【完結】長屋番

かずえ

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弐 商家の娘

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 松木時頼ときよりは、生来口の重いたちである。であるから、おみつが待ち合わせていた少女たちがかしましく挨拶をしてきても、いつも通り、ああ、とかうむ、とかいった意味の成さない言葉をこぼすばかりであった。だいたい、挨拶を交わす予定などは無かったのだ。

「おみっちゃんのお付きは、お侍さんなの?」

 松木が腰に下げた刀を見た、おつのと名乗った娘が目を丸くする。

「えええ?どうして?どうしてお侍さんが付き人なんてされてらっしゃるの?」

 物怖じすることもなく、おそめと名乗った娘が尋ねてきた。
 松木は付き人ではない。
 れっきとした綾ノ部あやのべ藩の藩士であり、おみつの護衛というのも藩主に頼まれた仕事の内である。まあ、内密の仕事であるため、家紋のついた着物などは身に付けておらず、一介の浪人風情に見えなくもない。いや、浪人と言うには些か生真面目な顔付きである。兎に角、この松木という男、何であると言えば良いのか実に困る状態ではあった。
 おみつは町人とはいえ、藩主の次男、作次郎の許嫁いいなずけである。藩主の命で常に身辺に気を配っていた。作次郎からも、自分の目の届かない所ではくれぐれもおみつを頼むとお願いをされている。商人へと身を落とした作次郎は、何の躊躇いもなく深々と松木たちへ頭を下げた。言われずとも……と決意を新たにしたのは記憶に新しい。
 常であれば、松木たち綾ノ部藩士は、危険がないようにつかず離れず道行きを見守るだけであるので、特別誰かに見咎められることもない。
 この度も、そのようについてきたつもりであったものが、おみつの待ち合わせ相手の二人の娘にたちまち見咎められて挨拶を受け、この立ち往生である。
 おみつよりも幼く見える娘たちは、侍と気付いても物怖じもせず話しかけてくる。随分と裕福な商家の娘たちらしく、それぞれが荷物持ちの女中を連れていた。
 だからか、と松木は思う。
 自分たちと同じような商家の娘であると思っているおみつが連れてきたのだから、付き人であるのだと思っているのだ。

「ええ?ああ。うーん。あのね。松木様は付き人じゃないわ」
「ええ?」
「同じ長屋に住んでいらっしゃるお侍さまでね。少し遠出をすると言ったらご心配くださって、ついてきてくださると申し出てくださって」

 あー、うーと唸ったあとで、おみつがもっともらしく二人に説明をした。

「へええ。長屋暮らしのお侍さまなのね」
「こんな風に出歩いていらっしゃって大丈夫なの?」

 商家の娘というのは、随分と世間の話に敏くて口の回るものらしい。
 昨今、長屋暮らしの貧乏浪人が増えていることを小耳に挟んでいるのだろう。心配されてしまっている。

「あー、あの。剣、そう剣の腕が立つ方だから、子どもたちに剣術を教えてくださっていて、それで」
「へええ。確かにお強そうでいらっしゃるわ」
「お師さんなのね」
「そうなのよ」

 どうやら松木のことを誤魔化しきったおみつが、ほっとしたように言った。
 まあ、松木は確かに剣の腕は立つ。作次や希望者に剣の稽古をつけているので、それも間違いではない。お師さんということで納得されたのであればそれで良かろう、と松木は堂々とおみつの伴をする事にした。
 町人たちというのは、松木たち武家に比べて実によく喋る。口の重い松木では比べるべくもないが、それにしても、これまでの暮らしの中での経験から、家の者、使用人、仕事場の同僚や上司に至るまで思い浮かべてもここまで言葉が溢れてはいなかった。重厚な物言いを探して言葉を紡ぐからか、ほんの一言が進退を決めることがあるからか。何とももって回った言い方をすることが多い。まあ、それぞれの身分に必要なように発展していった結果なのだろう。どちらが良いでも悪いでもない、と松木は思う。
 口の重い松木には、周りがちゃきちゃきと話してくれるというのは、実は大変に有り難い状況であった。町人共はうるさくて敵わん、という同僚は多く、任期の半年が過ぎれば皆早々に交代するこの仕事だが、こちらが大したいらえを返さずとも滔々と話して、それなりに納得してくれるというのは、松木には大変に過ごしやすい。
 武家では、口が軽いのは宜しくないとされている割りに、口の重い松木にもっとしっかり話せと要求してくるのだから、何とも面倒くさいことだ。
 さよは、そんな事は言わなかったな、と一人の娘を思い出して、松木の胸がぎゅっと痛む。許嫁だった娘。普段は取り澄ましているのに松木の前ではとてもおしゃべりで、こんなにたくさん話してもうるさいと言われない相手と伴侶になれるだなんて、私は果報者だわ、とまで言っていた。話すのが大好きで、楽しいことが大好きなのだと笑った娘。けれど、それは貞淑な武家の妻として相応しくないと散々言われて外面を整えたのだという。
 さよの話を聞くのは楽しい、と伝えた松木に花のように笑った。綺麗だと思った。
 果報者は自分の方だと、心の底から思っていた。
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