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第四章 西からの迷い人
86 帰郷 三郎
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まるで緊張感のない車内。ただ、そこらの店へ買い物に行くかのような雰囲気だ。
私の暮らしていた領地へ向かっている……んだよな?揉め事を治めてきて、と朱実殿下は緋色殿下に軽く言った。
領地を出る前に、お祖父様によくよく言い聞かされてきた。朱実殿下の覚えめでたくあれ、と。次期領主として、しっかりと知己を得て参れ、と。
覚えめでたいどころか会えずに終わる、と思ったら、あっさりとお目通り叶った。……次期領主の一二三としてでは無かったけれど。
揉め事……。
何も言われん。
何も聞かれん。
私は、敵の御輿やったはずやのに。
何も知らんと思われてるんやろか。
確かに、知っていることは少ない。
お腹空いたー、と言った成人さまは、兄上に小さな小さなおにぎりをもろて、一生懸命噛んでいる。飲み込むのが苦手なんやろか?すぐ無くなりそうな大きさやったのに、細い顎が頑張って動いている。あ、止まった。少し口が開いてふう、と言った後、また噛み出した。
つ、疲れたん?手まり寿司みたいなおにぎり一個目で?
成人さまを眺めていると緊張が解けてきた。座席の背もたれに軽くもたれかかる。無意識に背筋を伸ばして、手を膝の上で握っていた体。
軍人たちが着ている軍服を渡されて、これを着て護衛のつもりで一緒に居ろ、と言われた。
武術の心得はあるけど、自分の身を守れる程度。身分のある者なら当然のことくらいしかできんから、護衛なんて無理です、と項垂れた。
それでいい、と殿下は言った。自分の身を守れるなら十分だ、と。
「壱臣なんて、真後ろに人が立っても気付かないぞ。」
けらけら笑って殿下は言った。
「あれをここまで守った半助を尊敬するよ。」
と。
一列目に半助と座っている兄上が、振り返って成人さまの様子を見ている。兄上がストローの付いた水筒を渡すと、成人さまが嬉しそうに受け取って飲み始めた。
昨日いきなり言われて、旅支度もしなきゃならんのに、成人さまの食事も準備してきたんか。だいぶ早起きしたんやろう。
……兄上は、この旅をどう思ってるんやろうか。
帰りとうは、無いやろな……。
兄上が前を向いたり後ろを向いたりする度に、短い髪が揺れる。今日は艶々として、くせが強くない。
弐角……さまに髪の美容液をもろて、ほんまにええんか、と何度も確かめていたのを昨日、見てしまった。もちろんや、使いさしでごめん、と言う弐角さまに、ありがとう、と言う声は震えとった。
手をあげて、自分の短い髪を引っ張る。自分で切ったけど、覚悟を決めたはずやったけど、恥ずかしい。不自然やから、出かけるときは駄目だ、と布を巻くことは許されなかった。そう、不自然。皇国では、髪を伸ばす男は少ない。この車内でも、髪をくくっているのは半助だけ。それも、肩先くらいまでしかない。
あんなに、綺麗やったのに……。
憧れの美しくて強い人。
髪を切ったのも、兄上のためですか?
兄上に寄り添う横顔を見つめる。以前より痩せたその首筋が、うっとりするほど綺麗で。
まだ艶が出ただけの兄上の髪を、半助の一本しかない手が撫でる。自然と肩にもたれる兄上。耳が赤い。
見たくなくて目をつぶると、眠気に襲われた。ここ数日、ろくに寝られてはいない。車の揺れ。静かな車内。
しっかりしないと。
「少し寝てろ。」
隣に座っている力丸さまの声に、首を横に振ったことは覚えている。
私の暮らしていた領地へ向かっている……んだよな?揉め事を治めてきて、と朱実殿下は緋色殿下に軽く言った。
領地を出る前に、お祖父様によくよく言い聞かされてきた。朱実殿下の覚えめでたくあれ、と。次期領主として、しっかりと知己を得て参れ、と。
覚えめでたいどころか会えずに終わる、と思ったら、あっさりとお目通り叶った。……次期領主の一二三としてでは無かったけれど。
揉め事……。
何も言われん。
何も聞かれん。
私は、敵の御輿やったはずやのに。
何も知らんと思われてるんやろか。
確かに、知っていることは少ない。
お腹空いたー、と言った成人さまは、兄上に小さな小さなおにぎりをもろて、一生懸命噛んでいる。飲み込むのが苦手なんやろか?すぐ無くなりそうな大きさやったのに、細い顎が頑張って動いている。あ、止まった。少し口が開いてふう、と言った後、また噛み出した。
つ、疲れたん?手まり寿司みたいなおにぎり一個目で?
成人さまを眺めていると緊張が解けてきた。座席の背もたれに軽くもたれかかる。無意識に背筋を伸ばして、手を膝の上で握っていた体。
軍人たちが着ている軍服を渡されて、これを着て護衛のつもりで一緒に居ろ、と言われた。
武術の心得はあるけど、自分の身を守れる程度。身分のある者なら当然のことくらいしかできんから、護衛なんて無理です、と項垂れた。
それでいい、と殿下は言った。自分の身を守れるなら十分だ、と。
「壱臣なんて、真後ろに人が立っても気付かないぞ。」
けらけら笑って殿下は言った。
「あれをここまで守った半助を尊敬するよ。」
と。
一列目に半助と座っている兄上が、振り返って成人さまの様子を見ている。兄上がストローの付いた水筒を渡すと、成人さまが嬉しそうに受け取って飲み始めた。
昨日いきなり言われて、旅支度もしなきゃならんのに、成人さまの食事も準備してきたんか。だいぶ早起きしたんやろう。
……兄上は、この旅をどう思ってるんやろうか。
帰りとうは、無いやろな……。
兄上が前を向いたり後ろを向いたりする度に、短い髪が揺れる。今日は艶々として、くせが強くない。
弐角……さまに髪の美容液をもろて、ほんまにええんか、と何度も確かめていたのを昨日、見てしまった。もちろんや、使いさしでごめん、と言う弐角さまに、ありがとう、と言う声は震えとった。
手をあげて、自分の短い髪を引っ張る。自分で切ったけど、覚悟を決めたはずやったけど、恥ずかしい。不自然やから、出かけるときは駄目だ、と布を巻くことは許されなかった。そう、不自然。皇国では、髪を伸ばす男は少ない。この車内でも、髪をくくっているのは半助だけ。それも、肩先くらいまでしかない。
あんなに、綺麗やったのに……。
憧れの美しくて強い人。
髪を切ったのも、兄上のためですか?
兄上に寄り添う横顔を見つめる。以前より痩せたその首筋が、うっとりするほど綺麗で。
まだ艶が出ただけの兄上の髪を、半助の一本しかない手が撫でる。自然と肩にもたれる兄上。耳が赤い。
見たくなくて目をつぶると、眠気に襲われた。ここ数日、ろくに寝られてはいない。車の揺れ。静かな車内。
しっかりしないと。
「少し寝てろ。」
隣に座っている力丸さまの声に、首を横に振ったことは覚えている。
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