【完結】人形と皇子

かずえ

文字の大きさ
上 下
154 / 1,321
第三章 幸せの行方

55 力丸 8

しおりを挟む
「い、いや、いやだ。あああああ!」

 成人なるひとが悲鳴を上げて、必死に後退りする。
 なに?なんで?
 何が起こっているのか、全然分からない。

成人なるひと…?」

 手を伸ばすほど、パニックは酷くなる。
 部屋の前で戸惑っていると、緋色ひいろ殿下が階段を駆け上がってくるのが見えた。
 あまりの殺気に、動けない。
 怒っている。

緋色ひいろ!!」
 
 兄上の大声。殿下が、ほんの少し反応を見せた隙に追いついて、後ろから抱き込んだ。

成人なるひとを頼むぞ。力丸りきまるは俺に預けろ。」

 兄上の腕に、かなり力が入っているから、殿下の行動を抑え込んでいるのだろう、とぼんやり思う。殿下のこめかみに、青筋が立っていた。

「深呼吸しろ。ほら、成人なるひとのところに行くぞ。」

 兄上は、殿下を抱えたその体勢のまま、ぐいぐいと部屋へ入っていく。
 俺は、その場に立ち尽くすしかない。
 開いたままの扉から部屋の中が見える。成人なるひとは、絨毯の上でうずくまって呻いていた。じっとりとした汗が滲み、眉はしかめられ、苦しくて仕方ない様子だ。声を堪えているのだろう。唇を噛みしめ過ぎて血が滲んでいる。
 一体どうしたっていうんだ……。
 部屋へ入ったのに、殿下も兄上も少し離れた所から成人なるひとの様子を見守っている。
 なんで、何もせずに見ているんだろう。揺さぶって正気に戻してやらなければ、あんな調子で唇を噛んでいたら、傷が酷くなってご飯が食べられなくなってしまう。
 そう思った時には行動に移していた。部屋へ駆け込んで成人なるひとに近付き、体に手を掛ける。

「い、あ、いや、いやあああああ!」

 成人なるひとの金切り声が響き渡り、俺は兄上に殴られて吹き飛んだ。ぐわん、と揺れる視界で素早く状況を確かめると、兄上は殿下に殴られて膝から崩れ落ちていた。
 
「う、う、うう。」

 成人なるひとの呻き声にそちらを見ると、右手を口に突っ込んで声を堪えている。
 ああ。今度は、手から血が出るほどに噛みしめてしまった。
 どうして……。
 殿下を見ると、成人なるひとを見ながら、両手の拳を握りしめて立っている。殿下の拳から、ぽたり、と血が落ちた。頭を振って起き上がった兄上が、その両手をそっと撫でる。ふー、ふー、と荒い息を吐く殿下を落ち着かせるように。

「力丸。二度目は無い。無知は罪だ。」

 兄上の低い声。兄上が、殿下より先に手加減して殴ってくれたことで、俺は命拾いしたのだ……。
 成人なるひとのくぐもった呻き声は続く。心を抉られるような、苦しいかなしい声を、ただ聞く。
 触れてはいけない、のだ…な。
 では、このまま?
 血だらけの唇や右手を庇ってやることもできず、揺さぶって正気に戻してやることもできず、脂汗を拭くこともできず、何に苦しんでいるのかも分からないまま、ただここで、離れた場所で、苦しむ声を聞いている、だけ……?
 俺が。
 俺が、何かしたのだ。
 成人なるひとが、こんな風に苦しむ何かを。
 無知は、罪だった。
 それから長い長い時間、成人なるひとが苦しむ姿をただ、見ていた。ただ、聞いていた。
 俺のまだ短い人生の中で、最悪の時間だった。
しおりを挟む
感想 2,394

あなたにおすすめの小説

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺

福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。 目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。 でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい… ……あれ…? …やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ… 前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。 1万2000字前後です。 攻めのキャラがブレるし若干変態です。 無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形) おまけ完結済み

愛されない皇妃~最強の母になります!~

椿蛍
ファンタジー
愛されない皇妃『ユリアナ』 やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。 夫も子どもも――そして、皇妃の地位。 最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。 けれど、そこからが問題だ。 皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。 そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど…… 皇帝一家を倒した大魔女。 大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!? ※表紙は作成者様からお借りしてます。 ※他サイト様に掲載しております。

魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました

タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。 クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。 死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。 「ここは天国ではなく魔界です」 天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。 「至上様、私に接吻を」 「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」 何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?

美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました

SEKISUI
BL
 ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた  見た目は勝ち組  中身は社畜  斜めな思考の持ち主  なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う  そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される    

転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!

音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに! え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!! 調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。

普段「はい」しか言わない僕は、そばに人がいると怖いのに、元マスターが迫ってきて弄ばれている

迷路を跳ぶ狐
BL
全105話*六月十一日に完結する予定です。 読んでいただき、エールやお気に入り、しおりなど、ありがとうございました(*≧∀≦*)  魔法の名手が生み出した失敗作と言われていた僕の処分は、ある日突然決まった。これから捨てられる城に置き去りにされるらしい。  ずっと前から廃棄処分は決まっていたし、殺されるかと思っていたのに、そうならなかったのはよかったんだけど、なぜか僕を嫌っていたはずのマスターまでその城に残っている。  それだけならよかったんだけど、ずっとついてくる。たまにちょっと怖い。  それだけならよかったんだけど、なんだか距離が近い気がする。  勘弁してほしい。  僕は、この人と話すのが、ものすごく怖いんだ。

処理中です...