38 / 109
三十八
しおりを挟む
「な、泣いているのか、こた。ど、どうした?」
「泣いて、など、おりません」
「そ、そうか? いや、しかし……」
「み、見ないで、ください」
「あ、ああ。すまん。いや、だが……」
小太郎は、顔を覗き込もうとする時行に抱きつき、その胸に顔をうずめた。時行は戸惑ったまま、そんな小太郎を優しく抱え込んだ。
「いの」
時行に抱え込まれて静かに涙をこらえる小太郎を見ていると、伊之助もまた鼻の奥がつんとしてくる。伊之助は、先ほど、あんなに泣いたのに、と信じられない気持ちで必死にぱちぱちと瞬きをした。そんな伊之助の前に、真面目な顔の余四郎が背筋を伸ばして座る。余四郎は、瞬きを繰り返す伊之助の目をしっかりと見ながら口を開いた。
「いの。私も、婚約を取り消す気はもうとうないぞ」
「しろ、さま……?」
「いのは、よく言っているだろう? ご縁がある間はおそばにいさせてください、って。あれ、間違えてる。ご縁がある間、とかじゃない。ずっとだ。ずっとそばにいるんだ。いいか、いの。許婚というのはな、大人になったら婚姻するあいだがらということなんだからな。婚姻するということは、その後ずっと共に暮らすだろ? だから、私たちはずっとそばにいるってことだ。今度言うときは、ずっとおそばにいます、と言え。分かったか?」
いつの間にか、伊之助の小さな許婚は、許婚という言葉の意味を正しく理解していたらしい。その上でなお、婚約を取り消す気は毛頭ないと、伊之助にはっきりと告げてくれたのだ。
「しろ、さま……!」
自分のような人間が、いつまでも若様の許婚のままでいられるわけがないという気持ちが、伊之助にはどうしてもぬぐえなかった。許婚となった頃は、その言葉の意味がちっとも分かっていなかった二人だ。余四郎がどこぞで聞いてきてくれて分かったのが、ずっと共にいるものらしい、ということで。
その頃、世話をしてくれていた乳母が、懐妊したのでと職を辞してしまい寂しい思いをしていた余四郎と、父の不貞の子ゆえ、家族にも使用人にも遠巻きにされて育った庶子の伊之助は、名分を得て、ずっと共にいられる存在に大喜びした。だが、無邪気に喜んで余四郎と共に過ごす伊之助に、あれやこれやと親切に色んなことを教えてくれる人間は後を絶たなかった。最も多かったのは、男同士で婚姻するなどありえない、という話だ。今はこのような形になっているが、いずれ殿も思い直されるであろう。若様方も、成長されれば、男が嫁など嫌じゃと仰られるだろう。いずれ、すべては正されて、お前はお役御免になるのさ。
だから伊之助は、次第にこの婚約は限定的なものだと思うようになった。
しっかり覚悟を持ってその時に備えねばと考えていた気持ちが、余四郎に向ける言葉の端々に出ていたものらしい。
だが余四郎は、そんな伊之助の気持ちを間違えることなく読み取って返事をくれたのだ。
「しろ、さま……! しろぅさま」
伊之助は、両手を持ち上げて顔をおおった。ぼたぼたと遠慮なく零れ落ち始めた涙を見られたくなかったからだ。
「いの。それも間違いだ」
余四郎は、そんな伊之助の両手を顔からはいで、ぐいっと引っ張る。そして、自分の背中にその手を回させると、ぎゅっと伊之助に抱きついた。
「こうだ、いの。な?」
「はい!」
時行と小太郎と同じ形になって満足そうに笑うその顔に、伊之助も泣きながら笑った。
「泣いて、など、おりません」
「そ、そうか? いや、しかし……」
「み、見ないで、ください」
「あ、ああ。すまん。いや、だが……」
小太郎は、顔を覗き込もうとする時行に抱きつき、その胸に顔をうずめた。時行は戸惑ったまま、そんな小太郎を優しく抱え込んだ。
「いの」
時行に抱え込まれて静かに涙をこらえる小太郎を見ていると、伊之助もまた鼻の奥がつんとしてくる。伊之助は、先ほど、あんなに泣いたのに、と信じられない気持ちで必死にぱちぱちと瞬きをした。そんな伊之助の前に、真面目な顔の余四郎が背筋を伸ばして座る。余四郎は、瞬きを繰り返す伊之助の目をしっかりと見ながら口を開いた。
「いの。私も、婚約を取り消す気はもうとうないぞ」
「しろ、さま……?」
「いのは、よく言っているだろう? ご縁がある間はおそばにいさせてください、って。あれ、間違えてる。ご縁がある間、とかじゃない。ずっとだ。ずっとそばにいるんだ。いいか、いの。許婚というのはな、大人になったら婚姻するあいだがらということなんだからな。婚姻するということは、その後ずっと共に暮らすだろ? だから、私たちはずっとそばにいるってことだ。今度言うときは、ずっとおそばにいます、と言え。分かったか?」
いつの間にか、伊之助の小さな許婚は、許婚という言葉の意味を正しく理解していたらしい。その上でなお、婚約を取り消す気は毛頭ないと、伊之助にはっきりと告げてくれたのだ。
「しろ、さま……!」
自分のような人間が、いつまでも若様の許婚のままでいられるわけがないという気持ちが、伊之助にはどうしてもぬぐえなかった。許婚となった頃は、その言葉の意味がちっとも分かっていなかった二人だ。余四郎がどこぞで聞いてきてくれて分かったのが、ずっと共にいるものらしい、ということで。
その頃、世話をしてくれていた乳母が、懐妊したのでと職を辞してしまい寂しい思いをしていた余四郎と、父の不貞の子ゆえ、家族にも使用人にも遠巻きにされて育った庶子の伊之助は、名分を得て、ずっと共にいられる存在に大喜びした。だが、無邪気に喜んで余四郎と共に過ごす伊之助に、あれやこれやと親切に色んなことを教えてくれる人間は後を絶たなかった。最も多かったのは、男同士で婚姻するなどありえない、という話だ。今はこのような形になっているが、いずれ殿も思い直されるであろう。若様方も、成長されれば、男が嫁など嫌じゃと仰られるだろう。いずれ、すべては正されて、お前はお役御免になるのさ。
だから伊之助は、次第にこの婚約は限定的なものだと思うようになった。
しっかり覚悟を持ってその時に備えねばと考えていた気持ちが、余四郎に向ける言葉の端々に出ていたものらしい。
だが余四郎は、そんな伊之助の気持ちを間違えることなく読み取って返事をくれたのだ。
「しろ、さま……! しろぅさま」
伊之助は、両手を持ち上げて顔をおおった。ぼたぼたと遠慮なく零れ落ち始めた涙を見られたくなかったからだ。
「いの。それも間違いだ」
余四郎は、そんな伊之助の両手を顔からはいで、ぐいっと引っ張る。そして、自分の背中にその手を回させると、ぎゅっと伊之助に抱きついた。
「こうだ、いの。な?」
「はい!」
時行と小太郎と同じ形になって満足そうに笑うその顔に、伊之助も泣きながら笑った。
705
お気に入りに追加
474
あなたにおすすめの小説


幸せになりたかった話
幡谷ナツキ
BL
このまま幸せでいたかった。
このまま幸せになりたかった。
このまま幸せにしたかった。
けれど、まあ、それと全部置いておいて。
「苦労もいつかは笑い話になるかもね」
そんな未来を想像して、一歩踏み出そうじゃないか。

囚われた元王は逃げ出せない
スノウ
BL
異世界からひょっこり召喚されてまさか国王!?でも人柄が良く周りに助けられながら10年もの間、国王に準じていた
そうあの日までは
忠誠を誓ったはずの仲間に王位を剥奪され次々と手篭めに
なんで俺にこんな事を
「国王でないならもう俺のものだ」
「僕をあなたの側にずっといさせて」
「君のいない人生は生きられない」
「私の国の王妃にならないか」
いやいや、みんな何いってんの?

尊敬している先輩が王子のことを口説いていた話
天使の輪っか
BL
新米騎士として王宮に勤めるリクの教育係、レオ。
レオは若くして団長候補にもなっている有力団員である。
ある日、リクが王宮内を巡回していると、レオが第三王子であるハヤトを口説いているところに遭遇してしまった。
リクはこの事を墓まで持っていくことにしたのだが......?

前世である母国の召喚に巻き込まれた俺
るい
BL
国の為に戦い、親友と言える者の前で死んだ前世の記憶があった俺は今世で今日も可愛い女の子を口説いていた。しかし何故か気が付けば、前世の母国にその女の子と召喚される。久しぶりの母国に驚くもどうやら俺はお呼びでない者のようで扱いに困った国の者は騎士の方へ面倒を投げた。俺は思った。そう、前世の職場に俺は舞い戻っている。

みどりとあおとあお
うりぼう
BL
明るく元気な双子の弟とは真逆の性格の兄、碧。
ある日、とある男に付き合ってくれないかと言われる。
モテる弟の身代わりだと思っていたけれど、いつからか惹かれてしまっていた。
そんな碧の物語です。
短編。

金の野獣と薔薇の番
むー
BL
結季には記憶と共に失った大切な約束があった。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
止むを得ない事情で全寮制の学園の高等部に編入した結季。
彼は事故により7歳より以前の記憶がない。
高校進学時の検査でオメガ因子が見つかるまでベータとして養父母に育てられた。
オメガと判明したがフェロモンが出ることも発情期が来ることはなかった。
ある日、編入先の学園で金髪金眼の皇貴と出逢う。
彼の纒う薔薇の香りに発情し、結季の中のオメガが開花する。
その薔薇の香りのフェロモンを纏う皇貴は、全ての性を魅了し学園の頂点に立つアルファだ。
来るもの拒まずで性に奔放だが、番は持つつもりはないと公言していた。
皇貴との出会いが、少しずつ結季のオメガとしての運命が動き出す……?
4/20 本編開始。
『至高のオメガとガラスの靴』と同じ世界の話です。
(『至高の〜』完結から4ヶ月後の設定です。)
※シリーズものになっていますが、どの物語から読んでも大丈夫です。
【至高のオメガとガラスの靴】
↓
【金の野獣と薔薇の番】←今ココ
↓
【魔法使いと眠れるオメガ】
出戻り聖女はもう泣かない
たかせまこと
BL
西の森のとば口に住むジュタは、元聖女。
男だけど元聖女。
一人で静かに暮らしているジュタに、王宮からの使いが告げた。
「王が正室を迎えるので、言祝ぎをお願いしたい」
出戻りアンソロジー参加作品に加筆修正したものです。
ムーンライト・エブリスタにも掲載しています。
表紙絵:CK2さま
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる