【完結】人形と皇子

かずえ

文字の大きさ
上 下
450 / 1,321
第五章 それは日々の話

100 知らなくてはいけなかった  三郎

しおりを挟む
「ええもん、もろたねえ、三郎さぶろう。うちが梳いてあげよ」
「兄上……」

 動けずにいた私に、兄上ののんびりした声が掛けられた。

「うちからの贈り物な、髪の毛の美容液にしようと思てたんやけど、売ってるとこが無くて買えんかったんや。使いさしやけど、これ使ててくれるか?また店ができたら、新しいの、買うてくるからな」

 それは、兄上が初めて店で買うた、いや、半助はんすけに買うてもろた、大切な大切な美容液やないんやろか。

「ええです。そんなん、ええんです」
「やっぱり使いさしは、失礼やな。ごめんな」
「そうやなくて」

 そうやない。
 そうやないんです、兄上。
 それは、兄上の大切な一本。たくさんあるうちの一つやなくて、最初の一本でしょう?
 そうして話している間にも、兄上は美容液を手に出して私の髪に馴染ませ、櫛をひょいと私の手から取って梳かしはじめた。

「いい匂いですね」

 誰かの声に、そうでしょう?と兄上が穏やかに返事をしている。見覚えの無い女の人。にこにこと笑う顔はどことなく子どもっぽく、年齢の見当がつかない。若くも見えるし、母上と同じくらいと言われれば、そうなのか、と納得しそうな……。

「母上。そんな匂いをまとっていては仕事にならないから駄目だ」

 村次むらつぐさんが、兄上とおっとり話す女の人に声をかけた。
 村次むらつぐさんの母上……。思わずじっと見てしまっているが、相手に気にする様子はない。
 そうこうしているうちにまた、おめでとう、と贈り物を渡されて、そちらに意識を持っていかれる。

村次むらつぐくん、これはすぐに匂いが散る物やから大丈夫やよ。夜につけて、朝にはほとんど香らへん。料理するときの邪魔になったらあかんから、そういうのを選んできたんやし」
壱臣いちおみさん、母上の仕事は、ほんの少しでも香ったら駄目なんで、こんなのはつけられないんですよ」
「そうなん?でも、今日くらいはええんやない?お休みやしねえ」

 兄上の声を聞きながら、髪を丁寧に梳かしてもらっているのが心地好い。
 ああ。私は、髪を手入れしてもらうのが、とても好きやったんやな。
 拙い兄上の手にも、うっとりするほどに。
 そんな、幸せな時間を破るように緋色ひいろ殿下の声が聞こえた。

壱臣いちおみ。お前の誕生日は?」

 兄上の、誕生日……?
 知らない。
 私は、それを知らない……!

「うちは、六月三日です」

 誰かが耳を塞いだかのように、声は遠くから響いた。その後、緋色ひいろ殿下が何か言っている声は、耳に入らなかった。
 六月三日。
 初めて聞いた。
 九鬼くきの城で暮らしながら、九鬼くきの嫡男の誕生日を、私は、初めて……。
 毎年、毎年、盛大に開かれていた母上と私の生誕の宴。父上のものも、開かれていた。当然や。私と母上の生誕の宴を開いておいて、領主のものをしないなんて、あり得ない。けど、よく思い返してみれば、父上のそれは、自分や母上のものよりだいぶ規模が小さくて、ほんの食事会のようにすぐに終わっていたような……。
 そして兄上は、どの宴にも姿を見せず、そのことを、誰一人、何も言わなかった。
 誰も。
 私も。

「兄上の、誕生日……」

 いつの間にか、私の手に櫛が返されていた。
 半助はんすけと仲良くくっついて団子を食べようとしている兄上を認識して、目眩がする。
 私の罪は、まだどれだけ残っているんやろう……。
しおりを挟む
感想 2,394

あなたにおすすめの小説

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺

福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。 目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。 でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい… ……あれ…? …やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ… 前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。 1万2000字前後です。 攻めのキャラがブレるし若干変態です。 無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形) おまけ完結済み

愛されない皇妃~最強の母になります!~

椿蛍
ファンタジー
愛されない皇妃『ユリアナ』 やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。 夫も子どもも――そして、皇妃の地位。 最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。 けれど、そこからが問題だ。 皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。 そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど…… 皇帝一家を倒した大魔女。 大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!? ※表紙は作成者様からお借りしてます。 ※他サイト様に掲載しております。

魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました

タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。 クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。 死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。 「ここは天国ではなく魔界です」 天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。 「至上様、私に接吻を」 「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」 何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?

美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました

SEKISUI
BL
 ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた  見た目は勝ち組  中身は社畜  斜めな思考の持ち主  なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う  そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される    

転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!

音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに! え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!! 調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。

普段「はい」しか言わない僕は、そばに人がいると怖いのに、元マスターが迫ってきて弄ばれている

迷路を跳ぶ狐
BL
全105話*六月十一日に完結する予定です。 読んでいただき、エールやお気に入り、しおりなど、ありがとうございました(*≧∀≦*)  魔法の名手が生み出した失敗作と言われていた僕の処分は、ある日突然決まった。これから捨てられる城に置き去りにされるらしい。  ずっと前から廃棄処分は決まっていたし、殺されるかと思っていたのに、そうならなかったのはよかったんだけど、なぜか僕を嫌っていたはずのマスターまでその城に残っている。  それだけならよかったんだけど、ずっとついてくる。たまにちょっと怖い。  それだけならよかったんだけど、なんだか距離が近い気がする。  勘弁してほしい。  僕は、この人と話すのが、ものすごく怖いんだ。

処理中です...