296 / 397
296 頭の中に響く声
しおりを挟む
ゆら、と体が揺れて、一太ははね起きた。しまった。寝てしまった。しまった。しまった。どうしよう。
まだ夜では無いのに。
「おっと。目が覚めてしまったか? 動くと危ないぞ」
晃とは違う匂いに包まれている。一太は、ますます混乱して目を見開いてしまった。そうして固まっているとぐい、と抱え直された。
「首に捕まってごらん。分かるか?」
分かる訳がない。一太は、こんな風に誰かに抱き上げてもらったことなんて無いのだから。
「いっちゃん。ここ。ここに手をやって」
晃が、宙をさまよう一太の手を取って誠の首に置いた。
「晃くん……」
「ん?」
「あ、いや……」
ただ、晃だ、と思っただけだったので、何も言えずにまた固まってしまう。
「しっかり捕まったか。うちに入るぞ」
そう言うと、一太を横抱きに抱えた誠が移動を始めたので、一太は慌てて、誠の首に回した手に力を込めた。
「一太は軽いな。もっとたくさん食べて、大きくなれよ」
「え? あ、はい……?」
「よし。返事は聞いたからな。たくさん食べるんだぞ」
「…………」
これは、どういう事なんだろう。ゆら、ゆらと揺れる誠の体にしがみついている内に、一太は、車から家へ向かって運ばれていく。
「昔さ。僕が体調を崩して起き上がれない時、よく父さんがこうして運んでくれたよね」
「懐かしいな」
近くを歩く晃が言う。誠は、また一太の体をぐい、とゆすり上げて笑った。
「子どもを、こうして抱くのも久しぶりだ」
「…………?」
俺は子どもではないんだけれどな、と一太はぼんやり思う。
駐車場から玄関にたどり着く前に、玄関の扉が開いた。
「おかえり。いっちゃん、大丈夫?」
「ああ。帰ってたのか」
「ええ。早めに上がらせてもらったのよ。心配で。ああ、いっちゃん……。顔色が悪いわ。昼ご飯は食べたのよね? 車に酔った?」
少し高い声が、頭の上を滑る。一太は反射的に目を閉じた。
「母さん。まずはうちに入ろう」
「あ、そうね。ごめんなさい」
「いや。一太のことが心配だったんだろう? 車の中では寝ていたから、酔ったりということはないと思うぞ」
「そう? 寝られたのなら良かったわ」
一太が目をつぶっている内に、夕闇の落ちる冬の玄関から、温かく明るい家の中へと入っていったのが分かった。瞼を閉じていても、光は感じられた。
あったかい……。
一太は、ただただ不思議だった。
なんで誰も、怒らないんだろう。
なんで誰も、俺が動けないことを責めて、ここに居たければ動け働け、生きたければ寝るな、と言わないんだろう。
あの声は、ずっと俺にそう言っていたのに。
あの声、と自分で考えておいて、一太は背筋にぞっとしたものが走るのを感じた。久しぶりに聞いた甲高い声が、頭から耳から離れない。一太を拒絶し否定するために、あの声は一太に近付いてくる。
でも……。
そうだ。あの声は、一太の名前を呼ばなかった。拒絶し否定していたのは、一太のことでなかったのかもしれない。そう考えたら、少し頭の中の声が遠くなる気がした。
だって今、聞こえたんだ。
一太のことが心配だった、と。
寝られたのなら良かった、と。
夜でもない時間に、誰かが仕事をしている時間に寝てしまって、良かったってどういうことなんだろう……。
まだ夜では無いのに。
「おっと。目が覚めてしまったか? 動くと危ないぞ」
晃とは違う匂いに包まれている。一太は、ますます混乱して目を見開いてしまった。そうして固まっているとぐい、と抱え直された。
「首に捕まってごらん。分かるか?」
分かる訳がない。一太は、こんな風に誰かに抱き上げてもらったことなんて無いのだから。
「いっちゃん。ここ。ここに手をやって」
晃が、宙をさまよう一太の手を取って誠の首に置いた。
「晃くん……」
「ん?」
「あ、いや……」
ただ、晃だ、と思っただけだったので、何も言えずにまた固まってしまう。
「しっかり捕まったか。うちに入るぞ」
そう言うと、一太を横抱きに抱えた誠が移動を始めたので、一太は慌てて、誠の首に回した手に力を込めた。
「一太は軽いな。もっとたくさん食べて、大きくなれよ」
「え? あ、はい……?」
「よし。返事は聞いたからな。たくさん食べるんだぞ」
「…………」
これは、どういう事なんだろう。ゆら、ゆらと揺れる誠の体にしがみついている内に、一太は、車から家へ向かって運ばれていく。
「昔さ。僕が体調を崩して起き上がれない時、よく父さんがこうして運んでくれたよね」
「懐かしいな」
近くを歩く晃が言う。誠は、また一太の体をぐい、とゆすり上げて笑った。
「子どもを、こうして抱くのも久しぶりだ」
「…………?」
俺は子どもではないんだけれどな、と一太はぼんやり思う。
駐車場から玄関にたどり着く前に、玄関の扉が開いた。
「おかえり。いっちゃん、大丈夫?」
「ああ。帰ってたのか」
「ええ。早めに上がらせてもらったのよ。心配で。ああ、いっちゃん……。顔色が悪いわ。昼ご飯は食べたのよね? 車に酔った?」
少し高い声が、頭の上を滑る。一太は反射的に目を閉じた。
「母さん。まずはうちに入ろう」
「あ、そうね。ごめんなさい」
「いや。一太のことが心配だったんだろう? 車の中では寝ていたから、酔ったりということはないと思うぞ」
「そう? 寝られたのなら良かったわ」
一太が目をつぶっている内に、夕闇の落ちる冬の玄関から、温かく明るい家の中へと入っていったのが分かった。瞼を閉じていても、光は感じられた。
あったかい……。
一太は、ただただ不思議だった。
なんで誰も、怒らないんだろう。
なんで誰も、俺が動けないことを責めて、ここに居たければ動け働け、生きたければ寝るな、と言わないんだろう。
あの声は、ずっと俺にそう言っていたのに。
あの声、と自分で考えておいて、一太は背筋にぞっとしたものが走るのを感じた。久しぶりに聞いた甲高い声が、頭から耳から離れない。一太を拒絶し否定するために、あの声は一太に近付いてくる。
でも……。
そうだ。あの声は、一太の名前を呼ばなかった。拒絶し否定していたのは、一太のことでなかったのかもしれない。そう考えたら、少し頭の中の声が遠くなる気がした。
だって今、聞こえたんだ。
一太のことが心配だった、と。
寝られたのなら良かった、と。
夜でもない時間に、誰かが仕事をしている時間に寝てしまって、良かったってどういうことなんだろう……。
応援ありがとうございます!
77
お気に入りに追加
1,489
1 / 2
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる