【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ

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304 ◇◇少しずつ伝わればいい

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 どたっ、と何かが落ちる音が天井から聞こえて、陽子は目を覚ました。枕元に置いた携帯電話で確認すると、時刻は六時前だった。陽子の、日曜日の目覚ましが鳴るまでには、まだまだ時間があった。むむ、と眠い目を擦って布団の中で伸びをする。寒いのは苦手だ。冬に、布団から出るには覚悟がいる。
 だが、陽子がそうして布団の中でうだうだしている間に、今度はがちゃ、と二階の部屋の扉が開く音がした。
 大変だ、と陽子は布団から飛び出す。布団の脇に置いていた、もこもこで暖かい上着を羽織ると、隣の布団で寝ている誠を起こさないように、そっと一階の寝室を抜け出した。

「いっちゃん」

 見なくても、誰が部屋から出てきたのかは分かっている。晃も光里も、よほどの用事がない限り、こんな早朝に自分で目を覚ますことなんてないからだ。
 だから陽子は、心当たりの人間を階段の下から呼んだ。少し咎める口調になったのは許してほしい。一太は、ふらふらした足取りで洗濯物を抱えて、階段を降りようとしているのだ。発熱くらい大したことはない、と思っているのかもしれない。けれど昨日から、本当にふらふら、ふらふらしてまともに歩けていないことに、一太は気付いていないのだろうか。……気付いていても、一太の中に、動かないという選択肢がない? それなら陽子は、何度でも、動こうとする一太を止めなければならない。体調が悪い時は、何も気にせず回復するまで寝ているべきなのだと、一太が理解するまで、何度も。
 何度も繰り返し教えよう。大抵の人間がそうするように、一太もそうして休んで欲しい。
 大体、何も持たずとも危なっかしい足取りなのに、荷物を持って降りて階段を踏み外したらどうするのだ。布団で、静かに寝転がって体調の回復に努めてほしいと思っているけれども、大怪我をして動けなくなるのは駄目だ。

「おはよう。今日も早いわね。調子はどう?」
「おはよう、ございます……。大丈夫です」

 一太の掠れた声が答える。一太は、大丈夫としか言わない。それ以外、言うことは許されていないとでもいうかのように。それでも、陽子は必ず聞こうと思うのだ。調子はどう、と。今のような時は、大丈夫じゃないのだと一太が分かってくれるまで。

「大丈夫じゃないよ。いっちゃん今、ふらふらだよ。階段を下りるなら、シーツは置いてきて。私がそっちに取りに行くから」
「あ、でも」
「階段を落ちたら、怪我をしちゃうよ? 歩けなくなったら、どうするの!」
「ご、ごめんなさい……」

 少し口調がきつくなってしまった。一太が、びくっと肩を揺らすのを見て陽子は慌てる。

「いっちゃん。私は心配してるだけ。体調が悪い時に、無理して動いていいことなんて、何にもないんだから」
「しんぱい……」
「そ。昨日、熱が高かったいっちゃんが心配」
「そ、そう、ですか……」

 陽子は階段を上がって、シーツと枕カバー、タオルケットを受け取った。上着も着ていない一太が、くしょんくしょん、とくしゃみをし始める。

「起きたら、上着は必ず着ないと駄目よ。冷えたらまた、熱が上がっちゃう」
「はい」

 陽子は、素直に頷く一太を連れて、暖房を付けた居間へ降りる。シーツを洗濯機に入れて、他の白っぽい洗濯物も一緒に突っ込みスイッチを押すと、お湯で濡らしたタオルと替えのパジャマを手に一太の元へ戻った。

「ありがとうございます。すみません」

 ありがとう、が先に出るようになっただけ、すみませんと謝ってばかりだった頃よりいいな、と陽子は思った。
 その程度だけれど、これはきっと大きな一歩だ。
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