21 / 55
二十一
しおりを挟む
「先生と相談しますね」
いつもとは違う笑顔で、草庵は言った。ずいぶんと帰りの遅かった良庵との間でどんな話がなされたのか、子どもは寝る時間だと、暗くなって早々に布団に入れられた伊之助には分からない。けれど、翌朝、いつもより早起きしてきた良庵は、伊之助の元へ来て右腕の添え木を付けなおしてくれた。より動かないようにするため、首から布で腕を吊ってくれて、無理はしないように、と言った。
添え木を付けなおす間の痛みに、必死に唇を噛みしめていた伊之助は、良庵のその言葉に、ぽかんと口を開けた。
「痛い時や辛い時、我慢をしたりしないように。武士だって、痛い時は痛いもんだ」
「え、ええっと……」
「いくら医者でも、言ってもらわねば、どこが悪いのか、痛んでいるのか分からん。我慢しているうちに悪化して手の施しようがなくなっては、私が必死に学んだことがすべて無駄になってしまう」
「は……い」
「いい子だ」
「……」
どこでも、うるさくすると怒られた。屋敷で、伊之助が気安く話しかけることのできる相手などいなかった。皆、奥方様の機嫌を損ねないように気を付けていたから。でも、父が存在を認めた子どもだから、それなりに伊之助の世話をしなくてはならなかった。
体調を崩した時、転んで怪我をした時。いつも、手当てはしてもらえた。けれど、仕事が増えて迷惑だ、という態度を誰も隠さなかった。伊之助なりに、迷惑を掛けぬよう心がけてはいる。でも、今回のように、怪我をすることを避けられない出来事は度々あった。そんな時、伊之助にできることは、唇を噛んで、せめて声を出さぬよう我慢することだけ。そうしていれば、少なくとも放っておいてもらえた。困った顔を見なくて済む。ため息を聞かずに済む。
それを、するな、と言われるなんて。
でも、良庵先生の学んだことが無駄になってしまう、と言われたら、それは駄目だな、と分かった。だから伊之助は、戸惑いながらも、はい、と頷いた。すぐに、痛い、苦しい、辛い、を伝えることは難しいかもしれないけれど、良庵先生のこの言葉は覚えていよう。
その日は、草庵は家に残って、伊之助さまと共に寺子屋へ行きます、と言ってくれた。伊之助は、素直に甘えて頷いた。
だから、いつも通り屋敷を訪ねてきた余四郎に二人は言ったのだ。
「今日は、寺子屋へ行ってきます。連絡が間に合わず、すみません。今日は、四郎さまと遊べません」
だが、てらこやとはなんだ? と首を傾げた余四郎は、藩校のようなところです、という草庵の説明を聞いてこう言った。
「しろうもいく」
いつもとは違う笑顔で、草庵は言った。ずいぶんと帰りの遅かった良庵との間でどんな話がなされたのか、子どもは寝る時間だと、暗くなって早々に布団に入れられた伊之助には分からない。けれど、翌朝、いつもより早起きしてきた良庵は、伊之助の元へ来て右腕の添え木を付けなおしてくれた。より動かないようにするため、首から布で腕を吊ってくれて、無理はしないように、と言った。
添え木を付けなおす間の痛みに、必死に唇を噛みしめていた伊之助は、良庵のその言葉に、ぽかんと口を開けた。
「痛い時や辛い時、我慢をしたりしないように。武士だって、痛い時は痛いもんだ」
「え、ええっと……」
「いくら医者でも、言ってもらわねば、どこが悪いのか、痛んでいるのか分からん。我慢しているうちに悪化して手の施しようがなくなっては、私が必死に学んだことがすべて無駄になってしまう」
「は……い」
「いい子だ」
「……」
どこでも、うるさくすると怒られた。屋敷で、伊之助が気安く話しかけることのできる相手などいなかった。皆、奥方様の機嫌を損ねないように気を付けていたから。でも、父が存在を認めた子どもだから、それなりに伊之助の世話をしなくてはならなかった。
体調を崩した時、転んで怪我をした時。いつも、手当てはしてもらえた。けれど、仕事が増えて迷惑だ、という態度を誰も隠さなかった。伊之助なりに、迷惑を掛けぬよう心がけてはいる。でも、今回のように、怪我をすることを避けられない出来事は度々あった。そんな時、伊之助にできることは、唇を噛んで、せめて声を出さぬよう我慢することだけ。そうしていれば、少なくとも放っておいてもらえた。困った顔を見なくて済む。ため息を聞かずに済む。
それを、するな、と言われるなんて。
でも、良庵先生の学んだことが無駄になってしまう、と言われたら、それは駄目だな、と分かった。だから伊之助は、戸惑いながらも、はい、と頷いた。すぐに、痛い、苦しい、辛い、を伝えることは難しいかもしれないけれど、良庵先生のこの言葉は覚えていよう。
その日は、草庵は家に残って、伊之助さまと共に寺子屋へ行きます、と言ってくれた。伊之助は、素直に甘えて頷いた。
だから、いつも通り屋敷を訪ねてきた余四郎に二人は言ったのだ。
「今日は、寺子屋へ行ってきます。連絡が間に合わず、すみません。今日は、四郎さまと遊べません」
だが、てらこやとはなんだ? と首を傾げた余四郎は、藩校のようなところです、という草庵の説明を聞いてこう言った。
「しろうもいく」
528
お気に入りに追加
373
あなたにおすすめの小説
悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!
梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!?
【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】
▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。
▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。
▼毎日18時投稿予定
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
【完結】別れ……ますよね?
325号室の住人
BL
☆全3話、完結済
僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。
ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。
もう人気者とは付き合っていられません
花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。
モテるのは当然だ。でも――。
『たまには二人だけで過ごしたい』
そう願うのは、贅沢なのだろうか。
いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。
「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。
ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。
生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。
※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中
心からの愛してる
マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。
全寮制男子校
嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります
※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください
婚約破棄された王子は地の果てに眠る
白井由貴
BL
婚約破棄された黒髪黒目の忌み子王子が最期の時を迎えるお話。
そして彼を取り巻く人々の想いのお話。
■□■
R5.12.17 文字数が5万字を超えそうだったので「短編」から「長編」に変更しました。
■□■
※タイトルの通り死にネタです。
※BLとして書いてますが、CP表現はほぼありません。
※ムーンライトノベルズ様にも掲載しています。
雫
ゆい
BL
涙が落ちる。
涙は彼に届くことはない。
彼を想うことは、これでやめよう。
何をどうしても、彼の気持ちは僕に向くことはない。
僕は、その場から音を立てずに立ち去った。
僕はアシェル=オルスト。
侯爵家の嫡男として生まれ、10歳の時にエドガー=ハルミトンと婚約した。
彼には、他に愛する人がいた。
世界観は、【夜空と暁と】と同じです。
アルサス達がでます。
【夜空と暁と】を知らなくても、これだけで読めます。
随時更新です。
転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!
音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに!
え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!!
調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる