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83 塔の無い塔の町
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「ぃってきます。」
元気に響く声は、相変わらず掠れている。けれど、よほど耳の遠い年寄り以外には、誰にでもしっかり通じるようになった。
「本当に一人で行くの?」
玄関で、イズモがまた同じ言葉を繰り返す。
「ぃくよ。じゃね。」
ヤクモは面倒臭くなって、すたすたと歩き出した。
初めての一人での買い物に、内心はひどく緊張しているのだが、それを言ったり見せたりすると、やっぱり一緒に行く、とイズモに言われてしまうだろう。
「ぉれは、ひとりでだいじょーぶ。」
自分に言い聞かせるように呟きながら、商店街への道を歩く。何度も何度も来ている所だ。店の人たちも顔見知りで、買う物も決まっている。
だいじょーぶ。だいじょーぶ。
「ヤクモちゃん?」
「ぁい!」
商店街の入り口で、声を掛けられる。ヤクモは、反射的に返事をした。
「一人かい?」
近所の家に住む初老のスマが、買い物袋を手に立っていた。
ヤクモは、勢いよく頷く。
「そう。偉いね。」
そう言われて、にっこりと笑って、バイバイと手を振った。
機嫌良く、商店街に入っていく。ケーキ屋は後にしよう、と八百屋で品物を物色した。
「ヤクモちゃん、一人か。」
うんうんと頷きながら、果物ばかり幾つか購入した。
「ほんとにそれだけでいいのか?」
と聞かれて、また、うんうんと頷く。その後も、焼き菓子やケーキ、蜜、とご飯にはならないような好物ばかりを買って、ほくほくと帰って行った。
「ただいまぁ。」
家で、はらはらと待っていたイズモが、両手を広げてヤクモを迎えた。そのまま、ぎゅうと抱きしめる。
「おかえり。たくさん買ってきたね。」
「ひとりでおかいもの、できたぁ。」
「そっか。」
この家に住み始めて三年。ヤクモはついに、一人で買い物までできるようになった。イズモは、しみじみと小さな体を抱きしめる。
あまりに長い間栄養が足りなかった体は、十七歳になっても、小柄な女性ほどの大きさにしか育っていない。それでも、ずいぶん大きくなったのだ。
この家に来て一年ほどは、ヤクモは寝たり起きたりという生活だった。これまでの分を取り戻すように、しっかり食べて、寝ることを繰り返して過ごした。ぐずぐずと泣き出したり、叫んで起きたり、とても不安定だったけれど、少しずつ安心を与えられることで、それらの回数も減っていった。
起きていられるようになると、動いたり歩いたりする訓練をした。一年かけて、基本的な運動機能を使えるようになった。
歩けるようになると、家族の買い物に付き合うようになり、行動範囲が広がっていった。
まるで、赤子からやり直しているようだ、とヌイは優しく笑った。
そうして三年が経った今日、とうとう一人で買い物にでかけて、無事に帰ってきた。
「まあ、ヤクモ様。おやつばっかり。」
買ってきた物を食卓に並べるヤクモに、覗きこんだヌイが声を上げる。
「だぃすきがいっぱぃ。」
ヤクモが大満足で笑うのを見ながら、ミカゲとヒカゲ、トキが仕事から帰ってきたら、ヤクモが一人で買い物をしてきたことを伝えよう、どんなに驚くだろう、とヌイは思った。
ご機嫌のヤクモを抱き上げて、頬にキスをしたイズモが、不意に視線を上へ向けた。それから、少し笑って呟く。
「さよなら、くろ。」
翌日、国王ハバキの崩御が伝えられ、悪魔が完全に滅されたとの発表に、人々は沸き立ったのだった。
塔の町に、塔は無い。いつしか、なぜ塔の町と言うのかも、人々は忘れていくのだろう。
それでいい、とイズモは思う。人とは、そういうものなのだ。
動き出した自分の時間に、いつか人の寿命と言われる程度の年数で死ねるだろうことを感じ、イズモは幸せをかみしめた。
終わり
元気に響く声は、相変わらず掠れている。けれど、よほど耳の遠い年寄り以外には、誰にでもしっかり通じるようになった。
「本当に一人で行くの?」
玄関で、イズモがまた同じ言葉を繰り返す。
「ぃくよ。じゃね。」
ヤクモは面倒臭くなって、すたすたと歩き出した。
初めての一人での買い物に、内心はひどく緊張しているのだが、それを言ったり見せたりすると、やっぱり一緒に行く、とイズモに言われてしまうだろう。
「ぉれは、ひとりでだいじょーぶ。」
自分に言い聞かせるように呟きながら、商店街への道を歩く。何度も何度も来ている所だ。店の人たちも顔見知りで、買う物も決まっている。
だいじょーぶ。だいじょーぶ。
「ヤクモちゃん?」
「ぁい!」
商店街の入り口で、声を掛けられる。ヤクモは、反射的に返事をした。
「一人かい?」
近所の家に住む初老のスマが、買い物袋を手に立っていた。
ヤクモは、勢いよく頷く。
「そう。偉いね。」
そう言われて、にっこりと笑って、バイバイと手を振った。
機嫌良く、商店街に入っていく。ケーキ屋は後にしよう、と八百屋で品物を物色した。
「ヤクモちゃん、一人か。」
うんうんと頷きながら、果物ばかり幾つか購入した。
「ほんとにそれだけでいいのか?」
と聞かれて、また、うんうんと頷く。その後も、焼き菓子やケーキ、蜜、とご飯にはならないような好物ばかりを買って、ほくほくと帰って行った。
「ただいまぁ。」
家で、はらはらと待っていたイズモが、両手を広げてヤクモを迎えた。そのまま、ぎゅうと抱きしめる。
「おかえり。たくさん買ってきたね。」
「ひとりでおかいもの、できたぁ。」
「そっか。」
この家に住み始めて三年。ヤクモはついに、一人で買い物までできるようになった。イズモは、しみじみと小さな体を抱きしめる。
あまりに長い間栄養が足りなかった体は、十七歳になっても、小柄な女性ほどの大きさにしか育っていない。それでも、ずいぶん大きくなったのだ。
この家に来て一年ほどは、ヤクモは寝たり起きたりという生活だった。これまでの分を取り戻すように、しっかり食べて、寝ることを繰り返して過ごした。ぐずぐずと泣き出したり、叫んで起きたり、とても不安定だったけれど、少しずつ安心を与えられることで、それらの回数も減っていった。
起きていられるようになると、動いたり歩いたりする訓練をした。一年かけて、基本的な運動機能を使えるようになった。
歩けるようになると、家族の買い物に付き合うようになり、行動範囲が広がっていった。
まるで、赤子からやり直しているようだ、とヌイは優しく笑った。
そうして三年が経った今日、とうとう一人で買い物にでかけて、無事に帰ってきた。
「まあ、ヤクモ様。おやつばっかり。」
買ってきた物を食卓に並べるヤクモに、覗きこんだヌイが声を上げる。
「だぃすきがいっぱぃ。」
ヤクモが大満足で笑うのを見ながら、ミカゲとヒカゲ、トキが仕事から帰ってきたら、ヤクモが一人で買い物をしてきたことを伝えよう、どんなに驚くだろう、とヌイは思った。
ご機嫌のヤクモを抱き上げて、頬にキスをしたイズモが、不意に視線を上へ向けた。それから、少し笑って呟く。
「さよなら、くろ。」
翌日、国王ハバキの崩御が伝えられ、悪魔が完全に滅されたとの発表に、人々は沸き立ったのだった。
塔の町に、塔は無い。いつしか、なぜ塔の町と言うのかも、人々は忘れていくのだろう。
それでいい、とイズモは思う。人とは、そういうものなのだ。
動き出した自分の時間に、いつか人の寿命と言われる程度の年数で死ねるだろうことを感じ、イズモは幸せをかみしめた。
終わり
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