【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ

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195 誕生日の手順

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「お腹いっぱいだ。ありがとう」

 松島が、そう言ってお皿を片付けるために立ち上がろうとするので、一太は慌てて止めた。

「今日は、座ってて」

 今から、ケーキを出す手順だ。できれば、晃くんが座っている目の前に持ってきたい。

「そう? ありがとう」

 松島があっさりと引いてくれたので、ほっとした。誕生日ってのはそういう日らしい。
 一太は立ち上がって、いつもは二人で片付ける皿やドレッシングを手早く一人で片付けた。片付けながら思う。今日は、松島の誕生日だからといつもより品数が多かったから、お腹がものすごくいっぱいだ。さっき松島も、お腹いっぱいと言っていた。
 ここから、ケーキ?
 入りそうにないんだけど……。
 しかし、松島の母、陽子に教えてもらった手順では、ご飯の後にケーキを出して、誕生日の歌を歌ってから切り分けて食べることになっている。
 とりあえず洗い物は流しにつけておいて、動き回る一太をにこにこと眺めていた松島の前にケーキを置いた。丸くて白い、苺がたくさん乗っているシンプルなケーキ。

「誕生日、おめでとう」

 松島が帰宅した時にも言ったが、何となくケーキとその言葉がとても合う気がして、そう言いながらケーキを置いた。

「ありがとう!」

 松島の笑顔が、更にぱあっと広がったので正解かな、と思う。そうだ、と一太はスマホを鞄から取り出した。今の晃くんの顔は、現像して持ち歩きたい顔だった。写真を撮りたい。

「写真、撮ってもいい?」
「もちろん。ケーキもいっちゃんも一緒に撮ろう」

 松島の誕生日なのだから、松島の写真だけでいいんじゃないか、と一太は首を傾げたが、松島に手招きされて側に寄る。スマホをいつも手元に持っている松島は、手早くカメラを起動して一太の肩を抱いた。二人の顔と、ケーキの置いてある机も画面に入るように調整すると、はい、カメラの方を向いて、と指示が飛ぶ。
 苺のケーキと、とてもご機嫌な顔の松島がスマホの画面に見えた。

「いっちゃん、笑って」

 笑顔の松島に言われるまでもなく、一太の顔にも笑顔が広がる。誕生日って、こんなにも素敵な日だったんだな。すごいな。
 その後、もういいよ、と言う松島を説得して、一太のスマホで松島一人だけの写真も写させてもらった。笑顔が三割減だったのが残念だったが、一太は写真を確認して、よしと頷いた。
 そして、手順を思い出す。
 誕生日の歌を歌ってから、ケーキを食べる。
 電子ピアノの前に座って、教科書のその歌のページを開いた。大学の音楽の教科書には、簡単な、子ども向けの歌の楽譜がたくさん載っている。誕生日の歌も、当たり前のようにそこにあった。
 いつものようにカタカナで音階は書いた。スマホで何度も、メロディを確認した。幼稚園実習の時にも、皆が歌っているのを聞いていた。松島に内緒での練習はあまりできなかったが、何とか……。

「ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデートゥーユー……」

 静かな部屋の中に、一太のピアノと歌が流れていく。松島の方を向く余裕は無かった。時々、つっかえながら、一太は歌う。初めて歌う誕生日の歌を。
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