【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ

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290 分かっていた

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のぞむ? のぞむ……!」

 息子さんが来てくれましたよ、と看護士に声をかけられて、目を閉じたままの女のか細い声がその名を呼んだ。掠れて力のない小さな声にも、喜びは乗せられるのだと分かる調子で。
 え? と付き添っていた役所の担当者は一太を見た。看護士も、あれ? と一太を振り返った。
 少し離れて待っていた晃と誠が、一太の近くへと寄ってくる。
 ベッドの女は薄らと目を開けて、きょろ、とその瞳を揺らした。

のぞむ、は……?」
「ええっと。あの、息子さんは、こちらで……」

 目を開けた女は、驚くほど一太に似ていた。病気でやつれて、化粧もしていないその顔は、本当にそっくりで……。



 役所の担当者が一太を示し、女の目が一太を認めたその時、どこから出たのかと思うほどはっきりと、女は言った。

「違う。違う、違う、違う」

 掠れた声が続く。

「なんで? どうして? なんで捨てても捨てても私の前にそれを連れてくるの? 違うって言ってるじゃない。知らないって。なんなの? それは私の何だって言うの?」

 目に涙を滲ませ、女は悲しみにくれる。ああそうだ。いつだってこの人はそうだった。自分以外の誰かが悪い。私は知らない。私は悪くない。私は、なんて不幸なんだろうと涙ながらに訴える。女のその涙ながらの願いは、大抵聞いてもらえた。一太が側にいなければ。
 一太を産んでしまった後、育てられないと涙ながらに訴えて預かってもらえた。余裕ができたら迎えに行く、なんて言った覚えはない。ないのに何故、今更引き取らなければならないのか。その存在をすっかり忘れていた間は何もかも上手くいっていたのに、と女は言う。そうやって、女はいつも一太をなじった。
 女の側に一太がいると、何故か女の願いは大抵叶わなくなるのだそうだ。あんたは、私の疫病神だ。あんたさえいなければ、何もかも上手くいくのに!
 周りが呆然とする中、女の繰り言は続く。

のぞむのぞむに会いたいと私は言ったのよ。私の、私の息子……」
「あ、あの……」

 一太はただ、悲しみにくれて泣く女を見ていた。分かっていた、分かっていたじゃないか、と自分に言い聞かせながら。
 ちょっと油断したのだ。
 一太の書いた手紙や、誠が揃えてくれた書類が認められ、お母さまには生活保護が支給されることになりました、と連絡を受けて、心底ほっとしたから。
 だから。

「お母さまの具合がとても悪くて。治療法がない訳ではないのですが、気力がなくて病気とも向き合えない状態なんです。お母さまは、息子さんに会いたいと望んでおられます。書類は見ました。見ましたが、でも……。どうでしょう? ひと目だけ、お母さまに会いに来ることはできませんか」

 その担当者の言葉に、会いたがっている息子は自分じゃない、とはっきり言えず頷いてしまった。
 自分は、親を見捨てる薄情者じゃないと証明したかったのか。もしかしてその人は、弱っている今、一太に会いたいと思ってくれたと思いたかったのか。自分の感情だけれど、よく分からない。
 でも、来てしまった。そしてまた、こうして刃を突き立てられるのだ。

「だから、言ったでしょ? 俺のこと、家族だと思っていないのはこの人だって」

 一太は、担当者へ告げた。女とよく似た顔に、薄らと笑みを浮かべて。
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