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第三章 幸せの行方
55 力丸 8
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「い、いや、いやだ。あああああ!」
成人が悲鳴を上げて、必死に後退りする。
なに?なんで?
何が起こっているのか、全然分からない。
「成人…?」
手を伸ばすほど、パニックは酷くなる。
部屋の前で戸惑っていると、緋色殿下が階段を駆け上がってくるのが見えた。
あまりの殺気に、動けない。
怒っている。
「緋色!!」
兄上の大声。殿下が、ほんの少し反応を見せた隙に追いついて、後ろから抱き込んだ。
「緋色。成人を頼むぞ。力丸は俺に預けろ。」
兄上の腕に、かなり力が入っているから、殿下の行動を抑え込んでいるのだろう、とぼんやり思う。殿下のこめかみに、青筋が立っていた。
「深呼吸しろ。ほら、成人のところに行くぞ。」
兄上は、殿下を抱えたその体勢のまま、ぐいぐいと部屋へ入っていく。
俺は、その場に立ち尽くすしかない。
開いたままの扉から部屋の中が見える。成人は、絨毯の上でうずくまって呻いていた。じっとりとした汗が滲み、眉はしかめられ、苦しくて仕方ない様子だ。声を堪えているのだろう。唇を噛みしめ過ぎて血が滲んでいる。
一体どうしたっていうんだ……。
部屋へ入ったのに、殿下も兄上も少し離れた所から成人の様子を見守っている。
なんで、何もせずに見ているんだろう。揺さぶって正気に戻してやらなければ、あんな調子で唇を噛んでいたら、傷が酷くなってご飯が食べられなくなってしまう。
そう思った時には行動に移していた。部屋へ駆け込んで成人に近付き、体に手を掛ける。
「い、あ、いや、いやあああああ!」
成人の金切り声が響き渡り、俺は兄上に殴られて吹き飛んだ。ぐわん、と揺れる視界で素早く状況を確かめると、兄上は殿下に殴られて膝から崩れ落ちていた。
「う、う、うう。」
成人の呻き声にそちらを見ると、右手を口に突っ込んで声を堪えている。
ああ。今度は、手から血が出るほどに噛みしめてしまった。
どうして……。
殿下を見ると、成人を見ながら、両手の拳を握りしめて立っている。殿下の拳から、ぽたり、と血が落ちた。頭を振って起き上がった兄上が、その両手をそっと撫でる。ふー、ふー、と荒い息を吐く殿下を落ち着かせるように。
「力丸。二度目は無い。無知は罪だ。」
兄上の低い声。兄上が、殿下より先に手加減して殴ってくれたことで、俺は命拾いしたのだ……。
成人のくぐもった呻き声は続く。心を抉られるような、苦しいかなしい声を、ただ聞く。
触れてはいけない、のだ…な。
では、このまま?
血だらけの唇や右手を庇ってやることもできず、揺さぶって正気に戻してやることもできず、脂汗を拭くこともできず、何に苦しんでいるのかも分からないまま、ただここで、離れた場所で、苦しむ声を聞いている、だけ……?
俺が。
俺が、何かしたのだ。
成人が、こんな風に苦しむ何かを。
無知は、罪だった。
それから長い長い時間、成人が苦しむ姿をただ、見ていた。ただ、聞いていた。
俺のまだ短い人生の中で、最悪の時間だった。
成人が悲鳴を上げて、必死に後退りする。
なに?なんで?
何が起こっているのか、全然分からない。
「成人…?」
手を伸ばすほど、パニックは酷くなる。
部屋の前で戸惑っていると、緋色殿下が階段を駆け上がってくるのが見えた。
あまりの殺気に、動けない。
怒っている。
「緋色!!」
兄上の大声。殿下が、ほんの少し反応を見せた隙に追いついて、後ろから抱き込んだ。
「緋色。成人を頼むぞ。力丸は俺に預けろ。」
兄上の腕に、かなり力が入っているから、殿下の行動を抑え込んでいるのだろう、とぼんやり思う。殿下のこめかみに、青筋が立っていた。
「深呼吸しろ。ほら、成人のところに行くぞ。」
兄上は、殿下を抱えたその体勢のまま、ぐいぐいと部屋へ入っていく。
俺は、その場に立ち尽くすしかない。
開いたままの扉から部屋の中が見える。成人は、絨毯の上でうずくまって呻いていた。じっとりとした汗が滲み、眉はしかめられ、苦しくて仕方ない様子だ。声を堪えているのだろう。唇を噛みしめ過ぎて血が滲んでいる。
一体どうしたっていうんだ……。
部屋へ入ったのに、殿下も兄上も少し離れた所から成人の様子を見守っている。
なんで、何もせずに見ているんだろう。揺さぶって正気に戻してやらなければ、あんな調子で唇を噛んでいたら、傷が酷くなってご飯が食べられなくなってしまう。
そう思った時には行動に移していた。部屋へ駆け込んで成人に近付き、体に手を掛ける。
「い、あ、いや、いやあああああ!」
成人の金切り声が響き渡り、俺は兄上に殴られて吹き飛んだ。ぐわん、と揺れる視界で素早く状況を確かめると、兄上は殿下に殴られて膝から崩れ落ちていた。
「う、う、うう。」
成人の呻き声にそちらを見ると、右手を口に突っ込んで声を堪えている。
ああ。今度は、手から血が出るほどに噛みしめてしまった。
どうして……。
殿下を見ると、成人を見ながら、両手の拳を握りしめて立っている。殿下の拳から、ぽたり、と血が落ちた。頭を振って起き上がった兄上が、その両手をそっと撫でる。ふー、ふー、と荒い息を吐く殿下を落ち着かせるように。
「力丸。二度目は無い。無知は罪だ。」
兄上の低い声。兄上が、殿下より先に手加減して殴ってくれたことで、俺は命拾いしたのだ……。
成人のくぐもった呻き声は続く。心を抉られるような、苦しいかなしい声を、ただ聞く。
触れてはいけない、のだ…な。
では、このまま?
血だらけの唇や右手を庇ってやることもできず、揺さぶって正気に戻してやることもできず、脂汗を拭くこともできず、何に苦しんでいるのかも分からないまま、ただここで、離れた場所で、苦しむ声を聞いている、だけ……?
俺が。
俺が、何かしたのだ。
成人が、こんな風に苦しむ何かを。
無知は、罪だった。
それから長い長い時間、成人が苦しむ姿をただ、見ていた。ただ、聞いていた。
俺のまだ短い人生の中で、最悪の時間だった。
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