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第五章 それは日々の話
83 届く思い 三郎
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「お前も、期待してるぞ」
緋色殿下の言葉に、頭の中が真っ白になる。
今、なんて……?
この家には才能のある方がようけおるなあ、えらいことやなあ、と思ったのがぽろりと口からこぼれ落ちた。殿下がすごいから、皆惹かれてくるんやと、それは殿下の才能で、上に立つ人というんはこういうお人なんやと、しみじみ感心しとっただけで。
私には、何もない。
何もない私は、いつまで此処に置いてもらえるんやろう。
そう思うと、ぞっとしてうつ向いた顔を上げられなくなった。
ただ、他に行くところがないから、此処にいた。すぐに何らかの処罰が下り、放り出されるまでの居場所なのやからと、なるべく静かにその日を待った。
けれど、まるで新しい使用人を雇ったかのようにこの城の者は接してきて、その扱いは今に至るまでぶれることがない。若君、若君、とちやほやされていた生活から一変して、けれど、その生活に不満は湧いてこなかった。ただ、自分で何もしてこなかったツケを払わされて、大変やっただけ。不満に思わない自分に驚いたのは、しばらく経ってからやった。
思えば、この城の者は皆、私に意見を聞いてくれる。三郎はどうする?と。どうしたいか、どう思うか。長いこと、考えるだけ無駄やと諦めて、錆び付いてしまった脳みそは、なかなか答えを導き出せないけれど、急かすことなく待っていてくれる。
いつ、気付いたんやったろう。
私の言葉を誰も聞いていないことに。私に、何も尋ねてくれはしないことに。
小さい頃は、子どもらしく自分のしたいことや思ったことを口に出していたと思う。
兄上の髪を私も切りたい、と言った時のように。
思い出すだけで、胸が痛い。ひゅっと吸った息に、氷が落としこまれているかのように、胸が冷える。忘れていたなんて。何とも思っていなかったやなんて。償いきれない罪の重さに、潰されそうになる。
いっそ、此処へ来るまでの自分のように、周りに流されるままの人形でいられたら、もう少し心は楽やったんやろうか。誰も、私の言葉を、思いを、必要としてはいないんやと気付いた日から、皆の理想の若君として流されてきた私のまま、処刑されていたなら。
いや、それでも。
ほんまにこんなことしてええんか、と思いながら皇都へ来た。口に出せなくとも、表向きは人形でも、心の内に一二三という人間はいたのだ。
そう気付いた時には、一二三は行方不明、とすることになり、新しい名が与えられていたけれど。
「お前、崩し文字も読めるのか。有能だな」
殿下の声に我に返る。
「え?でも……。殿下も読めるでしょう?」
「読めないことはないが、すらすらとはいかんな。滅多に使わないし」
「あの、でも、常陸丸さまとか……」
「常陸丸?読めるわけないだろ」
「あの、でも、同じ高等学校に通われとったと……」
「ああ、一緒に武術科にいた。上等高等学校は、身分の高い家の子弟が通うところだから能力差が酷くてな。まあ、一ヶ所にまとめて護りやすくしたんだろうが、一律に授業などできんから、細かく学科が分かれている。武術科は授業が少な目で楽だったぞ」
緋色殿下は、けろりと言う。え?では、武術科出身ということになるのか?でも、殿下は崩し文字が読める?
「俺はもう、標準の高等学校の授業範囲は小さい頃から城でやらされて終わってたし、何科でもよかった。城で習っていない、軍の動かしかたなどの授業は面白かったな」
考えている内に、殿下が答えをすらすらと言う。確かに、私も既に城で授業を受けていたから、学校の授業は退屈やった。そうか。高等学校は何を学ぶかをを自分で選べるんやから、退屈しないように自分で選べば良かったんか。
「そんなめんどくさい文字を読める奴なんてそうそういない。俺は、いい拾い物をしたな」
不覚にも、こみ上げてくる喜びを抑えられずにまた、うつ向くことになってしまった。
「ありがとう、ございます」
絞り出した感謝の声は、殿下に届いたやろうか。
緋色殿下の言葉に、頭の中が真っ白になる。
今、なんて……?
この家には才能のある方がようけおるなあ、えらいことやなあ、と思ったのがぽろりと口からこぼれ落ちた。殿下がすごいから、皆惹かれてくるんやと、それは殿下の才能で、上に立つ人というんはこういうお人なんやと、しみじみ感心しとっただけで。
私には、何もない。
何もない私は、いつまで此処に置いてもらえるんやろう。
そう思うと、ぞっとしてうつ向いた顔を上げられなくなった。
ただ、他に行くところがないから、此処にいた。すぐに何らかの処罰が下り、放り出されるまでの居場所なのやからと、なるべく静かにその日を待った。
けれど、まるで新しい使用人を雇ったかのようにこの城の者は接してきて、その扱いは今に至るまでぶれることがない。若君、若君、とちやほやされていた生活から一変して、けれど、その生活に不満は湧いてこなかった。ただ、自分で何もしてこなかったツケを払わされて、大変やっただけ。不満に思わない自分に驚いたのは、しばらく経ってからやった。
思えば、この城の者は皆、私に意見を聞いてくれる。三郎はどうする?と。どうしたいか、どう思うか。長いこと、考えるだけ無駄やと諦めて、錆び付いてしまった脳みそは、なかなか答えを導き出せないけれど、急かすことなく待っていてくれる。
いつ、気付いたんやったろう。
私の言葉を誰も聞いていないことに。私に、何も尋ねてくれはしないことに。
小さい頃は、子どもらしく自分のしたいことや思ったことを口に出していたと思う。
兄上の髪を私も切りたい、と言った時のように。
思い出すだけで、胸が痛い。ひゅっと吸った息に、氷が落としこまれているかのように、胸が冷える。忘れていたなんて。何とも思っていなかったやなんて。償いきれない罪の重さに、潰されそうになる。
いっそ、此処へ来るまでの自分のように、周りに流されるままの人形でいられたら、もう少し心は楽やったんやろうか。誰も、私の言葉を、思いを、必要としてはいないんやと気付いた日から、皆の理想の若君として流されてきた私のまま、処刑されていたなら。
いや、それでも。
ほんまにこんなことしてええんか、と思いながら皇都へ来た。口に出せなくとも、表向きは人形でも、心の内に一二三という人間はいたのだ。
そう気付いた時には、一二三は行方不明、とすることになり、新しい名が与えられていたけれど。
「お前、崩し文字も読めるのか。有能だな」
殿下の声に我に返る。
「え?でも……。殿下も読めるでしょう?」
「読めないことはないが、すらすらとはいかんな。滅多に使わないし」
「あの、でも、常陸丸さまとか……」
「常陸丸?読めるわけないだろ」
「あの、でも、同じ高等学校に通われとったと……」
「ああ、一緒に武術科にいた。上等高等学校は、身分の高い家の子弟が通うところだから能力差が酷くてな。まあ、一ヶ所にまとめて護りやすくしたんだろうが、一律に授業などできんから、細かく学科が分かれている。武術科は授業が少な目で楽だったぞ」
緋色殿下は、けろりと言う。え?では、武術科出身ということになるのか?でも、殿下は崩し文字が読める?
「俺はもう、標準の高等学校の授業範囲は小さい頃から城でやらされて終わってたし、何科でもよかった。城で習っていない、軍の動かしかたなどの授業は面白かったな」
考えている内に、殿下が答えをすらすらと言う。確かに、私も既に城で授業を受けていたから、学校の授業は退屈やった。そうか。高等学校は何を学ぶかをを自分で選べるんやから、退屈しないように自分で選べば良かったんか。
「そんなめんどくさい文字を読める奴なんてそうそういない。俺は、いい拾い物をしたな」
不覚にも、こみ上げてくる喜びを抑えられずにまた、うつ向くことになってしまった。
「ありがとう、ございます」
絞り出した感謝の声は、殿下に届いたやろうか。
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