上 下
58 / 61

58 ずっとここにいた

しおりを挟む
「あなた方が、連れていったのだ。」

「嫌、子ども達を返して。何?何なの?」

 ダニエルと夫人が事務室へ足を踏み出そうとするのを、マクシムとバジルが止める。

「さて、これでこみ入った話もできるかな?リュカ、君も事務室へ行っていて欲しい。」

 シリルは、小さな侍従を振り返った。
 リュシルは首を横に振る。その表情に揺らぎはないが、この二年で身に付いた侍従のスキルかもしれない。
 シリルはため息をつくと、ダニエルと夫人に向き直った。

「名乗っていなかったかな。シリル・シュバリエだ。」

「王太子殿下……!」

「今さら礼はいらない。私の護衛騎士に話は聞いたと思うが。」

「は……、は。あの、娘が、リュシルが殿下のお命をお救いしたと。しかし、あの子は目も見えず、学校も休学している状態で、一体どうやって……。」

「その方らに詳しい説明をする気はない。もし、保護者としての義務を果たしていたなら、命の恩人の父母として手厚く礼をするつもりであったが。……二年間、娘がいないことに気付いていなかったそうだな。そして、気付いた後で退学届けを出して終わらせようとした。」

「……連絡が無ければ分かりようがありません。」

「学園から休学届けの通知がきたときに、連絡は取ったか?何故、休学することになったのか調べたか?」

「それは、私は王都にいて知らず……。」

「では、ご夫人。」

「もう十二歳です。自分で判断したことを、私が口を出すことではありませんわ。」

「目の見えない子を、一人で王都へ向かわせ、その子の行方が分からなくなっても探しもしない。もし、そのまま子どもが死んでいたら、その原因はあなたにある。」

「わたし、私は、そんなこと。」

「たどり着けないかもしれないと分かっていて家を出しただろう?」

「……いいえ、まさか。あの子は見えていたわ。」

 え?とダニエルは夫人を見た。

「どういう、ことだ?」

「あなたはご存知ないの?あの子は目が見えないとあなたは言っていたけれど、見えていたわよ。普通に生活していたわ。」

「え?では何故、部屋に閉じ込めていたんだ?」

「気味が悪かったから。医師は見えないと言うのに見えているなんて、訳が分からない。気持ち悪いじゃない。」

「そ、そんな理由で?」

「あなたは家にいなかったのだからいいでしょうけど、私は同じ家に暮らしていたのよ。何が見えているのか分かったものじゃないわ。」

「移る病気というのは?」

「部屋に閉じ込めておくための嘘よ。そう言えば、誰も近付かないでしょう?」

 ダニエルは妻の言葉に絶句した。自分の留守を守り、子どもをしっかりと育ててくれる良い妻を得たと満足していたのだ。

「ではリュシルは、ただ気味が悪いから閉じ込めていて、家から出したいから学園に出した、と?」

「そうよ。その後、誰も何も困らなかったでしょう。あなたが帰ってきて、あの子のことを尋ねたことも一度も無かった。そう。一度も。」

「……。」

 その通りだったので、ダニエルは黙りこみ、夫人は前を向いて口を開こうとした。
 無表情にこちらを見ているシリルと小さな侍従が目に入る。

「……リュシル?」

 侍従と目が合った夫人が小さく呟いた。顔など覚えていない。髪の色や目の色も、覚えてはいない。最後に姿を見たのは、二年前に学園へ送り出す時。その前も、部屋に閉じ込めてから会ったことはない。髪は伸びっぱなしで、丈の短い服を着ている痩せたみすぼらしい子どもだった。
 この美しい侍従とは似ても似つかない。性別さえ違う。けれど。
 潤むように光る大きな目がこちらを見る。何を見られているのかと恐ろしくなるようなその、目。
 何を言っているのか、というように夫がこちらを向く。

「ずっと、いたのね。……ここに。」

 リュシルは全く反応を見せなかった。夫人はシリルを見て泣きそうな顔で笑う。

「意地の悪いお方だわ。こんな話をどうしてリュシルに聞かせるの?」

 誰も何も答えなかった。しばらく沈黙が支配する。

「リュシルがいるのか……?」

 ダニエル・ブラン子爵の呟きに、夫人が反応を示す。

「子ども達だけは、どうか……。」

 そう言って頭を下げた。

「トマ。」

 シリルは事務室に向けて声をかけた。子ども達が、にこにこと笑顔でトマの両手にぶら下がっている。楽しく遊んできたようだ。

「帰れ。ダニエル・ブラン子爵、王都での文官の任は解く。領地で四人で暮らすといい。」

「それで、よろしいのですか……。」

「私は、嫌だが。そなたと子どもを離したとて、不幸な子どもが増えるだけ。それをリュシルは望まない。それと、これを。」

 渡された書類は、絶縁状。リュシルとの親子の縁を切るもの。ダニエルは、まだ状況を分かってはいなかったが、黙ってサインをした。子ども達を引き取り、礼をすると、シリルはもう踵を返していた。

「俺は、親がいなくて苦労したが、親がいても苦労するんだな……。」

 護衛騎士のトマがそう言いながら、シリルに付いていこうと背中を向けた小さな侍従の頭を撫でるのが見えて、ダニエルは息をのんだ。横顔に、一人目の妻の面影。リュシル……。
 その姿は、後ろに付いたマクシムとバジルに隠されて、すぐに見えなくなった。


 
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

平民の方が好きと言われた私は、あなたを愛することをやめました

天宮有
恋愛
公爵令嬢の私ルーナは、婚約者ラドン王子に「お前より平民の方が好きだ」と言われてしまう。 平民を新しい婚約者にするため、ラドン王子は私から婚約破棄を言い渡して欲しいようだ。 家族もラドン王子の酷さから納得して、言うとおり私の方から婚約を破棄した。 愛することをやめた結果、ラドン王子は後悔することとなる。

殿下が恋をしたいと言うのでさせてみる事にしました。婚約者候補からは外れますね

さこの
恋愛
恋がしたい。 ウィルフレッド殿下が言った… それではどうぞ、美しい恋をしてください。 婚約者候補から外れるようにと同じく婚約者候補のマドレーヌ様が話をつけてくださりました! 話の視点が回毎に変わることがあります。 緩い設定です。二十話程です。 本編+番外編の別視点

処理中です...