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第六章 家族と暮らす
33 その年月は 朱実
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「緋色は、結婚休暇だそうだ」
報告書をぽい、と投げ出して言えば、は?と妻は言った。そのまま、む、と眉を寄せて何か考える仕草を見せる。
「……なら、仕方ないわね」
たぶん、答えは正しく導き出されたのだろう。
そうだよ。私が婚姻届を握りつぶしていたんだ。
赤璃はソファにもたれ掛かって、ぽつりと呟いた。
「でも、何故?」
私の行動の意味?分からない訳ないだろう。君はいつも、私と価値観を共有してくれていたじゃないか。本当に小さな頃から、私の伴侶にするべく育ててきた。共に生きる相手は赤璃がいい、と言った私に、年が離れていることを懸念する声は幾つもあった。成長と共にその声を抑えたのは、君の美しさと聡明さだ。
「緋色の目が覚めるのを待っていた」
返事は、ため息一つ。
「戦争で疲れた心が見せたまやかしで、大事な緋色の戸籍を汚す訳にはいかないだろう?」
「…………」
ただ黙ってこちらを見る妻の視線は、よく分からないものを見るかのよう。
何故?
何故分からない?
緋色の腕の中にいたのは、戦うために作られた人形だった。
おかしいと、思わない方がおかしいだろう?
「育児書を、読んだ?」
「…………」
育児書?
妻の言いたいことが予測できずに口を閉じる。
「子どもってね、どんどん成長するらしいの」
「……………」
「今は、あんなにふにゃふにゃと寝ているしかできない朱音もね、半年もすれば自分でごろごろと動き回るらしいのよ。十ヶ月頃には這いずって自分の行きたい所に行こうとするのですって。一年もすれば立って歩いて。その後は話をしはじめたり、私たちと同じものを食べて、歌ったり踊ったり……」
それは、そうだろう。
子どもというのは、そうやって成長していくということは分かっている。私は兄なのだから、成長していく弟を見たこともある。
当たり前だ。
「二年もすれば、何でも自分でやりたくて、でもできなくて、いやだいやだと言い出すそうよ」
我が子の先を予想する赤璃は、どこか楽しそうな口調になっている。
「難儀なことだな」
「きっと可愛いわ」
いやだいやだとひっくり返る子どもほど厄介なものはないと思うが?
「そのうち、私たち以外の大切な人を見つけて、好きって言い出したりもするのかしらね。三年もしたら、一人で遊びに出かけたり……」
何の話なのか。私たちは何の話をしていたのだったか。
首を傾げた私を、妻は真っ直ぐに見た。
「なるが緋色の所に来てから、それだけの月日が経ったの」
目を見開く。赤璃は、薄く笑った。
「私が出会った時には、ふにゃふにゃの赤ちゃんでは無かったわ。でもまだ、自分で動きもしなかった。与えられた愛に包まれて、幸せに笑う子どもだった。体はとても辛そうなのに、満たされた顔で笑ってた」
優しい顔で笑う妻が語っているのは、誰のことだ?
「自分で楽しく動き出して、ますます可愛いばかりだわ。いやだいやだは、言ったのかしら?信頼してる人に言うものらしいから、きっと緋色に言ったわね。緋色はたぶん、喜んだんじゃないかしら」
赤子のように何も知らなかった子どもが、人らしくなるだけの時間は過ぎて……。
「ねえ。私たち、同じ人の話をしてる?」
ふやぁふやぁ、と朱音の泣き声。素早く席を立つ赤璃。
私は、ソファから立ち上がれなかった。
報告書をぽい、と投げ出して言えば、は?と妻は言った。そのまま、む、と眉を寄せて何か考える仕草を見せる。
「……なら、仕方ないわね」
たぶん、答えは正しく導き出されたのだろう。
そうだよ。私が婚姻届を握りつぶしていたんだ。
赤璃はソファにもたれ掛かって、ぽつりと呟いた。
「でも、何故?」
私の行動の意味?分からない訳ないだろう。君はいつも、私と価値観を共有してくれていたじゃないか。本当に小さな頃から、私の伴侶にするべく育ててきた。共に生きる相手は赤璃がいい、と言った私に、年が離れていることを懸念する声は幾つもあった。成長と共にその声を抑えたのは、君の美しさと聡明さだ。
「緋色の目が覚めるのを待っていた」
返事は、ため息一つ。
「戦争で疲れた心が見せたまやかしで、大事な緋色の戸籍を汚す訳にはいかないだろう?」
「…………」
ただ黙ってこちらを見る妻の視線は、よく分からないものを見るかのよう。
何故?
何故分からない?
緋色の腕の中にいたのは、戦うために作られた人形だった。
おかしいと、思わない方がおかしいだろう?
「育児書を、読んだ?」
「…………」
育児書?
妻の言いたいことが予測できずに口を閉じる。
「子どもってね、どんどん成長するらしいの」
「……………」
「今は、あんなにふにゃふにゃと寝ているしかできない朱音もね、半年もすれば自分でごろごろと動き回るらしいのよ。十ヶ月頃には這いずって自分の行きたい所に行こうとするのですって。一年もすれば立って歩いて。その後は話をしはじめたり、私たちと同じものを食べて、歌ったり踊ったり……」
それは、そうだろう。
子どもというのは、そうやって成長していくということは分かっている。私は兄なのだから、成長していく弟を見たこともある。
当たり前だ。
「二年もすれば、何でも自分でやりたくて、でもできなくて、いやだいやだと言い出すそうよ」
我が子の先を予想する赤璃は、どこか楽しそうな口調になっている。
「難儀なことだな」
「きっと可愛いわ」
いやだいやだとひっくり返る子どもほど厄介なものはないと思うが?
「そのうち、私たち以外の大切な人を見つけて、好きって言い出したりもするのかしらね。三年もしたら、一人で遊びに出かけたり……」
何の話なのか。私たちは何の話をしていたのだったか。
首を傾げた私を、妻は真っ直ぐに見た。
「なるが緋色の所に来てから、それだけの月日が経ったの」
目を見開く。赤璃は、薄く笑った。
「私が出会った時には、ふにゃふにゃの赤ちゃんでは無かったわ。でもまだ、自分で動きもしなかった。与えられた愛に包まれて、幸せに笑う子どもだった。体はとても辛そうなのに、満たされた顔で笑ってた」
優しい顔で笑う妻が語っているのは、誰のことだ?
「自分で楽しく動き出して、ますます可愛いばかりだわ。いやだいやだは、言ったのかしら?信頼してる人に言うものらしいから、きっと緋色に言ったわね。緋色はたぶん、喜んだんじゃないかしら」
赤子のように何も知らなかった子どもが、人らしくなるだけの時間は過ぎて……。
「ねえ。私たち、同じ人の話をしてる?」
ふやぁふやぁ、と朱音の泣き声。素早く席を立つ赤璃。
私は、ソファから立ち上がれなかった。
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