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187 絶対に失いたくないもの

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「あ、あきら、くん……?」
「そろそろ昼だから、学食で一緒にご飯を食べようと思って。冬休みだけど、今日はまだ学食開いてるらしいよ。レポート終わった?」
「う……ん。おわった……」

 声を出してみれば、息が苦しかった。いつの間にか、息を詰めてしまっていたのかもしれない。

「あれ? 何か顔色悪い? 大丈夫?」

 すたすたと歩いて来た松島は、当たり前に一太の隣に立って顔を覗き込んだ。少し息が荒いから、早足で一太のことを探してくれていたのかもしれない。一太のおでこに手を当てて、んー? と首を傾げる。

「熱とか無いよね? この服じゃ寒かったかな。パソコン室、暖房効いてた? ちゃんと暖房つけた? ここも寒いし、早く食堂行って、あったかいうどん食べよう」

 大丈夫。服はあったかい。一太は、頬が緩むのが分かった。松島の母、陽子が、松島の背が伸びて着られなくなったけれど捨てられなくて置いてあったという冬服を、一太宛に段ボールに詰めて、いっぱい送ってくれたから。初めて自分宛に届いた荷物は、その存在だけで興奮した。嬉しかった。それらの服は、手触りの良いふわふわやもこもこが裏地についていて、本当に暖かい。上着も風を通さないから最高だ。下着も、薄いのに暖かいと評判の品を松島と一緒に買いに行って、それも着ているのでぬくぬくだ。

「うどん」
「うん。今日、天ぷらうどんあるかなあ。僕、天ぷらうどんの気分なんだよね」

 一太の脳裏に、ふわあ、とあったかいうどんが浮かび上がった。止まりかけていた思考が回り出す。

「俺も天ぷらうどん食べる」
「たまには同じのもいいね」
「うん」

 やっぱり、何もおかしくない。一太と松島がご飯を一緒に食べるのは、当たり前のことだ。だって松島は、こんなに正しく一太の食べたいものを言い当ててくれる。同じ食べ物を美味しいと思っている。

「あの。あの、松島くん。こんにちは」

 お祈りポーズのまま、北村が少し潤んだ目で松島を見上げた。

「ああ。こんにちは、北村さん。北村さんもレポート提出?」

 松島の顔が、す、とよそいきになった。無表情に近い笑顔。安倍の言う、愛想のない顔だ。

「あ、うん、そう。図書室で、ちょっと資料がほしくて」
「そう。お疲れ様。じゃあまた」

 松島は少しだけ笑みを深めて、すぐに別れの挨拶をする。こんにちは、さようなら、コチコチカッチン動いてる、という時計の歌を一太は思い出した。
 上手いなあ。話したくない人からは、すぐに離れるっていうのが正解なのか。でも、話したくない人かどうか、話してみないと俺には分からなかった。まあ、次から北村さんに出会ったら、こんにちは、さようならって言うことにしよう。

「あの! 今、ちょうど松島くんの話してて!」

 松島が、あまりにも鮮やかに一太の肩を抱いてその場を去ろうとするから、北村は焦って大きな声を上げた。
 一太は、きんきんと高い声を聞くのが、もう嫌だった。

「あの、北村さん。俺は、晃くんと別れるのはできない、です。……気持ち悪いなら、もう近寄らないように気をつけるね。ごめんね」

 この言葉が、どんな風に北村に受け止められてしまうのか不安だったけれど、一太は頑張って口を開く。
 だって、肩に置かれたこの手を離すのは嫌なんだ。この手だけは、どうしても離したくないんだ。
 それは、一太が生まれて初めて、絶対に失いたくないと思ったものだった。


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