人形と皇子

かずえ

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第八章 郷に入っては郷に従え

64 その人は  村次

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 男は、頭を一つ下げるとそのまま踵を返してしまった。

「え?あ、ちょっ待っ……」

 待ってくれ。俺は、壱臣いちおみさんからあなたへの伝言を預かっている。
 なあ村次むらつぐくん。もし、もし九鬼のお城の厨房に行ってな。もしもやで?もしも、うちの師匠に会えたなら……。

「すみません。俺、あの方に飾り切りを習ってきてもいいですか?」

 棟太郎とうたろうさんと話している師匠に声をかけたが、こちらも重要な話の最中で聞こえていない。

「すみません、棟太郎とうたろうさん。このお茶は、うちのあるじたちには出さねえでもらうことはできますか?」
「あ。お口に合いませんか。うちの国のおもてなしの茶なんですけど、まあ、好みは分かれます。苦味が強いですよね」
「いやあ、この茶菓子と大変によく合って美味しいんですけどね。申し訳ねえけど、緋色ひいろ殿下は甘い菓子を好まれねえんですよ。このお茶だけだと苦味ばかりが勝るんで、美味しく感じられねえと思います。なるぼ……成人なるひとさま、あー、いや殿下は、濃い味が苦手で。小さいですしね。この苦味の良さは、まだまだ分からねえでしょう。菓子は喜びます。絶対ぜってぇ、口に合うと断言できる」

 師匠……。小さいって。成人なるひと、俺より年上なんだけど……。

「色々注文付けて、申し訳ないです」
「いえいえ。もともと、成人なるひと殿下の食に特別な配慮が必要な事はお聞きしとります。更に詳しう教えてもらえて、有り難いです。ついでに少々、色んな品の味を見てもろてもええですか?」
「よろしいんですか?是非」

 おお。流石は師匠。より成人なるひとの好みの料理が並ぶなら、緋色ひいろ殿下の公式訪問は、大成功間違いなしだ。成人なるひとの機嫌が良ければ、緋色ひいろ殿下の機嫌も良くなるからな。

「あの。俺はあの方の所にいる、と師匠に伝えておいてもらえますか?」

 まだ近くにいた年嵩の料理人に声をかけると、俺の示した先を見て、ああ、と頷いた。

源之進げんのしんさんか。あの人の飾り切りの腕は見事やから、ようよう見せてもらうとええよ」
「はい。ありがとうございます」
「以前からの、うちらが来る前からの城の料理人さんなんやけどな。下っ端の使用人用の食事を、劣悪な環境と少ない食材で、もくもくと作り続けてくれとったらしい。その厨房におった料理人は皆、そのままここにおるよ。名字無しも資格無しも関係ない、第二厨房の料理人は全員、九鬼の命の恩人や、言うて殿様がな。深々と頭を下げてはった。その厨房をまとめとったんが、源之進げんのしんさんや」
「そうなんですね」

 殿様も、主にそっちの食事を食べていたんじゃないかな。
 九鬼のお家騒動について、一応、一ノ瀬いちのせの知る全てを聞いている。共に働く人間のことを調べるのは当然のこと、と考えてしまうのは、そう育ってきたから。共にいる二人は、そんなこと考えたこともないだろうけれど。
 
「では、勉強させてもらってきます」

 片足を、ほんの少し引きずって歩く源之進げんのしんさんを追いかける。
 あなたは、どれだけたくさんの命を救ってきたか知っていますか?
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