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二十四
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「た、玉乃川……?」
首を傾げる子どもたちをかき分けて、入り口から動けなくなっていた伊之助のもとに来た師範が、呆然と声を上げる。それから、ばっと膝をついて平伏した。
「わ、若様」
師範の様子を見た子どもたちが、ええ? えええ? と声を上げながらも、次々に師範に倣って膝をつく。戸惑う年少の子どもたちを年長の子が押さえて、ずらりと下がった頭が並んだ。
余四郎に手を繋がれて動けなかった伊之助が呆然としていると、余四郎のしっかりとした声がかかる。
「おもてをあげよ」
「は、ははっ」
師範は、余四郎の言葉に従って顔を上げたが、そのまままた、動きを止めた。子どもたちも、おそるおそる顔を上げて固まっている。
「いの」
「は、はい、四郎さま……」
そんな人々に動じることもなく、余四郎は隣で立ち尽くす伊之助を見上げた。
自分も、あちらで皆と同じ姿勢を取らなければならなかったのではないか、と伊之助は慌てたが、余四郎は伊之助の手を離さない。どうやら、ここにいていいものであるらしい。
「いののようじがあるのであろ?」
「え? あ、はい……」
よし、と頷く余四郎はもう、自分のやることは済んだとばかりの姿勢だ。後は、伊之助がこの状況を何とかするのであるらしい。そのことに気付いて、伊之助は途方に暮れた。
自分が?
つい先ほどまで、このひざまずく人たちと共に居た自分が?
伊之助は余四郎を見た。いつもと変わらぬ姿で、余四郎はそこに立っている。
そうか。そうだった。四郎さまは若様で……。
そして、そんな若様の、伊之助は許婚なのだ。
伊之助は少し考えて。それから、余四郎の手をそっと離して師範の前に膝をついた。
「先生。おいら、藩校に行けって言われました。四郎さまの、若様の許婚になったから。でも……」
今までのようにこちらに通いたいです、と言いたくて、でも言えなくて、伊之助は一度口をつぐんだ。ずっとここに通って、何か町での仕事を紹介してもらって、そうして、働きながら生きていくのだろうな、と考えていた。ここに通う皆がそうであるように。
けれど、どうやら伊之助はそうではなくなったようだ。
はい、と言うしかなかったけれど、はい、はい、と返事をしていたらこうなった。こうして、膝をつく人々を見下ろすような立場に、なっていた。
伊之助は、ふる、と首を横に振ってから、黙って耳を傾けてくれる師範に向かって言葉を続ける。
「あの、お礼を言いに、来ました。今まで、お世話になりました」
「伊之助、さま……」
本当は、ここに通いたい。急に、違うところへ行けと言われて戸惑っている。父の言うことには、はい、と返事をするしかできないのだけれど、伊之助にだってそうした自分の気持ちがあるのだ。
せめて、兄の姿が藩校から見えなくなるまでは藩校には行きたくない、とか。でも、それは無理だ。四郎は若様だから。そんな若様の、伊之助は許婚だから。
「おいら、ここで学んだこと、忘れません。ありがとうございました」
首を傾げる子どもたちをかき分けて、入り口から動けなくなっていた伊之助のもとに来た師範が、呆然と声を上げる。それから、ばっと膝をついて平伏した。
「わ、若様」
師範の様子を見た子どもたちが、ええ? えええ? と声を上げながらも、次々に師範に倣って膝をつく。戸惑う年少の子どもたちを年長の子が押さえて、ずらりと下がった頭が並んだ。
余四郎に手を繋がれて動けなかった伊之助が呆然としていると、余四郎のしっかりとした声がかかる。
「おもてをあげよ」
「は、ははっ」
師範は、余四郎の言葉に従って顔を上げたが、そのまままた、動きを止めた。子どもたちも、おそるおそる顔を上げて固まっている。
「いの」
「は、はい、四郎さま……」
そんな人々に動じることもなく、余四郎は隣で立ち尽くす伊之助を見上げた。
自分も、あちらで皆と同じ姿勢を取らなければならなかったのではないか、と伊之助は慌てたが、余四郎は伊之助の手を離さない。どうやら、ここにいていいものであるらしい。
「いののようじがあるのであろ?」
「え? あ、はい……」
よし、と頷く余四郎はもう、自分のやることは済んだとばかりの姿勢だ。後は、伊之助がこの状況を何とかするのであるらしい。そのことに気付いて、伊之助は途方に暮れた。
自分が?
つい先ほどまで、このひざまずく人たちと共に居た自分が?
伊之助は余四郎を見た。いつもと変わらぬ姿で、余四郎はそこに立っている。
そうか。そうだった。四郎さまは若様で……。
そして、そんな若様の、伊之助は許婚なのだ。
伊之助は少し考えて。それから、余四郎の手をそっと離して師範の前に膝をついた。
「先生。おいら、藩校に行けって言われました。四郎さまの、若様の許婚になったから。でも……」
今までのようにこちらに通いたいです、と言いたくて、でも言えなくて、伊之助は一度口をつぐんだ。ずっとここに通って、何か町での仕事を紹介してもらって、そうして、働きながら生きていくのだろうな、と考えていた。ここに通う皆がそうであるように。
けれど、どうやら伊之助はそうではなくなったようだ。
はい、と言うしかなかったけれど、はい、はい、と返事をしていたらこうなった。こうして、膝をつく人々を見下ろすような立場に、なっていた。
伊之助は、ふる、と首を横に振ってから、黙って耳を傾けてくれる師範に向かって言葉を続ける。
「あの、お礼を言いに、来ました。今まで、お世話になりました」
「伊之助、さま……」
本当は、ここに通いたい。急に、違うところへ行けと言われて戸惑っている。父の言うことには、はい、と返事をするしかできないのだけれど、伊之助にだってそうした自分の気持ちがあるのだ。
せめて、兄の姿が藩校から見えなくなるまでは藩校には行きたくない、とか。でも、それは無理だ。四郎は若様だから。そんな若様の、伊之助は許婚だから。
「おいら、ここで学んだこと、忘れません。ありがとうございました」
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