余四郎さまの言うことにゃ

かずえ

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三十八

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「な、泣いているのか、こた。ど、どうした?」
「泣いて、など、おりません」
「そ、そうか? いや、しかし……」
「み、見ないで、ください」
「あ、ああ。すまん。いや、だが……」

 小太郎は、顔を覗き込もうとする時行に抱きつき、その胸に顔をうずめた。時行は戸惑ったまま、そんな小太郎を優しく抱え込んだ。

「いの」

 時行に抱え込まれて静かに涙をこらえる小太郎を見ていると、伊之助もまた鼻の奥がつんとしてくる。伊之助は、先ほど、あんなに泣いたのに、と信じられない気持ちで必死にぱちぱちと瞬きをした。そんな伊之助の前に、真面目な顔の余四郎が背筋を伸ばして座る。余四郎は、瞬きを繰り返す伊之助の目をしっかりと見ながら口を開いた。

「いの。私も、婚約を取り消す気はもうとうないぞ」
「しろ、さま……?」
「いのは、よく言っているだろう? ご縁がある間はおそばにいさせてください、って。あれ、間違えてる。ご縁がある間、とかじゃない。ずっとだ。ずっとそばにいるんだ。いいか、いの。許婚というのはな、大人になったら婚姻するあいだがらということなんだからな。婚姻するということは、その後ずっと共に暮らすだろ? だから、私たちはずっとそばにいるってことだ。今度言うときは、ずっとおそばにいます、と言え。分かったか?」

 いつの間にか、伊之助の小さな許婚は、許婚という言葉の意味を正しく理解していたらしい。その上でなお、婚約を取り消す気は毛頭ないと、伊之助にはっきりと告げてくれたのだ。

「しろ、さま……!」

 自分のような人間が、いつまでも若様の許婚のままでいられるわけがないという気持ちが、伊之助にはどうしてもぬぐえなかった。許婚となった頃は、その言葉の意味がちっとも分かっていなかった二人だ。余四郎がどこぞで聞いてきてくれて分かったのが、ずっと共にいるものらしい、ということで。
 その頃、世話をしてくれていた乳母が、懐妊したのでと職を辞してしまい寂しい思いをしていた余四郎と、父の不貞の子ゆえ、家族にも使用人にも遠巻きにされて育った庶子の伊之助は、名分を得て、ずっと共にいられる存在に大喜びした。だが、無邪気に喜んで余四郎と共に過ごす伊之助に、あれやこれやと親切に色んなことを教えてくれる人間は後を絶たなかった。最も多かったのは、男同士で婚姻するなどありえない、という話だ。今はこのような形になっているが、いずれ殿も思い直されるであろう。若様方も、成長されれば、男が嫁など嫌じゃと仰られるだろう。いずれ、すべては正されて、お前はお役御免になるのさ。
 だから伊之助は、次第にこの婚約は限定的なものだと思うようになった。
 しっかり覚悟を持ってその時に備えねばと考えていた気持ちが、余四郎に向ける言葉の端々に出ていたものらしい。
 だが余四郎は、そんな伊之助の気持ちを間違えることなく読み取って返事をくれたのだ。

「しろ、さま……! しろぅさま」 

 伊之助は、両手を持ち上げて顔をおおった。ぼたぼたと遠慮なく零れ落ち始めた涙を見られたくなかったからだ。

「いの。それも間違いだ」

 余四郎は、そんな伊之助の両手を顔からはいで、ぐいっと引っ張る。そして、自分の背中にその手を回させると、ぎゅっと伊之助に抱きついた。

「こうだ、いの。な?」
「はい!」 

 時行と小太郎と同じ形になって満足そうに笑うその顔に、伊之助も泣きながら笑った。
 
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