【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ

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296 頭の中に響く声

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 ゆら、と体が揺れて、一太ははね起きた。しまった。寝てしまった。しまった。しまった。どうしよう。
 まだ夜では無いのに。

「おっと。目が覚めてしまったか? 動くと危ないぞ」

 晃とは違う匂いに包まれている。一太は、ますます混乱して目を見開いてしまった。そうして固まっているとぐい、と抱え直された。

「首に捕まってごらん。分かるか?」

 分かる訳がない。一太は、こんな風に誰かに抱き上げてもらったことなんて無いのだから。

「いっちゃん。ここ。ここに手をやって」

 晃が、宙をさまよう一太の手を取って誠の首に置いた。

「晃くん……」
「ん?」
「あ、いや……」

 ただ、晃だ、と思っただけだったので、何も言えずにまた固まってしまう。

「しっかり捕まったか。うちに入るぞ」

 そう言うと、一太を横抱きに抱えた誠が移動を始めたので、一太は慌てて、誠の首に回した手に力を込めた。

「一太は軽いな。もっとたくさん食べて、大きくなれよ」
「え? あ、はい……?」
「よし。返事は聞いたからな。たくさん食べるんだぞ」
「…………」

 これは、どういう事なんだろう。ゆら、ゆらと揺れる誠の体にしがみついている内に、一太は、車から家へ向かって運ばれていく。

「昔さ。僕が体調を崩して起き上がれない時、よく父さんがこうして運んでくれたよね」
「懐かしいな」

 近くを歩く晃が言う。誠は、また一太の体をぐい、とゆすり上げて笑った。

「子どもを、こうして抱くのも久しぶりだ」
「…………?」

 俺は子どもではないんだけれどな、と一太はぼんやり思う。
 駐車場から玄関にたどり着く前に、玄関の扉が開いた。

「おかえり。いっちゃん、大丈夫?」
「ああ。帰ってたのか」
「ええ。早めに上がらせてもらったのよ。心配で。ああ、いっちゃん……。顔色が悪いわ。昼ご飯は食べたのよね? 車に酔った?」

 少し高い声が、頭の上を滑る。一太は反射的に目を閉じた。

「母さん。まずはうちに入ろう」
「あ、そうね。ごめんなさい」
「いや。一太のことが心配だったんだろう? 車の中では寝ていたから、酔ったりということはないと思うぞ」
「そう? 寝られたのなら良かったわ」

 一太が目をつぶっている内に、夕闇の落ちる冬の玄関から、温かく明るい家の中へと入っていったのが分かった。瞼を閉じていても、光は感じられた。
 あったかい……。
 一太は、ただただ不思議だった。
 なんで誰も、怒らないんだろう。
 なんで誰も、俺が動けないことを責めて、ここに居たければ動け働け、生きたければ寝るな、と言わないんだろう。
 あの声は、ずっと俺にそう言っていたのに。
 あの声、と自分で考えておいて、一太は背筋にぞっとしたものが走るのを感じた。久しぶりに聞いた甲高い声が、頭から耳から離れない。一太を拒絶し否定するために、あの声は一太に近付いてくる。
 でも……。
 そうだ。あの声は、一太の名前を呼ばなかった。拒絶し否定していたのは、一太のことでなかったのかもしれない。そう考えたら、少し頭の中の声が遠くなる気がした。
 だって今、聞こえたんだ。
 一太のことが心配だった、と。
 寝られたのなら良かった、と。
 夜でもない時間に、誰かが仕事をしている時間に寝てしまって、良かったってどういうことなんだろう……。
 
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