290 / 398
290 分かっていた
しおりを挟む
「望? 望……!」
息子さんが来てくれましたよ、と看護士に声をかけられて、目を閉じたままの女のか細い声がその名を呼んだ。掠れて力のない小さな声にも、喜びは乗せられるのだと分かる調子で。
え? と付き添っていた役所の担当者は一太を見た。看護士も、あれ? と一太を振り返った。
少し離れて待っていた晃と誠が、一太の近くへと寄ってくる。
ベッドの女は薄らと目を開けて、きょろ、とその瞳を揺らした。
「望、は……?」
「ええっと。あの、息子さんは、こちらで……」
目を開けた女は、驚くほど一太に似ていた。病気でやつれて、化粧もしていないその顔は、本当にそっくりで……。
「ちがう」
役所の担当者が一太を示し、女の目が一太を認めたその時、どこから出たのかと思うほどはっきりと、女は言った。
「違う。違う、違う、違う」
掠れた声が続く。
「なんで? どうして? なんで捨てても捨てても私の前にそれを連れてくるの? 違うって言ってるじゃない。知らないって。なんなの? それは私の何だって言うの?」
目に涙を滲ませ、女は悲しみにくれる。ああそうだ。いつだってこの人はそうだった。自分以外の誰かが悪い。私は知らない。私は悪くない。私は、なんて不幸なんだろうと涙ながらに訴える。女のその涙ながらの願いは、大抵聞いてもらえた。一太が側にいなければ。
一太を産んでしまった後、育てられないと涙ながらに訴えて預かってもらえた。余裕ができたら迎えに行く、なんて言った覚えはない。ないのに何故、今更引き取らなければならないのか。その存在をすっかり忘れていた間は何もかも上手くいっていたのに、と女は言う。そうやって、女はいつも一太を詰った。
女の側に一太がいると、何故か女の願いは大抵叶わなくなるのだそうだ。あんたは、私の疫病神だ。あんたさえいなければ、何もかも上手くいくのに!
周りが呆然とする中、女の繰り言は続く。
「望。望に会いたいと私は言ったのよ。私の、私の息子……」
「あ、あの……」
一太はただ、悲しみにくれて泣く女を見ていた。分かっていた、分かっていたじゃないか、と自分に言い聞かせながら。
ちょっと油断したのだ。
一太の書いた手紙や、誠が揃えてくれた書類が認められ、お母さまには生活保護が支給されることになりました、と連絡を受けて、心底ほっとしたから。
だから。
「お母さまの具合がとても悪くて。治療法がない訳ではないのですが、気力がなくて病気とも向き合えない状態なんです。お母さまは、息子さんに会いたいと望んでおられます。書類は見ました。見ましたが、でも……。どうでしょう? ひと目だけ、お母さまに会いに来ることはできませんか」
その担当者の言葉に、会いたがっている息子は自分じゃない、とはっきり言えず頷いてしまった。
自分は、親を見捨てる薄情者じゃないと証明したかったのか。もしかしてその人は、弱っている今、一太に会いたいと思ってくれたと思いたかったのか。自分の感情だけれど、よく分からない。
でも、来てしまった。そしてまた、こうして刃を突き立てられるのだ。
「だから、言ったでしょ? 俺のこと、家族だと思っていないのはこの人だって」
一太は、担当者へ告げた。女とよく似た顔に、薄らと笑みを浮かべて。
息子さんが来てくれましたよ、と看護士に声をかけられて、目を閉じたままの女のか細い声がその名を呼んだ。掠れて力のない小さな声にも、喜びは乗せられるのだと分かる調子で。
え? と付き添っていた役所の担当者は一太を見た。看護士も、あれ? と一太を振り返った。
少し離れて待っていた晃と誠が、一太の近くへと寄ってくる。
ベッドの女は薄らと目を開けて、きょろ、とその瞳を揺らした。
「望、は……?」
「ええっと。あの、息子さんは、こちらで……」
目を開けた女は、驚くほど一太に似ていた。病気でやつれて、化粧もしていないその顔は、本当にそっくりで……。
「ちがう」
役所の担当者が一太を示し、女の目が一太を認めたその時、どこから出たのかと思うほどはっきりと、女は言った。
「違う。違う、違う、違う」
掠れた声が続く。
「なんで? どうして? なんで捨てても捨てても私の前にそれを連れてくるの? 違うって言ってるじゃない。知らないって。なんなの? それは私の何だって言うの?」
目に涙を滲ませ、女は悲しみにくれる。ああそうだ。いつだってこの人はそうだった。自分以外の誰かが悪い。私は知らない。私は悪くない。私は、なんて不幸なんだろうと涙ながらに訴える。女のその涙ながらの願いは、大抵聞いてもらえた。一太が側にいなければ。
一太を産んでしまった後、育てられないと涙ながらに訴えて預かってもらえた。余裕ができたら迎えに行く、なんて言った覚えはない。ないのに何故、今更引き取らなければならないのか。その存在をすっかり忘れていた間は何もかも上手くいっていたのに、と女は言う。そうやって、女はいつも一太を詰った。
女の側に一太がいると、何故か女の願いは大抵叶わなくなるのだそうだ。あんたは、私の疫病神だ。あんたさえいなければ、何もかも上手くいくのに!
周りが呆然とする中、女の繰り言は続く。
「望。望に会いたいと私は言ったのよ。私の、私の息子……」
「あ、あの……」
一太はただ、悲しみにくれて泣く女を見ていた。分かっていた、分かっていたじゃないか、と自分に言い聞かせながら。
ちょっと油断したのだ。
一太の書いた手紙や、誠が揃えてくれた書類が認められ、お母さまには生活保護が支給されることになりました、と連絡を受けて、心底ほっとしたから。
だから。
「お母さまの具合がとても悪くて。治療法がない訳ではないのですが、気力がなくて病気とも向き合えない状態なんです。お母さまは、息子さんに会いたいと望んでおられます。書類は見ました。見ましたが、でも……。どうでしょう? ひと目だけ、お母さまに会いに来ることはできませんか」
その担当者の言葉に、会いたがっている息子は自分じゃない、とはっきり言えず頷いてしまった。
自分は、親を見捨てる薄情者じゃないと証明したかったのか。もしかしてその人は、弱っている今、一太に会いたいと思ってくれたと思いたかったのか。自分の感情だけれど、よく分からない。
でも、来てしまった。そしてまた、こうして刃を突き立てられるのだ。
「だから、言ったでしょ? 俺のこと、家族だと思っていないのはこの人だって」
一太は、担当者へ告げた。女とよく似た顔に、薄らと笑みを浮かべて。
326
お気に入りに追加
2,210
あなたにおすすめの小説

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?


鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。

弱すぎると勇者パーティーを追放されたハズなんですが……なんで追いかけてきてんだよ勇者ァ!
灯璃
BL
「あなたは弱すぎる! お荷物なのよ! よって、一刻も早くこのパーティーを抜けてちょうだい!」
そう言われ、勇者パーティーから追放された冒険者のメルク。
リーダーの勇者アレスが戻る前に、元仲間たちに追い立てられるようにパーティーを抜けた。
だが数日後、何故か勇者がメルクを探しているという噂を酒場で聞く。が、既に故郷に帰ってスローライフを送ろうとしていたメルクは、絶対に見つからないと決意した。
みたいな追放ものの皮を被った、頭おかしい執着攻めもの。
追いかけてくるまで説明ハイリマァス
※完結致しました!お読みいただきありがとうございました!
※11/20 短編(いちまんじ)新しく書きました!
※12/14 どうしてもIF話書きたくなったので、書きました!これにて本当にお終いにします。ありがとうございました!

モテる兄貴を持つと……(三人称改訂版)
夏目碧央
BL
兄、海斗(かいと)と同じ高校に入学した城崎岳斗(きのさきやまと)は、兄がモテるがゆえに様々な苦難に遭う。だが、カッコよくて優しい兄を実は自慢に思っている。兄は弟が大好きで、少々過保護気味。
ある日、岳斗は両親の血液型と自分の血液型がおかしい事に気づく。海斗は「覚えてないのか?」と驚いた様子。岳斗は何を忘れているのか?一体どんな秘密が?

【完結】薄幸文官志望は嘘をつく
七咲陸
BL
サシャ=ジルヴァールは伯爵家の長男として産まれるが、紫の瞳のせいで両親に疎まれ、弟からも蔑まれる日々を送っていた。
忌々しい紫眼と言う両親に幼い頃からサシャに魔道具の眼鏡を強要する。認識阻害がかかったメガネをかけている間は、サシャの顔や瞳、髪色までまるで別人だった。
学園に入学しても、サシャはあらぬ噂をされてどこにも居場所がない毎日。そんな中でもサシャのことを好きだと言ってくれたクラークと言う茶色の瞳を持つ騎士学生に惹かれ、お付き合いをする事に。
しかし、クラークにキスをせがまれ恥ずかしくて逃げ出したサシャは、アーヴィン=イブリックという翠眼を持つ騎士学生にぶつかってしまい、メガネが外れてしまったーーー…
認識阻害魔道具メガネのせいで2人の騎士の間で別人を演じることになった文官学生の恋の話。
全17話
2/28 番外編を更新しました

無能の騎士~退職させられたいので典型的な無能で最低最悪な騎士を演じます~
紫鶴
BL
早く退職させられたい!!
俺は労働が嫌いだ。玉の輿で稼ぎの良い婚約者をゲットできたのに、家族に俺には勿体なさ過ぎる!というので騎士団に入団させられて働いている。くそう、ヴィがいるから楽できると思ったのになんでだよ!!でも家族の圧力が怖いから自主退職できない!
はっ!そうだ!退職させた方が良いと思わせればいいんだ!!
なので俺は無能で最悪最低な悪徳貴族(騎士)を演じることにした。
「ベルちゃん、大好き」
「まっ!準備してないから!!ちょっとヴィ!服脱がせないでよ!!」
でろでろに主人公を溺愛している婚約者と早く退職させられたい主人公のらぶあまな話。
ーーー
ムーンライトノベルズでも連載中。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる