【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ

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264 ◇この日々を、ありがとう

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 一太の寝息が聞こえるのは早かった。
 えええ? 少し緊張してたのは、僕だけ? と晃は少々不満だったが、心を許してくれている証拠と思えば、嬉しくもある。複雑だ……。

「いっちゃん……」

 そっと囁いて、隙間を詰める。繋いだ手にはまだ力がこもっているから、起こさないように気を付けて。晃は体を横に向けて、空いている手でそっと一太の頭を撫でた。少しずつ暗くなっていく部屋の灯りを頼りに、一太の寝顔を堪能する。まつ毛長いな、とか、顎細いな、とか。そういえばこんなにじっくり間近で、一太の顔を見たことは無かったかもしれない。
 一太の不安を解消するために、ぎゅって抱っこしてしまうと顔は見えない。何より、晃は今まで、他人の顔の造作なんて、まじまじと観察したことがなかった。歩いているだけで、きゃあきゃあと勝手に観察されていることが多く、その時に相手と目が合うのが嫌で目を逸らしていたら、それが癖になってしまったのだろう。病院で長い時間を過ごした幼少期、仲良くなってもお別れする事が多かった。だから、人と深く関わろうとしなくなった晃は、人と目を合わせなくても平気で生きてこられたのだ。
 でも、そういえばいっちゃんには、自分から目を向けていたな。
 目を逸らして関わらないようにしようとしていたのは、一太の方だった。一太がそうすればするほど心配になって、晃は追いかけた。
 何故か。改めて考えてみる。
 一太の細過ぎる体と青白い顔が、病院でよく目にしていたお別れの近い友人たちに、あまりにも似通っていたからだ。それは、久しく忘れていた感覚。
 晃が、幸運なことに手術で病気が完治して、手術痕を気持ち悪いと言われるなどの嫌なことはあったが、こうして生きて普通に学校に通い出してから、一度も目にしたことが無かった顔色だった。これは駄目だ、と晃の中で警告が鳴った。ぞっとした。あの顔色で、けろりと学校に通って授業を受けている。どこにも、悪いところはないらしい。バイトが忙しいらしい。
 そんな訳ない。あれは、入院して点滴をしていなければ倒れるレベルの顔色だ、と思った。気になり出すと、止まらなかった。何を食べているのか、ちゃんと食べているのか。生活は? と。
 そこから、気付けば自分から声をかけていて。でも、一太はなかなか一緒に食堂には来てくれなくて。後から聞けば、バイト先の廃棄弁当をもらって食べているのを知られるのが恥ずかしかった、という事だった。食べていない日もあったらしい。
 声をかけ続けて良かった、と今、一太の健やかな寝顔を見て思う。まだまだ細いけれど、顔色は悪くない。美味しい、と毎食きちんとご飯を食べている。
 一太から、ピアノ室を一緒に使いたい、と言われた日。あの日は、学校のピアノ室を晃の名義で借りた唯一の日だった。あのたった一日が、一太の命を救ったのだと思えば、晃は信じてもいなかった神様に、思わず感謝を捧げてしまう。ありがとう、神様。いっちゃんの命を助けさせてくれて。
 やがて、部屋がすっかり暗くなってしまうまで一太の寝顔を間近で見てから、晃も目を閉じた。
 
 
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