上 下
390 / 398

390 分からなかった

しおりを挟む
 なんで、と言われても、そんなこと一太に分かるわけがない。あの人と一太が関わり合う事など、成長してからはほとんど無かった。あの人が一太に声を掛けてくるのは、虫の居所が悪い時だけ。八つ当たり、憂さ晴らしのため。一太は、そう気付いてからは、極力近寄らないようにしていた。そのくらいの知恵はあった。

「笑ってたの? あれ」
「笑ってただろうが」
「そうなのか」

 そのことすら、一太にはよく分からなかった。

「は? 意味分かんねえ。見たら分かるだろうが」
「分からなかった」
「は?」
「よく分かんなかった」
「は。馬鹿なんじゃねえの。人の表情も分かんねえとか、だからお前は母さんに嫌われ……」

 のぞむは、言いかけた言葉を止めて一太の隣に立ったあきらを見上げた。

「なんだ、お前? やんのか?」

 一太は呆れてのぞむを見る。昔、じっと目を見返しただけで殴られたことがあった。一太が、のぞむに喧嘩を売っている目付きだったとか何とか言っていた。売られた喧嘩は買って、その上で勝たなければ生きていけないのだと。その時の一太は、もう二度とのぞむの目を見ないようにしようと思っただけであったが、今考えれば、のぞむの生きている世界もだいぶおかしいものだった。

のぞむ。俺はあの人やのぞむの顔なんてあんまり見ていなかったから、よく分からなかった。あの人のことをよく知っているのぞむが笑ったって言うのなら笑ったんだろうし、笑って逝けたのなら良かったんじゃないかな」

 一太の心はとても落ち着いていて、落ち着いていられないらしいのぞむのことを、不思議な気持ちで見ていた。

「はあ? まじでお前……」
「あ」
「なんだよ?」

 そうか。のぞむは、あの人が死んで悲しいのか。そうか。
 一太は、ふいに気付いた。
 悲しんでいるのぞむと、そうではない自分に。

「俺はもうお別れは済んだから、後は役所の方にお任せしようと思う。あの人のもので受け取りたいものがあれば、全部のぞむが受け取っていけばいい」
「……」

 ぽかんとのぞむは口を開けるが、一太にものぞむの気持ちは分からない。自分たちはどこまでも、ただ一緒に暮らしていただけの他人だった。

「そ、それでいいのかよ。お前、また来たって母さんが言ったってことは、前にも来てんだろ? そんだけ来てんのに、そんだけ会いたかったのに、そんな、だって、母さんが死、死ん、死んだ、のに」

 最後の方は、のぞむの声は震えていた。ああ、良かったね、と一太は、すでに顔もおぼろげなその人に胸のうちで話しかけた。あなたには、泣いてくれる人がいたよ。
 本当に、一太の心は穏やかだった。
 数ヶ月前に会いに来たあの日。あの人の意識がしっかりしているうちに、この子はいらないと叫んでくれたから。だから、一太はもう、あの時にお別れは済んでいたのだ。あの時は、親子であることを諦めきれていなかったから、いらないと改めて叫ばれて辛かったけれど。
 もう一人じゃなかった。
 あの時も、今も。
 
のぞむ。あの人と俺の間には何にもない。だから、俺は何にもいらない」
しおりを挟む
感想 655

あなたにおすすめの小説

無能の騎士~退職させられたいので典型的な無能で最低最悪な騎士を演じます~

紫鶴
BL
早く退職させられたい!! 俺は労働が嫌いだ。玉の輿で稼ぎの良い婚約者をゲットできたのに、家族に俺には勿体なさ過ぎる!というので騎士団に入団させられて働いている。くそう、ヴィがいるから楽できると思ったのになんでだよ!!でも家族の圧力が怖いから自主退職できない! はっ!そうだ!退職させた方が良いと思わせればいいんだ!! なので俺は無能で最悪最低な悪徳貴族(騎士)を演じることにした。 「ベルちゃん、大好き」 「まっ!準備してないから!!ちょっとヴィ!服脱がせないでよ!!」 でろでろに主人公を溺愛している婚約者と早く退職させられたい主人公のらぶあまな話。 ーーー ムーンライトノベルズでも連載中。

そばにいられるだけで十分だから僕の気持ちに気付かないでいて

千環
BL
大学生の先輩×後輩。両片想い。 本編完結済みで、番外編をのんびり更新します。

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

弱すぎると勇者パーティーを追放されたハズなんですが……なんで追いかけてきてんだよ勇者ァ!

灯璃
BL
「あなたは弱すぎる! お荷物なのよ! よって、一刻も早くこのパーティーを抜けてちょうだい!」 そう言われ、勇者パーティーから追放された冒険者のメルク。 リーダーの勇者アレスが戻る前に、元仲間たちに追い立てられるようにパーティーを抜けた。 だが数日後、何故か勇者がメルクを探しているという噂を酒場で聞く。が、既に故郷に帰ってスローライフを送ろうとしていたメルクは、絶対に見つからないと決意した。 みたいな追放ものの皮を被った、頭おかしい執着攻めもの。 追いかけてくるまで説明ハイリマァス ※完結致しました!お読みいただきありがとうございました! ※11/20 短編(いちまんじ)新しく書きました! 時間有る時にでも読んでください

隠れヤンデレは自制しながら、鈍感幼なじみを溺愛する

知世
BL
大輝は悩んでいた。 完璧な幼なじみ―聖にとって、自分の存在は負担なんじゃないか。 自分に優しい…むしろ甘い聖は、俺のせいで、色んなことを我慢しているのでは? 自分は聖の邪魔なのでは? ネガティブな思考に陥った大輝は、ある日、決断する。 幼なじみ離れをしよう、と。 一方で、聖もまた、悩んでいた。 彼は狂おしいまでの愛情を抑え込み、大輝の隣にいる。 自制しがたい恋情を、暴走してしまいそうな心身を、理性でひたすら耐えていた。 心から愛する人を、大切にしたい、慈しみたい、その一心で。 大輝が望むなら、ずっと親友でいるよ。頼りになって、甘えられる、そんな幼なじみのままでいい。 だから、せめて、隣にいたい。一生。死ぬまで共にいよう、大輝。 それが叶わないなら、俺は…。俺は、大輝の望む、幼なじみで親友の聖、ではいられなくなるかもしれない。 小説未満、小ネタ以上、な短編です(スランプの時、思い付いたので書きました) 受けと攻め、交互に視点が変わります。 受けは現在、攻めは過去から現在の話です。 拙い文章ですが、少しでも楽しんで頂けたら幸いです。 宜しくお願い致します。

俺の親友のことが好きだったんじゃなかったのかよ

雨宮里玖
BL
《あらすじ》放課後、三倉は浅宮に呼び出された。浅宮は三倉の親友・有栖のことを訊ねてくる。三倉はまたこのパターンかとすぐに合点がいく。きっと浅宮も有栖のことが好きで、三倉から有栖の情報を聞き出そうとしているんだなと思い、浅宮の恋を応援すべく協力を申し出る。 浅宮は三倉に「協力して欲しい。だからデートの練習に付き合ってくれ」と言い——。 攻め:浅宮(16) 高校二年生。ビジュアル最強男。 どんな口実でもいいから三倉と一緒にいたいと思っている。 受け:三倉(16) 高校二年生。平凡。 自分じゃなくて俺の親友のことが好きなんだと勘違いしている。

ハイスペックストーカーに追われています

たかつきよしき
BL
祐樹は美少女顔負けの美貌で、朝の通勤ラッシュアワーを、女性専用車両に乗ることで回避していた。しかし、そんなことをしたバチなのか、ハイスペック男子の昌磨に一目惚れされて求愛をうける。男に告白されるなんて、冗談じゃねぇ!!と思ったが、この昌磨という男なかなかのハイスペック。利用できる!と、判断して、近づいたのが失敗の始まり。とある切っ掛けで、男だとバラしても昌磨の愛は諦めることを知らず、ハイスペックぶりをフルに活用して迫ってくる!! と言うタイトル通りの内容。前半は笑ってもらえたらなぁと言う気持ちで、後半はシリアスにBLらしく萌えると感じて頂けるように書きました。 完結しました。

BL世界に転生したけど主人公の弟で悪役だったのでほっといてください

わさび
BL
前世、妹から聞いていたBL世界に転生してしまった主人公。 まだ転生したのはいいとして、何故よりにもよって悪役である弟に転生してしまったのか…!? 悪役の弟が抱えていたであろう嫉妬に抗いつつ転生生活を過ごす物語。

処理中です...