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58 ずっとここにいた
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「あなた方が、連れていったのだ。」
「嫌、子ども達を返して。何?何なの?」
ダニエルと夫人が事務室へ足を踏み出そうとするのを、マクシムとバジルが止める。
「さて、これでこみ入った話もできるかな?リュカ、君も事務室へ行っていて欲しい。」
シリルは、小さな侍従を振り返った。
リュシルは首を横に振る。その表情に揺らぎはないが、この二年で身に付いた侍従のスキルかもしれない。
シリルはため息をつくと、ダニエルと夫人に向き直った。
「名乗っていなかったかな。シリル・シュバリエだ。」
「王太子殿下……!」
「今さら礼はいらない。私の護衛騎士に話は聞いたと思うが。」
「は……、は。あの、娘が、リュシルが殿下のお命をお救いしたと。しかし、あの子は目も見えず、学校も休学している状態で、一体どうやって……。」
「その方らに詳しい説明をする気はない。もし、保護者としての義務を果たしていたなら、命の恩人の父母として手厚く礼をするつもりであったが。……二年間、娘がいないことに気付いていなかったそうだな。そして、気付いた後で退学届けを出して終わらせようとした。」
「……連絡が無ければ分かりようがありません。」
「学園から休学届けの通知がきたときに、連絡は取ったか?何故、休学することになったのか調べたか?」
「それは、私は王都にいて知らず……。」
「では、ご夫人。」
「もう十二歳です。自分で判断したことを、私が口を出すことではありませんわ。」
「目の見えない子を、一人で王都へ向かわせ、その子の行方が分からなくなっても探しもしない。もし、そのまま子どもが死んでいたら、その原因はあなたにある。」
「わたし、私は、そんなこと。」
「たどり着けないかもしれないと分かっていて家を出しただろう?」
「……いいえ、まさか。あの子は見えていたわ。」
え?とダニエルは夫人を見た。
「どういう、ことだ?」
「あなたはご存知ないの?あの子は目が見えないとあなたは言っていたけれど、見えていたわよ。普通に生活していたわ。」
「え?では何故、部屋に閉じ込めていたんだ?」
「気味が悪かったから。医師は見えないと言うのに見えているなんて、訳が分からない。気持ち悪いじゃない。」
「そ、そんな理由で?」
「あなたは家にいなかったのだからいいでしょうけど、私は同じ家に暮らしていたのよ。何が見えているのか分かったものじゃないわ。」
「移る病気というのは?」
「部屋に閉じ込めておくための嘘よ。そう言えば、誰も近付かないでしょう?」
ダニエルは妻の言葉に絶句した。自分の留守を守り、子どもをしっかりと育ててくれる良い妻を得たと満足していたのだ。
「ではリュシルは、ただ気味が悪いから閉じ込めていて、家から出したいから学園に出した、と?」
「そうよ。その後、誰も何も困らなかったでしょう。あなたが帰ってきて、あの子のことを尋ねたことも一度も無かった。そう。一度も。」
「……。」
その通りだったので、ダニエルは黙りこみ、夫人は前を向いて口を開こうとした。
無表情にこちらを見ているシリルと小さな侍従が目に入る。
「……リュシル?」
侍従と目が合った夫人が小さく呟いた。顔など覚えていない。髪の色や目の色も、覚えてはいない。最後に姿を見たのは、二年前に学園へ送り出す時。その前も、部屋に閉じ込めてから会ったことはない。髪は伸びっぱなしで、丈の短い服を着ている痩せたみすぼらしい子どもだった。
この美しい侍従とは似ても似つかない。性別さえ違う。けれど。
潤むように光る大きな目がこちらを見る。何を見られているのかと恐ろしくなるようなその、目。
何を言っているのか、というように夫がこちらを向く。
「ずっと、いたのね。……ここに。」
リュシルは全く反応を見せなかった。夫人はシリルを見て泣きそうな顔で笑う。
「意地の悪いお方だわ。こんな話をどうしてリュシルに聞かせるの?」
誰も何も答えなかった。しばらく沈黙が支配する。
「リュシルがいるのか……?」
ダニエル・ブラン子爵の呟きに、夫人が反応を示す。
「子ども達だけは、どうか……。」
そう言って頭を下げた。
「トマ。」
シリルは事務室に向けて声をかけた。子ども達が、にこにこと笑顔でトマの両手にぶら下がっている。楽しく遊んできたようだ。
「帰れ。ダニエル・ブラン子爵、王都での文官の任は解く。領地で四人で暮らすといい。」
「それで、よろしいのですか……。」
「私は、嫌だが。そなたと子どもを離したとて、不幸な子どもが増えるだけ。それをリュシルは望まない。それと、これを。」
渡された書類は、絶縁状。リュシルとの親子の縁を切るもの。ダニエルは、まだ状況を分かってはいなかったが、黙ってサインをした。子ども達を引き取り、礼をすると、シリルはもう踵を返していた。
「俺は、親がいなくて苦労したが、親がいても苦労するんだな……。」
護衛騎士のトマがそう言いながら、シリルに付いていこうと背中を向けた小さな侍従の頭を撫でるのが見えて、ダニエルは息をのんだ。横顔に、一人目の妻の面影。リュシル……。
その姿は、後ろに付いたマクシムとバジルに隠されて、すぐに見えなくなった。
「嫌、子ども達を返して。何?何なの?」
ダニエルと夫人が事務室へ足を踏み出そうとするのを、マクシムとバジルが止める。
「さて、これでこみ入った話もできるかな?リュカ、君も事務室へ行っていて欲しい。」
シリルは、小さな侍従を振り返った。
リュシルは首を横に振る。その表情に揺らぎはないが、この二年で身に付いた侍従のスキルかもしれない。
シリルはため息をつくと、ダニエルと夫人に向き直った。
「名乗っていなかったかな。シリル・シュバリエだ。」
「王太子殿下……!」
「今さら礼はいらない。私の護衛騎士に話は聞いたと思うが。」
「は……、は。あの、娘が、リュシルが殿下のお命をお救いしたと。しかし、あの子は目も見えず、学校も休学している状態で、一体どうやって……。」
「その方らに詳しい説明をする気はない。もし、保護者としての義務を果たしていたなら、命の恩人の父母として手厚く礼をするつもりであったが。……二年間、娘がいないことに気付いていなかったそうだな。そして、気付いた後で退学届けを出して終わらせようとした。」
「……連絡が無ければ分かりようがありません。」
「学園から休学届けの通知がきたときに、連絡は取ったか?何故、休学することになったのか調べたか?」
「それは、私は王都にいて知らず……。」
「では、ご夫人。」
「もう十二歳です。自分で判断したことを、私が口を出すことではありませんわ。」
「目の見えない子を、一人で王都へ向かわせ、その子の行方が分からなくなっても探しもしない。もし、そのまま子どもが死んでいたら、その原因はあなたにある。」
「わたし、私は、そんなこと。」
「たどり着けないかもしれないと分かっていて家を出しただろう?」
「……いいえ、まさか。あの子は見えていたわ。」
え?とダニエルは夫人を見た。
「どういう、ことだ?」
「あなたはご存知ないの?あの子は目が見えないとあなたは言っていたけれど、見えていたわよ。普通に生活していたわ。」
「え?では何故、部屋に閉じ込めていたんだ?」
「気味が悪かったから。医師は見えないと言うのに見えているなんて、訳が分からない。気持ち悪いじゃない。」
「そ、そんな理由で?」
「あなたは家にいなかったのだからいいでしょうけど、私は同じ家に暮らしていたのよ。何が見えているのか分かったものじゃないわ。」
「移る病気というのは?」
「部屋に閉じ込めておくための嘘よ。そう言えば、誰も近付かないでしょう?」
ダニエルは妻の言葉に絶句した。自分の留守を守り、子どもをしっかりと育ててくれる良い妻を得たと満足していたのだ。
「ではリュシルは、ただ気味が悪いから閉じ込めていて、家から出したいから学園に出した、と?」
「そうよ。その後、誰も何も困らなかったでしょう。あなたが帰ってきて、あの子のことを尋ねたことも一度も無かった。そう。一度も。」
「……。」
その通りだったので、ダニエルは黙りこみ、夫人は前を向いて口を開こうとした。
無表情にこちらを見ているシリルと小さな侍従が目に入る。
「……リュシル?」
侍従と目が合った夫人が小さく呟いた。顔など覚えていない。髪の色や目の色も、覚えてはいない。最後に姿を見たのは、二年前に学園へ送り出す時。その前も、部屋に閉じ込めてから会ったことはない。髪は伸びっぱなしで、丈の短い服を着ている痩せたみすぼらしい子どもだった。
この美しい侍従とは似ても似つかない。性別さえ違う。けれど。
潤むように光る大きな目がこちらを見る。何を見られているのかと恐ろしくなるようなその、目。
何を言っているのか、というように夫がこちらを向く。
「ずっと、いたのね。……ここに。」
リュシルは全く反応を見せなかった。夫人はシリルを見て泣きそうな顔で笑う。
「意地の悪いお方だわ。こんな話をどうしてリュシルに聞かせるの?」
誰も何も答えなかった。しばらく沈黙が支配する。
「リュシルがいるのか……?」
ダニエル・ブラン子爵の呟きに、夫人が反応を示す。
「子ども達だけは、どうか……。」
そう言って頭を下げた。
「トマ。」
シリルは事務室に向けて声をかけた。子ども達が、にこにこと笑顔でトマの両手にぶら下がっている。楽しく遊んできたようだ。
「帰れ。ダニエル・ブラン子爵、王都での文官の任は解く。領地で四人で暮らすといい。」
「それで、よろしいのですか……。」
「私は、嫌だが。そなたと子どもを離したとて、不幸な子どもが増えるだけ。それをリュシルは望まない。それと、これを。」
渡された書類は、絶縁状。リュシルとの親子の縁を切るもの。ダニエルは、まだ状況を分かってはいなかったが、黙ってサインをした。子ども達を引き取り、礼をすると、シリルはもう踵を返していた。
「俺は、親がいなくて苦労したが、親がいても苦労するんだな……。」
護衛騎士のトマがそう言いながら、シリルに付いていこうと背中を向けた小さな侍従の頭を撫でるのが見えて、ダニエルは息をのんだ。横顔に、一人目の妻の面影。リュシル……。
その姿は、後ろに付いたマクシムとバジルに隠されて、すぐに見えなくなった。
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