【完結】人形と皇子

かずえ

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第八章 郷に入っては郷に従え

150 嫌いじゃない  緋色

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緋色ひいろの食べ方は、とても綺麗」

 知ってる。

緋色ひいろと食べるご飯は一番美味しい」

 だろうな。

「俺は、明日も明後日もその次もその次も、ずうっと緋色ひいろとご飯食べる」

 当たり前だ。
 胸の内では返事をしているのに、言葉が出てこない。だが、返事がないことに構わず、成人なるひとは俺の腕の中で一生懸命しゃべり続けていた。
 なんだ。慰めてくれているのか。先ほどのあのやり取りの意味も、よく分かっていないだろうに。
 ……いや。分かっているのかもな。賢くて勤勉で優しい俺の唯一。俺の拠り所。お前は何だって分かっていて、俺が一番欲しいものをくれるんだ。
 少しだけ頭が冷えて、歩く速度を落とした。頑張って話しかけてくれる成人なるひとが、舌を噛んではいけない。
 どうせ誰も追いかけては来ない。悪いのは、俺だから。場を乱し、病気の母上を慮れなかった俺が戻って頭を下げるのが筋だと、誰もが思っていることだろう。俺もそう思う。

「俺は、お洋服とかどうでもよくて」

 ああ。うん。

「でも、場所はどこでもよくなくて、やっぱりおうちがよくて」

 お前も?
 お前はあの場所に、何か思うところがある訳じゃない。あそこで食べてもいいんじゃないのか。

「おうちの方が緋色ひいろがいっぱい笑うから、おうちがいい」

 は?俺?俺のため?
 馬鹿だな。俺のことなんて、どうでもいいのに。

「俺は、緋色ひいろが好きな場所が好き」

 そうか。

緋色ひいろの好きなものが好き」

 甘いものは好きじゃない。

「あ。アイスクリームは、緋色ひいろが好きじゃなくても好きだけど。うーん。でも、緋色ひいろが食べるなって言ったら食べない」
「ばーか」

 ようやく口にした声は、ひどく掠れて震えていた。
 お前から、甘いものを取り上げたりするわけがないだろ。
 続けたかった言葉は胸の内に沈んでいく。
 口を開かないといけない。ばかの一言で止まれば、ただの悪態じゃないか。けれど、これ以上口を開けば不本意なものまでこぼれ落ちてしまう。冗談じゃない。
 だいたい俺にそんな権利はないのだ。それは、俺に傷付けられた母上が流すもの。言葉は棘のように刺さって、母上は俺の所為で不調を起こす。ただ共に飯を食って、ごちそうさまと帰ってくれば済んだってのに、つい口が滑った。何でだろうな。今まで上手くやってきたのに。適当に、ごくたまに食事に付き合って適当に返事して。それで皆満足だった。皆、幸せだった。
 成人なるひとの様子は変わらない。ちゃんと腕の中におさまって、すりと頬を寄せてくる。自分で歩くって言わないのか。言わないんだろうな。俺が、お前を腕から出したくないと、気付いているから。

緋色ひいろは優しい」

 おかしな事を言う。
 優しいってのは、お前のことを言うんだ。優しさとは対極の人間だぞ、俺は。

「いつも、優しい。人に優しい」
「優しくない」
「……そうかも」

 だろ?
 よく考えろ。俺は、優しくない。優しくなどなれない。

緋色ひいろは、緋色ひいろに優しくない。緋色ひいろは、もっと緋色ひいろに優しくないと駄目」
「は?」

 成人なるひとは、ものすごく納得したように、うんうんと頷いた。

緋色ひいろ緋色ひいろに優しくできるようになるまで、俺がいっぱい緋色ひいろに優しくしよう」

 そうしよう、と深く決意した様子で、成人なるひとはやはりうんうんと頷いた。

「なんだそりゃ」
「あ、違う」
「は?」
緋色ひいろ緋色ひいろに優しくできるようになっても、俺はずっと緋色ひいろに優しくする。だって、緋色ひいろが大事だし大好きだから」

 なんだそりゃ。大事で大好きなもんには優しくすんのか。ずっと優しくすんのか。それじゃまるで、俺は俺のこと……。
 おかしいな。俺は俺のこと、嫌いじゃないはずなんだが。
 喉の奥に、引っかかるものが湧いてくる。
 本当に、俺は俺のこと、嫌いじゃないんだ。本当だ。
 こちらをじっと見る成人なるひとの頭を抱え込んで自分に押しつけ、力を込めた。
 少しだけ、目をつぶっててくれ。少し。ほんの少しだけ。
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