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2 入学式から七日目 昼
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保健室の扉を開けると、先ほど別れたばかりの保険医が、驚いた顔をして振り返った。
「どうされましたか、殿下。やはり、まだ、体調が…」
そう柔らかい口調で言いかけて、マクシムとその腕の中の少女に気付く。少女はすでに、気を失っていた。限界だったところに、抱き上げられたぬくもりと、廊下を歩く揺れが加わって、眠ってしまったのであれば良いのだが、とマクシムは思うのだが、どうもそういう感じではないようだ。
「病人を拾いまして。」
とシリルは言った。マクシムが、ベッドにそっと少女を下ろすのを見つめる。新入生だと思うのだが、着ている制服はひどく大きく、色褪せている。栗色の髪はほつれて、艶がない。
マクシムは、布団の重さも気にするかのように、そっと掛け布団をかける。小さな顔は、土気色だった。
「ああ。リュシル。」
保険医は、ちらと少女を覗きこんで言った。
「預かりますので、もう大丈夫ですよ、殿下。」
特に、少女を診ようともせずに、保険医は言う。
少し、気にはなったが、これ以上何もすることはなく、シリルとマクシムは、保健室を出た。
三時限目の授業を受けると、昼食となる。朝から毒を盛られ、食欲の欠片もないが、人は食べなくても死んでしまう。食べても死ぬ、食べなくても死ぬとは、これ如何に、という気分である。どうしたものかと悩んでいると、マクシムがおずおずと話しかけてきた。
「殿下、少し保健室の様子を見に行きたいのですが、よろしいでしょうか?」
その言葉で、預けた少女のことを思い出す。いつも、護衛のみを真面目にこなすマクシムにしては珍しく、他者のことを気にかけているのと、昼の休憩は長いし、大した食欲もない、と先に保健室へと向かうことにした。
保険医は留守だったが、少女は一時間前と変わらず、ベッドの中にいた。少しだけ、顔色はましになっているようだ。
「失礼します。」
マクシムは、シリルの前に出て、少女の額にそっと触れた。熱はないようだ。呼吸も、しているらしい。あまりにか細いので鼻と口の辺りにも手をかざして確かめる。
「起きて、昼食を食べられると良いのですが。」
思わず、といった様子で呟いた。
「そうだな…」
やけに気にする様子を、珍しいと思いつつ、シリルも呟くように返事を返す。じっとマクシムを見ていると、視線に気付いて、すっとシリルの後ろに下がった。
「お手間を取らせまして、申し訳ございません。昼食に参りましょう。」
「いや…、ああ、そうだな…。」
その時、保健室の扉が開いて、保険医が帰ってきた。手に、パンと飲み物を持っている。買ってきて、ここで食べるのだろう。
「ああ、殿下。リュシルですか。」
何の感情も無さそうに、買ってきた昼食を机に置きながら、彼は言った。
「彼女は入学してから毎日、そんな感じでね。私も、困っているのですよ。放課後には、置いて帰れないので、起こして追い出すのですが、寮までの道で倒れていることもありましてね。」
「何かの病気なのか。」
「検査などもできないし、何を持っているかは分かりません。まあ、貧血などではないかと思うのですがねえ。食事が足りないのでしょう。」
「しょっちゅう倒れてて、昼食を食べていないということか。今、起こして食べさせた方が良いのだろうか?」
ベッドを覗きこみながら思案するシリルに、保険医は柔らかく微笑んだ。
「殿下、昼食はね、起きてても食べられるものじゃない。」
彼は、時計を見ながら机に座る。
「お金がいるのですよ。」
シリルは、驚いて目を見開いた。保険医が、パンを取り出すのを見ながら、学園のシステムを考える。寮に入れば、朝食と夕食は、寮費に含まれている。三年間、学園に通うことは、貴族の義務であるため、収入が少なくて費用が払えない貴族には、学費免除の特例も設けられている。平民の特待生制度もある。しかし、昼食は、学園のいくつかある食事場所を選んで、自分達でお金を払って購入する仕組みなのだ。月末になると、やりくりを失敗した者や、もとから仕送りの多くない者などが、昼食を我慢する光景は珍しくなかった。朝晩は、必ず食べられるので、それが大きな問題になったことはない。だが、彼女は。
「朝と夜の食事は、せめて取っているのだろうか。」
思わずこぼしたマクシムの呟きに、保険医はパンを食べながら、首をかしげる。
「さあねえ、リュシルはどうやら、目が不自由なようだから、食堂までたどり着けているのかな。寮との行き帰りや着替えも、不便だろうねえ。」
シリルとマクシムは絶句して、保険医を見た。呑気にパンを食べている20代後半の男である。その顔には、何も特別な感情は浮かんでいなかった。
「そんなことより、殿下もそろそろ昼食を食べられた方がいい。時間がなくなってしまうよ。」
「どうされましたか、殿下。やはり、まだ、体調が…」
そう柔らかい口調で言いかけて、マクシムとその腕の中の少女に気付く。少女はすでに、気を失っていた。限界だったところに、抱き上げられたぬくもりと、廊下を歩く揺れが加わって、眠ってしまったのであれば良いのだが、とマクシムは思うのだが、どうもそういう感じではないようだ。
「病人を拾いまして。」
とシリルは言った。マクシムが、ベッドにそっと少女を下ろすのを見つめる。新入生だと思うのだが、着ている制服はひどく大きく、色褪せている。栗色の髪はほつれて、艶がない。
マクシムは、布団の重さも気にするかのように、そっと掛け布団をかける。小さな顔は、土気色だった。
「ああ。リュシル。」
保険医は、ちらと少女を覗きこんで言った。
「預かりますので、もう大丈夫ですよ、殿下。」
特に、少女を診ようともせずに、保険医は言う。
少し、気にはなったが、これ以上何もすることはなく、シリルとマクシムは、保健室を出た。
三時限目の授業を受けると、昼食となる。朝から毒を盛られ、食欲の欠片もないが、人は食べなくても死んでしまう。食べても死ぬ、食べなくても死ぬとは、これ如何に、という気分である。どうしたものかと悩んでいると、マクシムがおずおずと話しかけてきた。
「殿下、少し保健室の様子を見に行きたいのですが、よろしいでしょうか?」
その言葉で、預けた少女のことを思い出す。いつも、護衛のみを真面目にこなすマクシムにしては珍しく、他者のことを気にかけているのと、昼の休憩は長いし、大した食欲もない、と先に保健室へと向かうことにした。
保険医は留守だったが、少女は一時間前と変わらず、ベッドの中にいた。少しだけ、顔色はましになっているようだ。
「失礼します。」
マクシムは、シリルの前に出て、少女の額にそっと触れた。熱はないようだ。呼吸も、しているらしい。あまりにか細いので鼻と口の辺りにも手をかざして確かめる。
「起きて、昼食を食べられると良いのですが。」
思わず、といった様子で呟いた。
「そうだな…」
やけに気にする様子を、珍しいと思いつつ、シリルも呟くように返事を返す。じっとマクシムを見ていると、視線に気付いて、すっとシリルの後ろに下がった。
「お手間を取らせまして、申し訳ございません。昼食に参りましょう。」
「いや…、ああ、そうだな…。」
その時、保健室の扉が開いて、保険医が帰ってきた。手に、パンと飲み物を持っている。買ってきて、ここで食べるのだろう。
「ああ、殿下。リュシルですか。」
何の感情も無さそうに、買ってきた昼食を机に置きながら、彼は言った。
「彼女は入学してから毎日、そんな感じでね。私も、困っているのですよ。放課後には、置いて帰れないので、起こして追い出すのですが、寮までの道で倒れていることもありましてね。」
「何かの病気なのか。」
「検査などもできないし、何を持っているかは分かりません。まあ、貧血などではないかと思うのですがねえ。食事が足りないのでしょう。」
「しょっちゅう倒れてて、昼食を食べていないということか。今、起こして食べさせた方が良いのだろうか?」
ベッドを覗きこみながら思案するシリルに、保険医は柔らかく微笑んだ。
「殿下、昼食はね、起きてても食べられるものじゃない。」
彼は、時計を見ながら机に座る。
「お金がいるのですよ。」
シリルは、驚いて目を見開いた。保険医が、パンを取り出すのを見ながら、学園のシステムを考える。寮に入れば、朝食と夕食は、寮費に含まれている。三年間、学園に通うことは、貴族の義務であるため、収入が少なくて費用が払えない貴族には、学費免除の特例も設けられている。平民の特待生制度もある。しかし、昼食は、学園のいくつかある食事場所を選んで、自分達でお金を払って購入する仕組みなのだ。月末になると、やりくりを失敗した者や、もとから仕送りの多くない者などが、昼食を我慢する光景は珍しくなかった。朝晩は、必ず食べられるので、それが大きな問題になったことはない。だが、彼女は。
「朝と夜の食事は、せめて取っているのだろうか。」
思わずこぼしたマクシムの呟きに、保険医はパンを食べながら、首をかしげる。
「さあねえ、リュシルはどうやら、目が不自由なようだから、食堂までたどり着けているのかな。寮との行き帰りや着替えも、不便だろうねえ。」
シリルとマクシムは絶句して、保険医を見た。呑気にパンを食べている20代後半の男である。その顔には、何も特別な感情は浮かんでいなかった。
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