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二十三 男弟子
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田端が松木についてきて、おこうとかよの住む長屋で与太話を披露した三日の後のことだった。
松木は、今日も変わらず、おみつに付き添って習いごとにやってきている。田端は、与兵衛長屋や清兵衛商店辺りをぶらぶらと歩いて、本人曰く、仕事中とのことであった。
松木一人では何の話も聞き出せぬ、と知っている長屋の人々は、がっかりとして離れていった。
田端様は、次はいつ来てくださるんですか?と幾人かは諦めきれず尋ねてきたが、松木は、分からぬ、といつもの様に端的に答えるのみだ。
「えっほ、えっほ、えっほ」
突然に掛け声が響いて、長屋の裏木戸に似合わぬ駕籠が到着する。滅多に見ないものに、子どもたちが群がった。
暑い日差しの下、変わらず剣を振るっていた松木が見るともなく見ていると、ざわざわと騒ぎになっている。
「旦那!旦那!」
駕籠舁きが、焦って呼び掛けていた。
「どうした?」
「あ、へえ。ここへ運べと言われて、連れて来たんでございますが……」
松木が近寄って声を掛けると、駕籠舁きが困った様子で答える。見ると、駕籠の中で男が一人、三味線を抱えてぐったりとしていた。
「あれ?清介さん?」
子どもたちを押し退けて近寄ってきた長屋の女衆が、駕籠の中の男を見て声を上げる。松木は、男が三味線を抱えていることから何となく察した。
「知った顔か?」
「おこうさんのお弟子さんですよ」
やはり。よく話に出てきていた男弟子ではないかと、容易に予想はつく。
清介と呼ばれた男は、顔色悪く、駕籠の中から動けずにいた。体調の悪い時に駕籠に乗るなど、正気の沙汰ではない。
「まずは三味線を寄越せ」
松木が声を掛けると、清介は、ふるふると力無く首を横に振った。
「清介さん。この方は、おこうさんを助けてくださったお侍さんだよ」
長屋の中年の女が、駕籠を覗き込んで声を掛ける。はっと、清介が目を見開いた。頬は痩け、酷く弱っているのが分かる。じっと見つめる顔へ松木は頷いた。震える手が三味線を差し出すのを受け取り、傍らにいた女に渡す。駕籠に体を突っ込んで清介を引っ張り出した。
「汗臭いのは勘弁せい」
汗を流す間も無かったのだ。
そのまま、清介の軽い体を担いで立ち上がる。
「これで払っておいてくれ」
松木は、銭を幾らか入れている巾着を懐から出して傍らの女に渡すと、すたすたと歩き出した。
三味線の音が、いつものように長屋に響いている。清介がその音に、ほう、とか細い息を吐いたのが聞こえた。
手際良く、稽古場の隣の部屋におこうの布団が敷かれている。松木が、清介をそっとそこに下ろすと、
「お手数をお掛けして、申し訳ございません……」
か細い声が言う。
「何故、こんな無茶を?」
どう見ても、体調が優れぬ様子である。歩いて来ることもできず、駕籠を使ったのであろう。
「おこうさんが、拐されたと聞いて、居ても立っても居られず……」
田端の与太話は、一体どのように世間に広まったものか。助けた所までが、きちんと伝わってはいないのか?松木がそんな事を思っていると、三味線を抱えた女が戻ってきて口を開いた。
「清介さん。あんた、体を壊してたのかい」
「ああ。おはるさん。おこうさんは」
「聞こえるだろう?無事だよ」
「良かった。でも、本当に、拐されて?」
「あー。ああ、いや、まあ、そうだね」
先程、松木のことを、おこうを助けた侍と言ってしまったおはるは、誤魔化しようもなくて頷く。
「ああ。なんてことだ……」
清介は、疲れたように目を閉じた。
説明してくれ、と言われても上手く説明できそうにないがどうしたものか、と松木も内心頭を抱えていた。
松木は、今日も変わらず、おみつに付き添って習いごとにやってきている。田端は、与兵衛長屋や清兵衛商店辺りをぶらぶらと歩いて、本人曰く、仕事中とのことであった。
松木一人では何の話も聞き出せぬ、と知っている長屋の人々は、がっかりとして離れていった。
田端様は、次はいつ来てくださるんですか?と幾人かは諦めきれず尋ねてきたが、松木は、分からぬ、といつもの様に端的に答えるのみだ。
「えっほ、えっほ、えっほ」
突然に掛け声が響いて、長屋の裏木戸に似合わぬ駕籠が到着する。滅多に見ないものに、子どもたちが群がった。
暑い日差しの下、変わらず剣を振るっていた松木が見るともなく見ていると、ざわざわと騒ぎになっている。
「旦那!旦那!」
駕籠舁きが、焦って呼び掛けていた。
「どうした?」
「あ、へえ。ここへ運べと言われて、連れて来たんでございますが……」
松木が近寄って声を掛けると、駕籠舁きが困った様子で答える。見ると、駕籠の中で男が一人、三味線を抱えてぐったりとしていた。
「あれ?清介さん?」
子どもたちを押し退けて近寄ってきた長屋の女衆が、駕籠の中の男を見て声を上げる。松木は、男が三味線を抱えていることから何となく察した。
「知った顔か?」
「おこうさんのお弟子さんですよ」
やはり。よく話に出てきていた男弟子ではないかと、容易に予想はつく。
清介と呼ばれた男は、顔色悪く、駕籠の中から動けずにいた。体調の悪い時に駕籠に乗るなど、正気の沙汰ではない。
「まずは三味線を寄越せ」
松木が声を掛けると、清介は、ふるふると力無く首を横に振った。
「清介さん。この方は、おこうさんを助けてくださったお侍さんだよ」
長屋の中年の女が、駕籠を覗き込んで声を掛ける。はっと、清介が目を見開いた。頬は痩け、酷く弱っているのが分かる。じっと見つめる顔へ松木は頷いた。震える手が三味線を差し出すのを受け取り、傍らにいた女に渡す。駕籠に体を突っ込んで清介を引っ張り出した。
「汗臭いのは勘弁せい」
汗を流す間も無かったのだ。
そのまま、清介の軽い体を担いで立ち上がる。
「これで払っておいてくれ」
松木は、銭を幾らか入れている巾着を懐から出して傍らの女に渡すと、すたすたと歩き出した。
三味線の音が、いつものように長屋に響いている。清介がその音に、ほう、とか細い息を吐いたのが聞こえた。
手際良く、稽古場の隣の部屋におこうの布団が敷かれている。松木が、清介をそっとそこに下ろすと、
「お手数をお掛けして、申し訳ございません……」
か細い声が言う。
「何故、こんな無茶を?」
どう見ても、体調が優れぬ様子である。歩いて来ることもできず、駕籠を使ったのであろう。
「おこうさんが、拐されたと聞いて、居ても立っても居られず……」
田端の与太話は、一体どのように世間に広まったものか。助けた所までが、きちんと伝わってはいないのか?松木がそんな事を思っていると、三味線を抱えた女が戻ってきて口を開いた。
「清介さん。あんた、体を壊してたのかい」
「ああ。おはるさん。おこうさんは」
「聞こえるだろう?無事だよ」
「良かった。でも、本当に、拐されて?」
「あー。ああ、いや、まあ、そうだね」
先程、松木のことを、おこうを助けた侍と言ってしまったおはるは、誤魔化しようもなくて頷く。
「ああ。なんてことだ……」
清介は、疲れたように目を閉じた。
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