【完結】人形と皇子

かずえ

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第八章 郷に入っては郷に従え

36 一ノ瀬は見た 1

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 あーあ。料理の話を始めてしまった。こうなったらもう、うちの料理長は他のことに頭は回らない。いや、もともとそんなに、料理以外のことに気を回したりしない。奥さまと子どもさん、乙羽おとわさまと成人なるひとさまと料理について。興味があるのはこれだけじゃないかな?好きなこと、向いていることを仕事にしたから、楽しくて仕方がないんだろう。今だって、すっかり飽きていたものな?大事な二番弟子を暴力から守って、怪我が無かったからもうそれでよかったんだよな。
 やれやれ、と腕を掴んだ男を引きずって、護衛対象から距離を取る。無駄な抵抗をしていたら、利き腕が使い物にならなくなるぞ?城の料理人にまで上り詰めた腕だ。大切にしろよ。
 それにしてもあれだ。自分の身を盾にするのだけはやめてほしい。広末ひろすえさんや壱臣いちおみさん、生松いくまつさん辺りは、自分がどんなに重要で、替えのきかない大切な身であるのかをいまいち理解していなくて困る。成人なるひとさまの長生きに必要不可欠な人たち。ひいては、緋色ひいろ殿下のご機嫌の良さに必要不可欠。つまりそれは、世界平和に必要不可欠ってことだ。
 城の料理長は、緋色ひいろ殿下のことを優しいなんて言っていたが、とんでもない。あの方は、懐に入れた者、大事な者に寛容だが、それ以外はどうでもいいんだ。普通はそうだろ、って?そうかもしれないが、規模が違う。普通の人間が、大事に思う者を助けようとしたり、虚仮こけにされたことに憤って報復するのなんて、大抵、その相手とやり合うだけだ。ま、お互いに傷付いたり被害を被ったり、痛み分けになるか、強かった方が勝つか、そんなもんだ。
 ところが緋色ひいろ殿下は、まず喧嘩相手がでかい。皇子様に喧嘩を売る相手なんだから当たり前かもしれないが、規模のでかい相手にも報復をやめるという選択肢はないし、被害の大きさを想像して手を弛めるという選択肢もない。
 皇太子殿下なら、一人を救うために百人が犠牲になる、という選択は決してなさらない。どんなに大切に思う者を犠牲にしても、より多くを救おうとなさるだろう。けれど緋色ひいろ殿下は違う。その一人が自分の大切な者なら、例え百人が犠牲になっても一人を救う。逆に、その一人の犠牲で百人が助かると言われても、決して差し出さない。それが、権力を持つ皇族にとって非常に危ういし、正しくないと分かっていて決して曲げない。曲げられないご自分を分かっていらっしゃるから、いらぬ喧嘩を買わぬよう、離宮で大人しくしていらっしゃる。
 ここ最近の大きな被害を見るに、被害は大きいけれど殿下はいつだって正しかった、と思ったりする。敵国の帝都が、緋色ひいろ殿下の命令で吹っ飛んだって聞いた時は、素晴らしい手腕だなと感心した。戦争を仕掛けてきているのだから、相手も覚悟の上だろう。戦争が終わって、両国共に喜んでいるとも聞いたから、称賛されるべき出来事だ。
 城の研究施設が吹っ飛ばされた話も、成人なるひとさまを拐って実験動物モルモットにしようとしていたのだから、吹っ飛ばされて然るべきだ。死者を一人も出さなかった緋色ひいろ殿下の冷静さに、心から感心した。俺なら、そこまで冷静でいられるだろうか、と考える。そのまま吹っ飛ばしちまいそうだ。
 二条家は、はっきりと緋色ひいろ殿下の屋敷に攻撃を仕掛けてきたのだから、あちらの屋敷が燃え落ちたのは正当防衛。いつだって、殿下から手を出したりはしていない。はたから見ていれば、何で寝た子を起こすのかな、と言いたい気分だ。
 放っておいてくれれば、のんびりと楽しく暮らしているだけなのにさ。俺らも含めて。
 ため息をこらえ、広末ひろすえさんと充分に距離を取ってから、無礼な料理人の手を離す。
 厨房が吹っ飛ぶ前に、改心してくれよ?
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