人形と皇子

かずえ

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第九章 礼儀を知る人知らない人

46 ただ、それだけ  源之進

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 確たることは何も分からないまま、許せる筈がない、とその言葉だけが頭の中をぐるぐる回る。おみの傍で償う? 冗談ではない。何でこの男はそんなことが言える? 何でおみはそれを受け入れとる? 弟やから? 半分なりとも血が繋がっとるからか? おみは優しすぎる。優しすぎてあかん。その男は、おみが受ける筈やった全てを奪っとった男や。全部返してもらうことなんて、一生かかったってできるもんやない。この男が九鬼の跡取りになる為に、おみは命すら奪われかけとった。例えば、今更代わりにその命を差し出されても、おみには何も返ってはこない。
 そんくらい長い間、お前は。
 何で? とそればかりが頭を回る。
 それに……。九条てなんや。
 何で? また、何で? が頭を巡る。何でお前が皇国の九家の跡取りなんや。あんなに苦労したおみが、料理人として朝から晩まで働いて、お前はまた、ええとこの跡取り? ふざけとる。
 けど、この男に笑いかけるおみの前で、頭の中に回るそれらを口に出せる訳もない。
 何を言うこともできず、三郎さぶろうと名乗る男の、下げたままの頭を見つめ続けた。

「こりゃ、三郎さぶろう。目出度い席で何しとる」

 先ほど挨拶をした九条の先代当主が、男の隣に現れてその頭を上げさせた。男の肩を抱いて、目の前に共に腰を下ろす。低いとはいえ椅子に座った俺が、九条の二人を軽く見下ろす形になった。

「源さん。うちの孫が、すみませんな」
「いえ……」

 孫。では本当に?
 何故、この男ばかりが。
 半助はんすけに肩を抱かれたおみも、近くに腰を下ろした。眉が下がって、情けない顔になっとる。
 いっそ……。
 いっそただ、九条くじょう三郎さぶろうとだけ名乗ってくれたら良かった。俺はたぶん、気付かんかったやろうに。
 短い髪。九鬼の特徴を少しも持たん顔付き。
 俺はたぶん、気付かんかった。

「この子は、少々融通が効かんところがあるが、何にでも真剣に取り組む真面目な子でな。その上、礼儀やら何やら、そういった所作が完璧なんじゃ」
「……」

 礼儀やら何やら……。そういう風に育てられんと、なかなか身に付かへんもの……。おみは持たない、何か。

「うちは、息子二人が医師なものでな。政治的な仕事はからきしで。婿も少々体が弱いから、御前会議に出席するのが難しかった。九条家はもう取り潰しで結構、と言っていた所に授かり物じゃ」

 この家の皆が承知の上、とそういう事か。皇家も。
 ……殿も。
 瞬きしかできない俺に構わず、九条の先代当主は、言葉を続ける。の肩に置いた手が、あやす様にぽん、ぽんと動いていた。

「書類仕事が大の得意じゃから、書類仕事の苦手な緋色ひいろ殿下が大層助かっていると、常々言っておられる。自慢の孫なんじゃ」
「な、るほど……」

 絞り出した声は、ひどく掠れていた。

「すまんが、わしは、昔のこの子を知らん」
「……」
「ただ、今のこの子はこうだと、それだけじゃ」

 今のこの子。 
 俯き、身を縮める男。短い髪。九鬼の特徴を少しも持たん顔付き。
 以前のその子も今のその子も、俺は知らん。どんな子かどんな顔かも、何にも知らんかった。敵の旗印。ただそれだけ。
 なら、何も言うことはできはしない。ただ、今は許せもしない。
 できることは、全てを飲み込み、ただ頷くだけ。
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