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214 ただ嬉しかった
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家に帰ったら、冷蔵庫から真っ黒なチョコレートケーキが出てきた。濃い黒が滑らかな、飾りのないシンプルなものだ。
「おお……」
一太が思わず声を上げると、んふふ、と陽子が笑った。
「いっちゃんが晃に白い生クリームと苺のケーキを作ってくれたと聞いたので、私はチョコレートケーキにしましたー」
「すごい。すごいです。飾らなくても綺麗」
「ふふ。これは生クリームを温めてチョコレートを溶かしたチョコクリームを塗ったチョコレートケーキ。チョコレートケーキはねえ、生クリームにココアを入れて泡立てるふわふわチョコレートケーキもあるのよ」
「おお……」
一太は、コンビニやスーパーで仕事をしてきたので色々なケーキを見たことはある。けれど食べたことはない。味の想像がつかないから、仕事で陳列する時にじっくり見ることもなかった。チョコレートケーキひとつとってもそんなに種類があるのか。
「晃くん、どれが好き?」
「うーん。どれも好きだけど、このチョコレートケーキは一番好きかな」
それなら、作り方を聞いて帰らねば!
「あ、もちろん、いっちゃんの作ってくれる料理は何でも好きだよ」
「あ、ありがと……」
晃が笑顔で言ってくれるのは嬉しい。嬉しいが、気を使わなくてもいいのに、とも思う。一太が作ったものより陽子が作ったものの方が美味しいのは当然だ。陽子さんはずっと、晃くんや家族を笑顔にしたくて料理を作ってきたに違いないのだから。ただ、生きるための仕事として料理していた一太とは訳が違う。一太は、誰かに喜んでもらいたいと思う料理を作り始めたばかりの初心者だから、何が好きか、一番好きなものはどれなのかをちゃんと教えてくれると助かる。
「おかえり。いいの、買えた?」
家で留守番していた光里が、自分の部屋から出てきた。
誰もいなくて少し冷えていた居間はすぐにエアコンがごうごうと作動して、暖まっていく。誰かがスイッチを入れたのだろう。
「ただいま。買ってきたよー。聞いて。安売りのセットに広告の割引券は使えなかったんだけどさ。いっちゃんの学生証見せたら学割で十パーセント引きしてもらえて、更に私のスマホのペイ払いのクーポンが発動して五パーセント分のポイント還元、そしてこのポイントカードにもポイントがたまったの。しかも、ポイント五倍デーだった!」
「やるじゃん!」
「でしょー。という訳で、いっちゃん。ものすごく安くなったからね。ポイント分とかも引くから」
「え? あ、はい」
「ふふ。いい日だわー」
「あの……」
「二十五回くらい払ってくれたら充分よ。就職してからね」
「え?」
確かに元の値より割引きになったのは見たが、一番小さいサイズの靴でも一太には少し大きくて中敷きを足したり、ジャケットの袖とズボンの丈のお直し代が追加されたり、シャツをノーアイロンでも大丈夫な品に変えたりと、少しづつ値段が増えている部分もあったはずだ。結局元のセットの価格と変わらなかったのでは?
「あの、でも」
「いっちゃん、そういうものらしいよ」
何が……?
首を傾げる一太に、晃はうーん、と少し考えてから言った。
「ポイント。そう、ポイントがさ、母さんくらいになると倍率がすごいからたくさん付くんだって」
「そう、なの?」
「つくわよー。ランク高いからね!」
それなら、お言葉に甘えていいのだろうか。一太が考えている間にも、ケーキを食べる準備は整えられていく。
「飲み物、何にするー?」
「温かいコーヒー。ミルクだけ」
「僕は温かいストレートティ」
「私も紅茶」
机には、ケーキとお皿とフォークが並ぶ。
当たり前のように、一太の分も並んでいく。
そして、当たり前のようにその言葉は一太に届くのだ。
「いっちゃんは、何飲む?」
「あの……。ミルクティ、がいいです」
「はーい」
そういうもの、という言葉がぐるぐる回る。そういうものだ。色々とそういうもの。
借りたお金の返済は余裕がある時で良くて、ポイント分は払わなくて良くて、ここに一太の席は当たり前にあって、陽子さんは聞いたらすぐにケーキの作り方を教えてくれる。ケーキだけじゃない、何でも。何でも答えてくれる。暖かい部屋で誰かと笑って話をしている。
夢に見たこともなかった景色。
いっそ一人なら楽なのに、と思っていたのが嘘みたいに楽しい。嬉しい。
こんなこと、あるんだなあ。こんな世界があったんだなあ。
「おお……」
一太が思わず声を上げると、んふふ、と陽子が笑った。
「いっちゃんが晃に白い生クリームと苺のケーキを作ってくれたと聞いたので、私はチョコレートケーキにしましたー」
「すごい。すごいです。飾らなくても綺麗」
「ふふ。これは生クリームを温めてチョコレートを溶かしたチョコクリームを塗ったチョコレートケーキ。チョコレートケーキはねえ、生クリームにココアを入れて泡立てるふわふわチョコレートケーキもあるのよ」
「おお……」
一太は、コンビニやスーパーで仕事をしてきたので色々なケーキを見たことはある。けれど食べたことはない。味の想像がつかないから、仕事で陳列する時にじっくり見ることもなかった。チョコレートケーキひとつとってもそんなに種類があるのか。
「晃くん、どれが好き?」
「うーん。どれも好きだけど、このチョコレートケーキは一番好きかな」
それなら、作り方を聞いて帰らねば!
「あ、もちろん、いっちゃんの作ってくれる料理は何でも好きだよ」
「あ、ありがと……」
晃が笑顔で言ってくれるのは嬉しい。嬉しいが、気を使わなくてもいいのに、とも思う。一太が作ったものより陽子が作ったものの方が美味しいのは当然だ。陽子さんはずっと、晃くんや家族を笑顔にしたくて料理を作ってきたに違いないのだから。ただ、生きるための仕事として料理していた一太とは訳が違う。一太は、誰かに喜んでもらいたいと思う料理を作り始めたばかりの初心者だから、何が好きか、一番好きなものはどれなのかをちゃんと教えてくれると助かる。
「おかえり。いいの、買えた?」
家で留守番していた光里が、自分の部屋から出てきた。
誰もいなくて少し冷えていた居間はすぐにエアコンがごうごうと作動して、暖まっていく。誰かがスイッチを入れたのだろう。
「ただいま。買ってきたよー。聞いて。安売りのセットに広告の割引券は使えなかったんだけどさ。いっちゃんの学生証見せたら学割で十パーセント引きしてもらえて、更に私のスマホのペイ払いのクーポンが発動して五パーセント分のポイント還元、そしてこのポイントカードにもポイントがたまったの。しかも、ポイント五倍デーだった!」
「やるじゃん!」
「でしょー。という訳で、いっちゃん。ものすごく安くなったからね。ポイント分とかも引くから」
「え? あ、はい」
「ふふ。いい日だわー」
「あの……」
「二十五回くらい払ってくれたら充分よ。就職してからね」
「え?」
確かに元の値より割引きになったのは見たが、一番小さいサイズの靴でも一太には少し大きくて中敷きを足したり、ジャケットの袖とズボンの丈のお直し代が追加されたり、シャツをノーアイロンでも大丈夫な品に変えたりと、少しづつ値段が増えている部分もあったはずだ。結局元のセットの価格と変わらなかったのでは?
「あの、でも」
「いっちゃん、そういうものらしいよ」
何が……?
首を傾げる一太に、晃はうーん、と少し考えてから言った。
「ポイント。そう、ポイントがさ、母さんくらいになると倍率がすごいからたくさん付くんだって」
「そう、なの?」
「つくわよー。ランク高いからね!」
それなら、お言葉に甘えていいのだろうか。一太が考えている間にも、ケーキを食べる準備は整えられていく。
「飲み物、何にするー?」
「温かいコーヒー。ミルクだけ」
「僕は温かいストレートティ」
「私も紅茶」
机には、ケーキとお皿とフォークが並ぶ。
当たり前のように、一太の分も並んでいく。
そして、当たり前のようにその言葉は一太に届くのだ。
「いっちゃんは、何飲む?」
「あの……。ミルクティ、がいいです」
「はーい」
そういうもの、という言葉がぐるぐる回る。そういうものだ。色々とそういうもの。
借りたお金の返済は余裕がある時で良くて、ポイント分は払わなくて良くて、ここに一太の席は当たり前にあって、陽子さんは聞いたらすぐにケーキの作り方を教えてくれる。ケーキだけじゃない、何でも。何でも答えてくれる。暖かい部屋で誰かと笑って話をしている。
夢に見たこともなかった景色。
いっそ一人なら楽なのに、と思っていたのが嘘みたいに楽しい。嬉しい。
こんなこと、あるんだなあ。こんな世界があったんだなあ。
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