【完結】人形と皇子

かずえ

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第五章 それは日々の話

165 生活をする、ということ  三郎

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 洗濯場は、なかなかに冷えていた。各部屋だけでなく、廊下も厨房も食堂も、あちこちに暖房器具を置いて暖めてある離宮の中におると、今が冬やと忘れてしまいそうになる。
 洗濯場に置いてある暖房器具に、生松いくまつ先生がすぐに火を点けたけれど、冬場や、天気の悪い日の干し場も兼ねた部屋はそれなりに広く、暖まるのに少し時間がかかりそうやった。

「こりゃ駄目だ」
「え?やだ、俺は洗濯係……」

 朝食を食べ終えた食器を厨房の流しに置いた後、一緒に洗濯場に歩いてきた成人なるひとさまを、殿下があっという間に抱き上げて連れ去った。
 
「あ、え……?」

 驚く私に、生松いくまつ先生が苦笑いしている。

「きっと戻って来ますよ。それまでに部屋が暖まっていればいいんです」

 そうやな。
 体の弱い成人なるひとさまが体調を崩さないために、この広い建物を全て暖めている緋色ひいろ殿下や。一部屋を暖めて、冬はこの部屋に居なさいと言えば済むことなのに、成人なるひとさまがいつも通り過ごせるように考えられたのやろう。
 そんな殿下が、洗濯をしたいと訴える成人なるひとさまに、駄目やと言うはずがない。

「ちょっと過保護な気がしますけどね。まあ、今年はほとんど寝込んでいないから、今のところ殿下が正しいのでしょう。さて、洗濯物を取りに行きますか」

 言われてみれば、洗う衣類が見当たらなかった。付いて行った先は、お風呂場で。
 服の袖とズボンの裾を肘と膝まで捲りあげた兄上が、跪いて半助はんすけのズボンの裾を捲っているところだった。ここも、よく冷えている。

「お疲れ様です。体が冷えないように。寒かったら湯で洗剤を流したらいいですからね」
「はい。洗濯をお世話になります」

 生松いくまつ先生と兄上が自然に言葉を交わす。
 すっかり侍従や侍女などの手伝いなしで生活をできるようになったと思っていたが、私はまだ、自分の身支度ができるようになっただけやと、思い知らされた。何もできない赤ん坊のような状態からまた、育ち直しているとして、一体今は、幾つくらいの幼子になれたやろうか。
 食事は、担当の者が作ってくれ、食べ終えた後には皿などを洗ってくれているのやと知り感謝するようになったが、使用した後の風呂を誰かが洗わねば汚れが溜まっていくことを、つい先程まで気付いていなかった。
 
「こちらを運んで行きましょう」
「はい」

 大きなかごに一杯の衣類や手拭いを持ち上げる。風呂に入る前に脱いで、そこに入れておけば綺麗になるわけではない衣類たち。誰かが洗ってくれているから、清潔に毎日を過ごせている。
 思い付くこともできなかったたくさんの仕事が、目の前にある。生活をする、というのはなんと大変なことやろうか。
 けれど、やるべきことを見つけて喜んでいる自分を不思議に思う。
 今日は、洗濯の仕方をしっかりと覚えよう。次に仕事が休みの時には、一人でもできるように。そして、風呂の洗いかたも習って、できるようになりたい。暑い季節には、成人なるひとさまと一緒に洗ったりできるやろうか。暑い季節に水を使うのは、とても気持ち良さそうや。
 先の予定を考える自分に驚いて、それでも、これからもここで暮らしているんやろな、と漠然と思う。
 それは、何だかひどく心を落ち着ける思いだった。
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