余四郎さまの言うことにゃ

かずえ

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十一

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「さあ、様子は見られたであろう。これで良いか。この通り、これは、自らの不注意で転んで腕の骨を傷めてしまったのだ。いっときは、傷が腫れて出た熱が高く危ういやもしれぬと医者が言うておったが、看病の甲斐あって、峠は越えたとのこと。余四郎さまにも報告いたした通りだ。確かにそうであったと、お主からしかと報告しておいてくれ。お主をこうしてわが家へ寄越すということは、私の言葉は、信用してもらえなかったようだからな。なあ、直井小太郎殿?」
「……峠は、超えた。これで……」

 人の声だ、と伊之助はぼんやり思う。兄と、聞き覚えのない子どもの声が話している。
 痛い、熱い、苦しい、水が欲しい、以外のことを思うのは久しぶりだった。覚醒しては、痛くて苦しくて、もう目を覚ましたくない、とまで思っていたけれど。
 余四郎さま、と聞こえて、ああ、と伊之助は掠れた息を吐いた。
 会いたいな。いの、と呼んでほしいな。
 不思議なことだ。
 知り合ったのはついこの間のことなのに、こうして弱っている時に会いたいのは、声を聞きたいのは、余四郎だった。

「ああ、医者は確かにそう言っておった。さあ、もうよいであろう? 帰りはあちらだ」
「いや、できれば、伊之助殿と言葉を交わしたい。しばし、こちらで目覚めを待たせてもらっても?」
「は? あ、いや。……この通りであるから、いつ目を覚ますとも知れぬ。待っても無駄だ。見舞いの名目は果たしたのだからよいだろう? 帰れ」

 兄がいるので目を開けずに寝たふりをしていたが、開けた方がいいのだろうか。

「いや。私が、もうしばし、伊之助殿を見舞いたいのだ。成正なりまさ殿にはお付き合い頂かなくとも結構。ここに座っておるだけだ。動く際は必ずお声掛けいたすので、心配ご無用。世話係の女中も、こちらの部屋に戻していただいて構わない。伊之助殿のお目が覚めたら、少し声を掛けてから失礼することとする」
「いや。これの体に負担があってはいかぬ。本日はお引き取りいただこう」 

 伊之助は、ぱちりと目を開けた。
 長いまつげに縁どられた切れ長の目と、目が合う。伊之助の知らない子だった。けれど、その子は、ああ、と心底ほっとしたように息を吐いて伊之助殿、と言った。高く澄んだ聞き取りやすい声だった。

「はい……」

 反射的に返事をしたが、ひどく掠れて、自分でも聞き取りにくい。

「ああ、無理はなさらぬように。水、は見当たらぬな。成正殿。女中に飲み水を持ってくるよう頼んできてくださらぬか」
「は? なんで私が」
「家の者を差し置いて、私が貴家の使用人に用を言いつけるのもおかしかろう。そうしてよいと言うなら、そうするが?」    
「ぐ、む。くそ。おい! おい、誰かおらぬか。くそ、おらんのか」

 いらえがなかったのか、兄が部屋を出て行った。
 ほう、と思わず息を吐いた伊之助を優しい目が見ている。ふと、この人は兄と対等に話していたな、と思い当たり、伊之助は慌てて身を起そうとした。もちろん、身を起こすことなどできずに、体に走った痛みに呻くこととなった。

「ああ、ああ。そのままで。無理をしてはいけない」

 布団を掛けなおしてくれる手つきが優しい。

「私は、直井小太郎という。梅千代さまの許婚だ」
「はい……」

 伊之助です。余四郎さまの許婚です、と言いたかったが、上手く声が出せなかった。

「苦しいだろう。無理に声を出さずともよい。……大変だったな」

 どこまでも心配してくれる様子に、喉が詰まる。

「そなたが三日も藩校に来ぬもので、余四郎さまが大層気をもまれていらっしゃった。見舞いに行くと言ってきかぬのを留めて、私が代わりに来た」

 そこで、小太郎は声を潜める。

「転んでできる傷でないことは、見れば明白。しかし、そなたの家の者は皆、そなたが転んだと申している」

 そうか。なら、伊之助は転んだのだろう。

「梅千代さまと余四郎さまには、見たままを申し上げるつもりだ」

 伊之助は、そっと首を横に振った。

「しかし、伊之助殿……」

 そこに兄が女中を連れて戻ってくる。
 小太郎は、済ました顔で座り直した。

「話せたなら、もうお帰りいただこう」
「そうだな。本日は失礼して、また明日来ることとしよう。伊之助殿の負担になってもいけないしな」
「はあ?」
「伊之助殿。くれぐれも。お大事に」

 伊之助は、兄に一歩も引かない小太郎を、かっこいい人だなあ、と思った。     
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