【完結】人形と皇子

かずえ

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第六章 家族と暮らす

59 ただ涙はこぼれた  緋色

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「「殿下!」」

 ちっ、鋭い。
 朱実あけみを殴り倒した直後に、扉の向こうからよく似た二つの声が同じ言葉を発したのが聞こえた。
 同じ言葉だが、呼び掛けている相手が違う。常陸丸ひたちまるは俺に、力丸りきまる朱実あけみに声を掛けている。
 外の声は聞こえなかったのか、気にしていないのか成人なるひと朱実あけみは会話を続けている。聞くほどに朱実あけみへの怒りが収まらず拳を握りしめていると、成人なるひとがそっと頬へキスをくれた。

緋色ひいろ。手、ぎゅってしたら痛いよ」

 ああ、そうだな。
 握りしめた手を開いて、少しは肉のついた頬を撫でると、自然と唇が重なった。柔らかい。ほんの少しひんやりする成人なるひとの唇を温めたくて何度かついばむと、荒くなっていた呼吸が落ち着いてくる。
 
「俺もう、戦闘人形ドールじゃない」

 静かに成人なるひとが言った。朱実あけみはソファに倒れたまま、成人なるひとを見ている。

「痛い?」
「かなしい?」
 
 成人なるひとが言葉を重ねるうちに、朱実あけみの目に浮かんでくるものがある。
 まさか。

「殿下?開けますよ?」
「待て」

 焦れたらしい常陸丸ひたちまるの声に、慌てて抱き上げていた成人なるひとを下ろした。扉へ近付いて返事を返す。

「まだ入るな」
「全員、何ともないんですね?」
「一発だけだ……」
「一発……。手加減は……」
「………………した」

 緋色ひいろ。もっと感情を抑える訓練をしなさい。人の上に立つ者は、簡単に笑ったり怒ったりしてはいけないよ。それが周りにどんな影響を及ぼすか分からないんだから、気を付けないと。泣くなんてもっての他だ。
 は?なんで?
 泣くなんて、一番恥ずかしいだろう?

 そんな会話を交わしたのは、俺がまだまだ幼い頃のこと。朱実あけみもまだ子どもの姿で、なのに教師たちみたいな顔で俺に言った。
 その後、俺だけが出会った泉門院せんもんいん家の人々は、子どもは子どもらしく、思いっきり笑って怒ったらいい、悲しい時や嬉しい時や悔しいときは泣きなさいと言った。
 だから小さい俺は、訓練で常陸丸ひたちまるに負けて悔しいときには青葉あおばの胸で思い切り泣いたし、友人の乙羽おとわがひどい目に合ってるなら、常陸丸ひたちまると一緒に怒って助けた。常陸丸ひたちまる乙羽おとわ力丸りきまると、たくさん遊んで笑った覚えがあるし、ずっと、特に我慢して感情を抑えたことはない。もちろん、常識の範囲はわきまえているつもりだが。
 
「よしよし」

 誰にも、見せてはいけないものだ、と俺の中の記憶が警告する。
 成人なるひとに頭を撫でられて、声も上げず無表情に涙を流す朱実あけみを、人目に晒してはいけない。

「何か冷やすもん持ってきてくれ。あと、熱いお茶一つ」
「……本当に、大丈夫なんでしょうね?」

 俺の殴った頬が、少しずつ腫れ上がってきている気がする……。

「………………とにかく、冷やすものと手拭い。あー、茶は三つあってもいい。とりあえず、入るな」 
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