1,303 / 1,321
第十章 されど幸せな日々
94 すまない 朱実
しおりを挟む
「どうして緋色さんはいないの?」
夕食時、母は考えていた通りの反応を見せた。
「私は、緋色さんの要望通りに誓約書を書いたのよ。そうしたら、食事を共にできるのでしょう?」
「いいえ、母上。緋色は、誓約書を書いてくれたなら、共に食事をとることを考えると言ったのです。誓約書を書いて、母上から、食事を共にしませんか、と招待をして、緋色から、お伺いします、と返事が来てはじめて、母上と緋色は食卓を共にできるのですよ。本日は、招待もしていないでしょう? 緋色は、招待もされていない皇城の食卓へ押しかけるような粗忽者ではありません」
「おかしな事を言うのね、朱実さん。家族で食事をするのは、当たり前のことだわ」
「お忘れですか? 緋色は、すでに自分の家を持ち、そちらで生活をしています。わざわざこちらへ来る理由がありません」
母は、むっと口を尖らせた。緋色の家がすでにここでは無いことは、納得済みのようだ。
「私、知っているのよ。緋色さんは、お仕事でこちらに来ているのでしょう?」
「そういう日もあります。家で仕事をしている日の方が多いですが」
「ほら。来ているじゃない」
「そういう日でも、緋色は、昼食も家に食べに帰りますよ。成人と共に食べたいのでしょう」
「あら。成人ちゃんならいつでも一緒に来たらいいのよ。緋色さんは成人ちゃんがいると、たくさん話したり笑ったりしてくれるでしょう? 楽しくていいわ。そうだ。まずは成人ちゃんを呼びましょう。緋色さんは、成人ちゃんの居る場所には必ず来てくれるわ」
はあ、とため息をこぼしそうになって堪える。それでは、まるで人質だ。身分的には断れない成人に誘いをかけて、緋色をおびき出すなんて。
「成人は、まだまだ食べられるものが限られていますから、それらをよく分かっている家の料理人が作った料理の方が安心でしょう。緋色のいない場所へ呼んで食事をした成人が体調を崩すような事があれば、緋色はもう二度と、皇城へは足を運んでくれなくなりますよ」
皇城へ来ないだけで済めばいいが。
「やあね、朱実さん。そんなこと、ある訳ないじゃない」
「母上。有り得ない、なんてことは有り得ないんです」
母は口を尖らせたまま、きゅうっと眉間に皺を寄せた。ひどく、幼い顔に見えた。
「あなたはいつもそう。ああ言えばこう言う」
「正しいことを述べているだけなのですがね」
「朱実」
父がようやく口を挟む。
「母上には優しい言葉遣いをしろ、と常々言っていたはずだが」
「ええ、父上。私は、私のできる精一杯で優しく話しているつもりです。これで駄目なら、もう母上とは口がきけない」
「朱実!」
「父上。あまり大きな声を出すと、母上が怯えられるのではありませんか」
「む。あ、いや、雫石、これは」
胸を押さえる母の背を、父が優しくさする。
「すまない。大きな声を出してしまったな」
「いいえ。必要なことだったのでしょう? 大丈夫よ」
「父上。お気づきですか? 母上のこの状態では、とても朱音とは共にいることはできない、と」
落ち着いてきた状態、でこれだ。これだったのだ。母は、朱音となんら変わらない状態だった。急に泣き出したり、機嫌が良くなったりすることがあり、大きな音や声、動きに怯える。
急に泣き出すことのある赤ん坊と共にいる事など、症状の酷かった母上にはとても無理だっただろう。緋色は、周りの手によって母から離されて育てられ、母の症状が落ち着いたと見れば気まぐれに呼ばれた。ふと、会いたくなった母に呼ばれて。幼い緋色から見れば母は、よく知らない者だ。幼子が、気を使って話すことなどできるだろうか。いや、きっと緋色は頑張っただろう。だが、母上の感じ方一つで、その頑張りは無にされた。そしてまた、混乱状態になった母から引き離されて。
緋色の所為で症状が酷くなった、と言われた。周りで母を守る者たちに。
ああ。
すまない、緋色。
長い間、本当にすまなかった。
夕食時、母は考えていた通りの反応を見せた。
「私は、緋色さんの要望通りに誓約書を書いたのよ。そうしたら、食事を共にできるのでしょう?」
「いいえ、母上。緋色は、誓約書を書いてくれたなら、共に食事をとることを考えると言ったのです。誓約書を書いて、母上から、食事を共にしませんか、と招待をして、緋色から、お伺いします、と返事が来てはじめて、母上と緋色は食卓を共にできるのですよ。本日は、招待もしていないでしょう? 緋色は、招待もされていない皇城の食卓へ押しかけるような粗忽者ではありません」
「おかしな事を言うのね、朱実さん。家族で食事をするのは、当たり前のことだわ」
「お忘れですか? 緋色は、すでに自分の家を持ち、そちらで生活をしています。わざわざこちらへ来る理由がありません」
母は、むっと口を尖らせた。緋色の家がすでにここでは無いことは、納得済みのようだ。
「私、知っているのよ。緋色さんは、お仕事でこちらに来ているのでしょう?」
「そういう日もあります。家で仕事をしている日の方が多いですが」
「ほら。来ているじゃない」
「そういう日でも、緋色は、昼食も家に食べに帰りますよ。成人と共に食べたいのでしょう」
「あら。成人ちゃんならいつでも一緒に来たらいいのよ。緋色さんは成人ちゃんがいると、たくさん話したり笑ったりしてくれるでしょう? 楽しくていいわ。そうだ。まずは成人ちゃんを呼びましょう。緋色さんは、成人ちゃんの居る場所には必ず来てくれるわ」
はあ、とため息をこぼしそうになって堪える。それでは、まるで人質だ。身分的には断れない成人に誘いをかけて、緋色をおびき出すなんて。
「成人は、まだまだ食べられるものが限られていますから、それらをよく分かっている家の料理人が作った料理の方が安心でしょう。緋色のいない場所へ呼んで食事をした成人が体調を崩すような事があれば、緋色はもう二度と、皇城へは足を運んでくれなくなりますよ」
皇城へ来ないだけで済めばいいが。
「やあね、朱実さん。そんなこと、ある訳ないじゃない」
「母上。有り得ない、なんてことは有り得ないんです」
母は口を尖らせたまま、きゅうっと眉間に皺を寄せた。ひどく、幼い顔に見えた。
「あなたはいつもそう。ああ言えばこう言う」
「正しいことを述べているだけなのですがね」
「朱実」
父がようやく口を挟む。
「母上には優しい言葉遣いをしろ、と常々言っていたはずだが」
「ええ、父上。私は、私のできる精一杯で優しく話しているつもりです。これで駄目なら、もう母上とは口がきけない」
「朱実!」
「父上。あまり大きな声を出すと、母上が怯えられるのではありませんか」
「む。あ、いや、雫石、これは」
胸を押さえる母の背を、父が優しくさする。
「すまない。大きな声を出してしまったな」
「いいえ。必要なことだったのでしょう? 大丈夫よ」
「父上。お気づきですか? 母上のこの状態では、とても朱音とは共にいることはできない、と」
落ち着いてきた状態、でこれだ。これだったのだ。母は、朱音となんら変わらない状態だった。急に泣き出したり、機嫌が良くなったりすることがあり、大きな音や声、動きに怯える。
急に泣き出すことのある赤ん坊と共にいる事など、症状の酷かった母上にはとても無理だっただろう。緋色は、周りの手によって母から離されて育てられ、母の症状が落ち着いたと見れば気まぐれに呼ばれた。ふと、会いたくなった母に呼ばれて。幼い緋色から見れば母は、よく知らない者だ。幼子が、気を使って話すことなどできるだろうか。いや、きっと緋色は頑張っただろう。だが、母上の感じ方一つで、その頑張りは無にされた。そしてまた、混乱状態になった母から引き離されて。
緋色の所為で症状が酷くなった、と言われた。周りで母を守る者たちに。
ああ。
すまない、緋色。
長い間、本当にすまなかった。
1,365
お気に入りに追加
5,083
あなたにおすすめの小説
【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺
福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。
目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。
でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい…
……あれ…?
…やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ…
前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。
1万2000字前後です。
攻めのキャラがブレるし若干変態です。
無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形)
おまけ完結済み
愛されない皇妃~最強の母になります!~
椿蛍
ファンタジー
愛されない皇妃『ユリアナ』
やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。
夫も子どもも――そして、皇妃の地位。
最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。
けれど、そこからが問題だ。
皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。
そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど……
皇帝一家を倒した大魔女。
大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!?
※表紙は作成者様からお借りしてます。
※他サイト様に掲載しております。
魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました
タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。
クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。
死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。
「ここは天国ではなく魔界です」
天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。
「至上様、私に接吻を」
「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」
何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?
美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました
SEKISUI
BL
ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた
見た目は勝ち組
中身は社畜
斜めな思考の持ち主
なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う
そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される
転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!
音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに!
え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!!
調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。
普段「はい」しか言わない僕は、そばに人がいると怖いのに、元マスターが迫ってきて弄ばれている
迷路を跳ぶ狐
BL
全105話*六月十一日に完結する予定です。
読んでいただき、エールやお気に入り、しおりなど、ありがとうございました(*≧∀≦*)
魔法の名手が生み出した失敗作と言われていた僕の処分は、ある日突然決まった。これから捨てられる城に置き去りにされるらしい。
ずっと前から廃棄処分は決まっていたし、殺されるかと思っていたのに、そうならなかったのはよかったんだけど、なぜか僕を嫌っていたはずのマスターまでその城に残っている。
それだけならよかったんだけど、ずっとついてくる。たまにちょっと怖い。
それだけならよかったんだけど、なんだか距離が近い気がする。
勘弁してほしい。
僕は、この人と話すのが、ものすごく怖いんだ。
十二年付き合った彼氏を人気清純派アイドルに盗られて絶望してたら、幼馴染のポンコツ御曹司に溺愛されたので、奴らを見返してやりたいと思います
塔原 槇
BL
会社員、兎山俊太郎(とやま しゅんたろう)はある日、「やっぱり女の子が好きだわ」と言われ別れを切り出される。彼氏の売れないバンドマン、熊井雄介(くまい ゆうすけ)は人気上昇中の清純派アイドル、桃澤久留美(ももざわ くるみ)と付き合うのだと言う。ショックの中で俊太郎が出社すると、幼馴染の有栖川麗音(ありすがわ れおん)が中途採用で入社してきて……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる