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四
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「男同士で縁を結ばせる、と言うたはずだが?」
伊之助が平伏して待っていた部屋に入ってきた殿様の第一声はそれだった。伊之助と同じように平伏していた父が、は、と声を上げる。
「もちろん、次男の……」
父はそこで少し言葉を詰め、言い直した。
「私めの次男でございます」
「そうか。面を上げよ。名は?」
すぐに頭を上げた父を頭を下げたままそっと伺うと、父はじろりと伊之助の方を睨んでいた。
「殿のお達しである。名乗りなさい」
ははあ、なるほど。
伊之助は得心する。
どうやら父は、呼ぶこともなく耳にもしない伊之助の名が咄嗟に出てこなかったらしい。
す、と頭を上げた伊之助は、真っ直ぐに前を向いてお腹に力を入れた。正座した膝の上で拳をぎゅっと握る。
「伊之助です!」
考えていたより大きな声が出たが、まあいいだろう。女だと思われても困る。どんな姿をしていても、伊之助は決して女ではないのだから。
「ば、馬鹿者。殿の御前で声を張り上げるでない」
「くく、よい。元気そうで何より。伊之助、とな。確かに男であるようだ。あい分かった。余四郎、聞いたな。そなたの嫁候補の伊之助である。そなたも名乗れ」
伊之助の大声に父は慌てたが、殿様は気にする様子も無かった。隣に座る男児に声をかけると、男児は伊之助と同じように声を張り上げる。
「よしろう! たまのがわよしろうだ。いのすけは、いのすけだけか?」
元気に名乗った余四郎の、伊之助だけか、の言葉の意味が分からず、伊之助は首を傾げた。父が慌てて口を開く。
「我が子ですから、もちろん、飯原伊之助にございます」
なるほど、家名。家名を聞かれていたのであったらしい。考えてみれば、お城で家名を名乗らない者などそうそうおるまい。しかし、伊之助はそれを名乗ったことがなかったので、すっかり失念していた。これからは名乗ってもよいのだろうか。
「そうか、わかった。いいはりゃ……んん? いい、いい、は、りゃ、」
「伊之助、だけで大丈夫です」
飯原と上手く言えずに、むむ、と眉をしかめる余四郎が可愛らしい。伊之助は、思わず笑みを浮かべて言ってしまった。返事以外に口を開くな、と言われていた事など、すっかり忘れて。
余四郎さまは、通っている寺子屋で今、一番小さい善吉より、もう少し小さいだろうか。五つか六つかな。
と、ばしっと強く肩を叩かれた。
「無礼者。若君のお言葉を笑うとは何事か」
父の小声の叱責。
ああ、そうか。
今、目の前にいるのは、普段、家で一番偉い父が平伏するくらい偉い人たちなのだった。伊之助は、慌てて気を引き締めようとする。
だが、何故だろう。家にいる時より、体が強ばっていない。
「ん、わかった。いのしゅけ」
余四郎の返事に、伊之助はやはり、笑みを止めることができなかった。
伊之助が平伏して待っていた部屋に入ってきた殿様の第一声はそれだった。伊之助と同じように平伏していた父が、は、と声を上げる。
「もちろん、次男の……」
父はそこで少し言葉を詰め、言い直した。
「私めの次男でございます」
「そうか。面を上げよ。名は?」
すぐに頭を上げた父を頭を下げたままそっと伺うと、父はじろりと伊之助の方を睨んでいた。
「殿のお達しである。名乗りなさい」
ははあ、なるほど。
伊之助は得心する。
どうやら父は、呼ぶこともなく耳にもしない伊之助の名が咄嗟に出てこなかったらしい。
す、と頭を上げた伊之助は、真っ直ぐに前を向いてお腹に力を入れた。正座した膝の上で拳をぎゅっと握る。
「伊之助です!」
考えていたより大きな声が出たが、まあいいだろう。女だと思われても困る。どんな姿をしていても、伊之助は決して女ではないのだから。
「ば、馬鹿者。殿の御前で声を張り上げるでない」
「くく、よい。元気そうで何より。伊之助、とな。確かに男であるようだ。あい分かった。余四郎、聞いたな。そなたの嫁候補の伊之助である。そなたも名乗れ」
伊之助の大声に父は慌てたが、殿様は気にする様子も無かった。隣に座る男児に声をかけると、男児は伊之助と同じように声を張り上げる。
「よしろう! たまのがわよしろうだ。いのすけは、いのすけだけか?」
元気に名乗った余四郎の、伊之助だけか、の言葉の意味が分からず、伊之助は首を傾げた。父が慌てて口を開く。
「我が子ですから、もちろん、飯原伊之助にございます」
なるほど、家名。家名を聞かれていたのであったらしい。考えてみれば、お城で家名を名乗らない者などそうそうおるまい。しかし、伊之助はそれを名乗ったことがなかったので、すっかり失念していた。これからは名乗ってもよいのだろうか。
「そうか、わかった。いいはりゃ……んん? いい、いい、は、りゃ、」
「伊之助、だけで大丈夫です」
飯原と上手く言えずに、むむ、と眉をしかめる余四郎が可愛らしい。伊之助は、思わず笑みを浮かべて言ってしまった。返事以外に口を開くな、と言われていた事など、すっかり忘れて。
余四郎さまは、通っている寺子屋で今、一番小さい善吉より、もう少し小さいだろうか。五つか六つかな。
と、ばしっと強く肩を叩かれた。
「無礼者。若君のお言葉を笑うとは何事か」
父の小声の叱責。
ああ、そうか。
今、目の前にいるのは、普段、家で一番偉い父が平伏するくらい偉い人たちなのだった。伊之助は、慌てて気を引き締めようとする。
だが、何故だろう。家にいる時より、体が強ばっていない。
「ん、わかった。いのしゅけ」
余四郎の返事に、伊之助はやはり、笑みを止めることができなかった。
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