば良いのだが、時間がある時は自分でやってみたいという赤璃に付き合ってみれば、これもなかなか悪くない。きちんと食べられるようになるまでは乳母と食事をしていて、食べ方のマナーが身についたら家族と共に食事をしろ、と急に言われるより、朱音にとってもいいだろう。
そうして、ああ、そうか、と気付かされた。
その形で食卓につかされたのが緋色だったのだ。
皇家の形。慣習。それらを踏襲せず、乳母に全てを任せない赤璃に眉をしかめる者はそれなりに居るけれども。
私が、いいと言ったのだ。私と赤璃がこれで良いと言ったのだから、これで良いのだ。
私たちと食事を共にするという事は、まだ一人で食事をすることのできない朱音とも食事を共にすることである、と、父と母に理解してもらわねばならない。
母上が顔をしかめるのが見えたが、見えない振りをした。
「ふふ。美味しかった? 上手に食べたねえ」
赤璃にも見えているだろうが、赤璃もまた、知らん振りで朱音に声をかけていた。いつも通り。そう。私たちは、いつも通りの食事をしているだけだ。
共に食事を、と望んだ父と母が不快になったところで知ったことじゃない。これで、共に食事をとることを諦めてくれればよいのだが。
朱音は食事は好きなようで、食事の時間は割とご機嫌だから、もしかしたら、大丈夫だと言われてしまうかもしれない。
「もう一口、食べる? あーん」
「あーん」
「んー。上手」
かんかんかん。また、朱音の手のスプーンがご機嫌な音を立てた。
食事は楽しい、美味しいと知ることが大切だから、この時期の子どもには、一口食べただけで大げさに褒めてやるとよいものらしい。赤璃が子育ての先達たちに聞いて、それを実践している。
離乳食を始めた頃は、たった一口の重湯もべぇっと出してしまって心配したものだ。あまり美味しいものではないから仕方ないのか、と思ったり、こんな物も食べられなくて大丈夫なのか、と心配したりした。乳以外のものを口にしていなかった所へ、違う味覚と触感のものが口へ入ったのだから、思わず出してしまうのも当然と言えば当然なのだが、つい慌ててしまった。
この心の動きは、我が子だからだろう。どこか他所でこのような場面に出会ったら、赤子とは、こんな物もきちんと食べることができないのか、と呆れていたかもしれない。もしくは、このようになってしまうと分かっているなら、目につかないところで食べさせるべきだ、と考えていたかもしれない。
「あ。これはイマイチだったかー」
三口目。お粥でない何かが口からべぇっと出てきた。何か緑色の野菜を食べやすくとろとろにした物だったのだろう。口の周りに緑が散らばり、何ともおどろおどろしい事になっている。
「まあ……」
上がった母の声を気にすることなく、赤璃は手早く、朱音の口の周りを布巾で拭いた。
「混ぜちゃうか」
お粥の下に野菜を少し隠してスプーンですくう。
「嫌なものは嫌なんじゃないのか?」
「いや。お粥大好きだから、誤魔化されてくれるかも」
赤璃の目論見は見事に当たり、朱音は、ほんの少しだけ下に潜り込ませた野菜入りの粥を口から出しはしなかった。
自分の食事は後回しで朱音の口に食べ物を運ぶ赤璃を横目に、私は自分の食事を食べ進める。先に食べておいて、食事の済んだ朱音を預かれば、赤璃も、自分の食事をゆっくりととることができるからだ。
朱音には乳母がいるのだから乳母に預けてしまえば良いのだが、時間がある時は自分でやってみたいという赤璃に付き合ってみれば、これもなかなか悪くない。きちんと食べられるようになるまでは乳母と食事をしていて、食べ方のマナーが身についたら家族と共に食事をしろ、と急に言われるより、朱音にとってもいいだろう。
そうして、ああ、そうか、と気付かされた。
その形で食卓につかされたのが緋色だったのだ。
皇家の形。慣習。それらを踏襲せず、乳母に全てを任せない赤璃に眉をしかめる者はそれなりに居るけれども。
私が、いいと言ったのだ。私と赤璃がこれで良いと言ったのだから、これで良いのだ。
私たちと食事を共にするという事は、まだ一人で食事をすることのできない朱音とも食事を共にすることである、と、父と母に理解してもらわねばならない。
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