【完結】人形と皇子

かずえ

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第十章 されど幸せな日々

48 分かりあえない(後)  西賀国役人

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「皿にのっとる、いうことはそれは食べ物なんやろ」

 お互いにしばらく沈黙した後、口を開いた男が言うたのは、ありがとう、でも、お願いします、でも無かった。
 どんな生き方をしてきたらこうなるのか、これらの言葉に込められとる意味を知らんのやろな、多分。ありがとう、と、お願いします、を使わんでも生きてこられるのがどんな世界なんか想像もつかんけど、あんまり居心地のよいもんではない気ぃがした。……知らんけど。
 まあ、分からん人間に無理やり言わしても何の意味もないので諦める事とする。

「握り飯や。欲しいんか?」
「当たり前や。わしが腹を空かせとるんやから、はよ渡さんか。腹を空かせる前に持ってこんとはなんという職務怠慢や」

 誰も、そんな職務を引き受けてはおらんのやが。もはや返事をする気にもなれず、どうぞ、と皿を男の目の前に差し出した。ぽかん、と見ているので、埃よけに掛けていたラップフィルムも外してやる。ラップフィルムごと食べかねん、と思ったんやけど、外してもまだ手は伸びてこない。

「箸は?」

 そうきたか。

「握り飯やで? 手で持って食べたらええやん」
「このような、下賎の者の食べ物の食べ方など知らん」
「あー、うーん。まあ、城で暮らしとったら、あんまり食べる機会はないんかもな、西賀うち以外は」

 領主家の者が、手弁当持って自ら獣討伐に出たりせんよな、多分。

「だいたいなんや、この、大きく固めた白飯だけという訳の分からん食事は。おかずや汁物は? 香の物は?」
「いらんのなら食べんでもええ」

 皿を目の前から下げようとすると、男はようやく手を伸ばしてきた。

「せっかく持ってきたんや。食べたる。そやけど、次もこんな風ならお前はクビや」

 ああ、理解した。
 この男にとっては、周りにいる全ての者にかしずかれるのが当たり前。そう生きてきた。それ以外を知らん。何もかもを、してもろて当然なんや。衣類や食べ物を準備してもらうことも、身を整えることも。
 隣国が荒れとる、とは聞かなんだから、それなりに執務はこなしとったんやろけど。生きるために大切なことを何も教えられとらんのやな。
 それはそれで哀れや。だって、それではこの先……。

「あんた、放免されたって聞いたんやけど、これからどうするんや?」

 何だか、おかしいくらい上品に握り飯を食べる男に聞く。
 美味しいやろ? 空腹は、食べ物を美味しくする一番の調味料や、って聞いたことあるで。そう考えたら、その握り飯は、あんたにとって人生で一番美味しい食べ物になっとんちゃうか。

「どうする、って、そんなことも分からんのか。まずは風呂やろ。臭うてかなわん」

 確かに臭い。

「風呂、ねえ。どこで?」
「馬鹿者。わしが知るか」
「ふーん」
「なんや」
「例えば、風呂屋に行って風呂に入るとして、入るんに金がいるんやけど。あんた、金はあるんか?」
「金? 風呂に入るんに? あんなもん、湯を張れば入れるやろ」
「どこに、湯を張ればあんたが入れる風呂があるんや? 少なくとも、この小屋にはないで?」
「これを食べ終わるまで待て」
「え?」
「食べ終えたら行く」
「風呂に?」
「当たり前やろ。いちいち言わな分からんのか、お前は。ほんま、使えんな」

 はは、と思わず笑ってしもた。
 これは、あかん。
 この男に、生活のすべを教えて一人で金を稼ぎ暮らせるようにするんは、無理や。
 かと言うて、このままここに置いておいたらすぐに事切れてしまうやろ。
 それでは、放免と言いながらも、考える時間をやろうと屋根のある場所を準備した千代ちよさまが気に病まれる。
 事切れてくれるにしても、誰も気に病まんように事切れてくれんと困る。
 うん。これは、俺の出番やな。
 もともと俺の表仕事やったんやから、ちょっと様子を見に行って世話を焼いた、いうたら誰もおかしいとは思わんやろ。

「分かった。まあ、付き合うたる」

 人生で一番美味しい握り飯も食うたことやし、人生最後に風呂屋体験もしとくか?
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