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53 私は幸せです

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 何故か宰相府での仕事を申し付けられて、文官のように書類を整理していたリュシルは、ようやくシリルの側に呼ばれて驚いた。
 ベッドに真っ青な顔で寝ている。

「殿下。」

 慌ててベッドの横に立ち、くまなく全身をる。毒の気配は無い。ほっとしゃがみこんで手を握った。
 バジルの近寄ってくる気配がする。

「落ち着かせるために薬を使ったから、それで寝ているだけだ。大丈夫。」

「バジル様。」

「茶会に参加させられてな。……とても座っていられなかった。」

「……。」

 ああ、とリュシルは息を吐いた。シャルルが倒れた茶会を思い出して、身を震わせる。シリルの手を握ったままの手を額に当てて、目を閉じた。
 ぽん、とバジルの手が頭に乗せられる。

「リュシル。」

 リュカ、ではなくリュシル、と呼ばれて驚いて目を開く。

「陛下はたぶん、リュシルを令嬢に戻そうと思ったのだ。いつまでも、侍従のふりをしているわけにはいかないだろう?殿下が普通に過ごされているから、もう大丈夫だと思われたのだろう、と思う。」

 こくり、とリュシルは頷く。けれど、茶会に出ることを思うと、リュシルもまだ恐ろしかった。
 
「まだしばらく、その姿で殿下にお仕えしてもらわなければならない。」

「私は、それで良いのです。殿下のお側におります。殿下がお健やかに過ごせるように、手助けさせてください。」

「ドレスを着てダンスの練習をしたり、令嬢たちとお洒落の話をしたり、街で話題のスイーツを食べに行ったり、といった生活ができないままだ。」

 リュシルは驚いて目を見開いた後、少し笑った。

「令嬢の姿であっても、そんなことはできません。ドレスを買うお金もスイーツを食べるお金も私には無い。この仕事のおかげで昼ごはんを食べることができている、スイーツを食べることができている。服に困ることも無い。私は、幸せです。」

「……すまん。」

 頭をがりがりと掻きながらバジルは謝った。忘れていた。彼女が休学しているのに、何の連絡もつかないのに、知らない顔の実家のことを。
 ベッド脇に椅子を置いてリュシルを座らせ、もう一度、ぽんぽんと頭を撫でて、バジルは部屋を出た。

 ブラン子爵は三年前から、領地に妻子を残して王宮の文官をしている。長期の休みの時に帰るが、普段は王宮の宿舎で生活をしていた。あまり収入の多くない領地持ちの貴族は、領地の経営を信頼できる部下や親族に任せて、王都で仕事をしていることはよくあることなので、宿舎もしっかりした作りになっていて、宿舎に専属の侍従や下働きもいる。食事は、王宮の食堂で三食取ることも可能だったので、特に不自由もなく暮らしていた。
 
「ブラン子爵。突然すみません。お話をよろしいでしょうか。」

 何の接点もない、護衛騎士服の青年と上等な侍従服の青年という二人組に声をかけられて、ブラン子爵はただただ驚いていた。

「マクシム・ベルナールと申します。」

 護衛騎士服の青年はそう名乗り、

「バジル・シモンです。」

 と侍従服の青年は名乗った。

「ダニエル・ブランです。」

 と名乗りを返したが、名前を聞いても関り合いがあるとは思えなかった。

「学園に主が通っております。そこで護衛をしているのですが、以前、貴方のお嬢様に主が命を助けられたことがございまして。いつかお礼をと思いながらなかなかお会いできず、気になっておりました。」

 ベルナールという青年の話を聞いても、思い当たることはなかった。浮かぶのは、まだ幼い娘の姿である。

「学園……ですか?うちの娘はまだ幼くて、学園には通っておりませんが。」

 え?、と青年二人が顔を見合わせる。

「ブラン子爵、でいらっしゃいますね?」

「はい。そうです。」

「リュシル・ブランという令嬢は、貴方のご息女では?」

 その名を聞いて、ようやくダニエル・ブランはもう一人の娘を思い出した。だが、あの子は。

「はい。確かにその名前の娘もおります。そう、そうか、学園に入る年齢……。しかし、あの子は病気でして、学園には通えないと思います。」

 もう一度、青年二人は顔を見合わせる。

「主はもうすぐ三年生になります。貴方のご息女も同じ年齢で、学園に入学されてから二年経っておりますよ。」

「え?……あ、いや。申し訳ない。家の事はすべて妻に任せているもので、知らなかったのです。では、学園に通っているのですか?あの子が?」

 本当に驚いている様子に、マクシムとバジルは呆れるしかなかった。この男は、娘の年齢も知らなかったのか。長期の休みには家に帰っていると聞いていたが、リュシルがいないことにも気付いていなかったのか。

「貴方がご存知無いなら、私の思い違いなのかもしれません。失礼致しました。」

 マクシムとバジルは、形ばかりの礼をしてその場を去った。リュシルはもう二度とあの家に帰してはいけない、と固く決意して。


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