余四郎さまの言うことにゃ

かずえ

文字の大きさ
上 下
6 / 37

しおりを挟む
「いの。いの。こっちだ。ここにすわれ」
「はい。余四郎さま」
「うん。いの」

 余四郎が機嫌よく指し示したのは、師範の目の前。余四郎の隣の席である。伊之助の兄よりも上座かみざであった。
 ざわり、と揺れる他の子どもたちを目に入れないようにしながら、伊之助は余四郎の隣に座る。首にしっかり力を入れておかないと、すぐにうつむいてしまいそうだ。
 初めて足を踏み入れた藩校はんこうは、兄に似た格好の子どもばかりで落ち着かなかった。一応、今日は伊之助も兄のおさがりの着物を着せてもらっている。ここにいる皆と同じような格好になっているはずなのだが、どうにも馴染めそうにない。周りの、伊之助を見る目が鋭いように感じて、逃げ出してしまいたくなっていた。
 だが、皆の目につかない後ろの席に座るわけにもいかない。伊之助の席はここなのだ。
 そう。余四郎の隣に決まっている。
 だって余四郎は言ったのだ。

「いいなじゅけというのはな、いのしゅけ。ずうっとともにいりゅものなんだ」
「へえ。そうなんですか」

 伊之助は、真面目な顔で頷いた。伊之助には、許婚いいなずけというものがよく分かっていない。誰かに聞こうにも、暮らしている屋敷の使用人たちに、うかつに聞いてもよいものかどうかの判断がつかなかった。寺子屋に行った時に師範に聞こう、と思っていたが、余四郎との顔合わせの後、屋敷から出してもらえぬままに二日が過ぎた。そうして、余四郎が呼んでいるからと言われて、また、父と城へ足を運んだ。着せられた着物は姉ではなく兄のおさがりで、父は仕事だとすぐに伊之助の側を離れたので、心底ほっとした。
 向かい合った余四郎は、許しを得て顔を上げた伊之助をまじまじと見た。格好が違うから分からないかもしれぬ、と伊之助は心配したが、いのしゅけか、と聞かれて思わずにこりとしながら、はいと言えば余四郎は、あ、いのしゅけだ、とすぐに得心してくれた。
 そこからの、許婚いいなずけ談義である。
 伊之助が、寺子屋に行かせてもらえず、使用人の手伝いをしたり、繕い物の練習などというものをさせられている間に、余四郎が調べていてくれたらしい。
 真面目に頷いた伊之助に、余四郎も、うんと頷いた。

「うん、そうだ。だからいのしゅけは、しろうとずっといろ」
「はあ……」

 と言ってもどうやって、と伊之助が首をひねっていると、余四郎はにこにこと笑った。

「ちちうえが、すこしはやいがしろうもはんこうにかよえばよいというてくれた」
「はんこう?」
「むっつになれば、みないくのであろ?」
「ははあ、なるほど……」

 兄の通っている寺子屋のことか、とぴんときた伊之助は曖昧に頷く。兄のいる場所へわざわざ行きたくはない。行きたくはないが、そういう訳にもいかぬのだろうなあ、と考えながら屋敷に戻ると、案の定、父から、明日から藩校へ通うように、と言われた。
 そうなることを予想して、帰り際、伊之助は余四郎に、自分のことをいの、と呼んでほしい、とお願いして別れた。いのしゅけ、と余四郎の可愛らしい声で呼ばれると、思わずにこりと笑ってしまうからだ。そんな顔を兄に見られたら、後でどんな目に合うか分からない、と思って。
 だが先ほど、いの、と自分を呼んだ余四郎もとても可愛くて、あまり意味はなかったかもしれないとちょっと思った。周りからの視線の鋭さに顔がこわばっていたので助かったが。
 そんな訳で、初めて藩校に来た二人は、仲良く並んで座り授業を受けた。渡された教書きょうしょは、伊之助がこれまで通っていた寺子屋では習っていない漢字や言葉がたくさん並んでいて、共に音読しろと言われても無理だった。
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

ゆい
BL
涙が落ちる。 涙は彼に届くことはない。 彼を想うことは、これでやめよう。 何をどうしても、彼の気持ちは僕に向くことはない。 僕は、その場から音を立てずに立ち去った。 僕はアシェル=オルスト。 侯爵家の嫡男として生まれ、10歳の時にエドガー=ハルミトンと婚約した。 彼には、他に愛する人がいた。 世界観は、【夜空と暁と】と同じです。 アルサス達がでます。 【夜空と暁と】を知らなくても、これだけで読めます。 随時更新です。

諦めようとした話。

みつば
BL
もう限界だった。僕がどうしても君に与えられない幸せに目を背けているのは。 どうか幸せになって 溺愛攻め(微執着)×ネガティブ受け(めんどくさい)

心からの愛してる

マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。 全寮制男子校 嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります ※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください

その部屋に残るのは、甘い香りだけ。

ロウバイ
BL
愛を思い出した攻めと愛を諦めた受けです。 同じ大学に通う、ひょんなことから言葉を交わすようになったハジメとシュウ。 仲はどんどん深まり、シュウからの告白を皮切りに同棲するほどにまで関係は進展するが、男女の恋愛とは違い明確な「ゴール」のない二人の関係は、失速していく。 一人家で二人の関係を見つめ悩み続けるシュウとは対照的に、ハジメは毎晩夜の街に出かけ二人の関係から目を背けてしまう…。

新しい道を歩み始めた貴方へ

mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。 そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。 その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。 あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。 あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?

一日だけの魔法

うりぼう
BL
一日だけの魔法をかけた。 彼が自分を好きになってくれる魔法。 禁忌とされている、たった一日しか持たない魔法。 彼は魔法にかかり、自分に夢中になってくれた。 俺の名を呼び、俺に微笑みかけ、俺だけを好きだと言ってくれる。 嬉しいはずなのに、これを望んでいたはずなのに…… ※いきなり始まりいきなり終わる ※エセファンタジー ※エセ魔法 ※二重人格もどき ※細かいツッコミはなしで

俺の彼氏は俺の親友の事が好きらしい

15
BL
「だから、もういいよ」 俺とお前の約束。

処理中です...