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第四章 西からの迷い人
123 私の知らない私の国 三郎
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なんともはや……。
あっちを見てもこっちを見ても、私の知らないものばかり。分からないことを何でも素直に尋ねる成人さまより、きょろきょろとしてしまっているかもしれん。あれはなんやろ、これはなんやろ、と思てるけど、まさか生まれ育った国の事をよその国の人に尋ねるなんてできるわけない。
来たことのある場所やのに、毎年一度お詣りをする時とは全く様相が違っている。店は、前からこんなに道沿いに連なっていたんやろか。屋台という食べ物や雑貨を売る店なぞ、目にしたこともなかった。
今は、人々がお詣りをすることの多い時期ではないはずやし、今日は休みを取る者の多い曜日でもない。学校も普通にやっている時間やろう。やというのに、たくさんの者がお詣りをして、買い物をして、笑顔で行き交っている。
こんなに楽しそうに、民は暮らしていたのだ。
こんなに町は活気づいていたのだ。
とにかく力丸さまの服を離さぬようにだけ気を付けて、私は思う存分よそ見をした。
あなたは、しっかり前だけを見て歩くんよ。上に立つとはそういうもんや。下々のいらん事を見んでもよろしい。
そう言われて、ふらふらしたり、きょろきょろと横を向いたりしたら、上に立つ者として相応しくないと叱られたから、とんでもなく悪いことをしているような気分になる。
それでも、あれもこれも珍しくて堪らない。
どうやら口は開きっぱなしになっていたようで、見事な猿の演芸を観た後、力丸さまに声をかけられてはっと閉じると、渇いていた口のなかに唾液がじわりと出てきた。
猿の演芸も見事やったな。あんなのも観たことがない。対価を、観るもの任せにするなんて、あの者たちの生活の糧は足りてるんやろうか。土産の札までくれていては、大変やろうに。
そやけど、一文無しの自分にはどうしようもなく、力丸さまに借りた百円を渡すことしかできんかった。
借りた金でもろた猿の札だけが、私の持ち物。
ほんの半年前、お賽銭に五千円札を入れとったけど、五円で良かったんやな。ご縁がありますように、て言うんやから五円でええのに、母やお祖父様が見栄をはって五千円にしてたんやろか。
お願い事は、自分のものは思いつかなんだ。兄上が幸せに過ごせますように、と願ってから、私などに願われてもかなんかな、などと落ち込んで、名前も告げずに神様の前から下がった。
少し落ち込んでいたので話はあまり聞いていなかったが、気付くと成人さまが怒っている。何とも可愛らしくぷいっと横を向いて、荘重さまの手を掴んでいる。
「おい、成人。俺と繋ごうぜ。」
「力丸は三郎と繋いで。そしたら、ちょうどいい。」
「むう。そうだけどさ。」
「あ、私はちゃんと付いていくので大丈夫ですよ。」
また、お二人の喧嘩が始まった、と慌てて言ったけど、力丸さまは、じゃ、そうするか、と言ってひょいと私の手を取った。口とは反対に、じわじわと喜びが溢れてきて止められない。こんなに近しく誰かと居たことなどなかった。親とも触れ合わず、お祖父様はただ畏れ多い存在で、乳母や世話をしてくれる使用人たちも、お祖父様や母の様子を伺いながら恐る恐る私に関わった。父は……父と思っていた人は、私を見ては困ったように笑った。撫でようと伸ばされた手が、そのまま引っ込むところを何度か見たことがある。
親しい友だちなどできるわけもなく、こうして力丸さまが気安く接してくれる度に、心臓が跳ねた。
あっちを見てもこっちを見ても、私の知らないものばかり。分からないことを何でも素直に尋ねる成人さまより、きょろきょろとしてしまっているかもしれん。あれはなんやろ、これはなんやろ、と思てるけど、まさか生まれ育った国の事をよその国の人に尋ねるなんてできるわけない。
来たことのある場所やのに、毎年一度お詣りをする時とは全く様相が違っている。店は、前からこんなに道沿いに連なっていたんやろか。屋台という食べ物や雑貨を売る店なぞ、目にしたこともなかった。
今は、人々がお詣りをすることの多い時期ではないはずやし、今日は休みを取る者の多い曜日でもない。学校も普通にやっている時間やろう。やというのに、たくさんの者がお詣りをして、買い物をして、笑顔で行き交っている。
こんなに楽しそうに、民は暮らしていたのだ。
こんなに町は活気づいていたのだ。
とにかく力丸さまの服を離さぬようにだけ気を付けて、私は思う存分よそ見をした。
あなたは、しっかり前だけを見て歩くんよ。上に立つとはそういうもんや。下々のいらん事を見んでもよろしい。
そう言われて、ふらふらしたり、きょろきょろと横を向いたりしたら、上に立つ者として相応しくないと叱られたから、とんでもなく悪いことをしているような気分になる。
それでも、あれもこれも珍しくて堪らない。
どうやら口は開きっぱなしになっていたようで、見事な猿の演芸を観た後、力丸さまに声をかけられてはっと閉じると、渇いていた口のなかに唾液がじわりと出てきた。
猿の演芸も見事やったな。あんなのも観たことがない。対価を、観るもの任せにするなんて、あの者たちの生活の糧は足りてるんやろうか。土産の札までくれていては、大変やろうに。
そやけど、一文無しの自分にはどうしようもなく、力丸さまに借りた百円を渡すことしかできんかった。
借りた金でもろた猿の札だけが、私の持ち物。
ほんの半年前、お賽銭に五千円札を入れとったけど、五円で良かったんやな。ご縁がありますように、て言うんやから五円でええのに、母やお祖父様が見栄をはって五千円にしてたんやろか。
お願い事は、自分のものは思いつかなんだ。兄上が幸せに過ごせますように、と願ってから、私などに願われてもかなんかな、などと落ち込んで、名前も告げずに神様の前から下がった。
少し落ち込んでいたので話はあまり聞いていなかったが、気付くと成人さまが怒っている。何とも可愛らしくぷいっと横を向いて、荘重さまの手を掴んでいる。
「おい、成人。俺と繋ごうぜ。」
「力丸は三郎と繋いで。そしたら、ちょうどいい。」
「むう。そうだけどさ。」
「あ、私はちゃんと付いていくので大丈夫ですよ。」
また、お二人の喧嘩が始まった、と慌てて言ったけど、力丸さまは、じゃ、そうするか、と言ってひょいと私の手を取った。口とは反対に、じわじわと喜びが溢れてきて止められない。こんなに近しく誰かと居たことなどなかった。親とも触れ合わず、お祖父様はただ畏れ多い存在で、乳母や世話をしてくれる使用人たちも、お祖父様や母の様子を伺いながら恐る恐る私に関わった。父は……父と思っていた人は、私を見ては困ったように笑った。撫でようと伸ばされた手が、そのまま引っ込むところを何度か見たことがある。
親しい友だちなどできるわけもなく、こうして力丸さまが気安く接してくれる度に、心臓が跳ねた。
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