【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ

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186 口を閉じても開いても

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 別れてあげて?

「ええ、と?」

 それが、北村さんの言いたいこと? 男同士で付き合ってるのがおかしいから、晃くんと俺が付き合うのをやめた方がいいって話なんだよね?

「松島くんを自由にしてあげて」

 晃くんは、何か不自由していただろうか? 心当たりがない。一太の知る限り、割といつもご機嫌で暮らしている。
 北村さんは何でそんな、目に涙を溜めて祈っているんだろう。

「晃くんは自由だけど……?」
「だって、村瀬くんと付き合ってるから他の人と付き合えないんでしょう? 束縛してるじゃない」

 束縛? 一太には、北村が何を言っているのか、よく分からない。
 
「他の人と付き合いたくなれば、そうするんじゃないのかな……?」

 今は、一太と付き合いたいから付き合っている。金曜日に松島は、北村に向けてそう言っていたと思う。いや、賀川さんにだったかな? とりあえず、そう言っていたのを、北村は聞いていたはずだ。だって、一緒にいたのだから。
 好きな人と付き合ってて幸せだって、晃くんは言った。好きな人と付き合っていなかったら他の人と付き合えるか、と聞かれて付き合えない、と言っていた。
 一太が、松島としか付き合う気がないように、今、松島も、一太としか付き合う気がないのだ。
 あの言葉は、そういう意味で間違っていないと思う。
 金曜日、家に帰ってからの松島はひどくはしゃいでいた。一太は、料理にお酒でも入っていて、酔っ払ってしまったのかと疑ったほどだ。

「いっちゃんは僕のこと、好きじゃなくならないんだよねえ」

 と、言いながら抱きついてきて、一太の顔中にちゅっ、ちゅとキスをした。その言葉が嬉しかったのか、と一太も嬉しくなった。同じことを、松島も言っていたから。あと、キスは気持ち良かった……。
 その光景などを思い浮かべると、束縛されているのは、どちらかというと一太の方であるように思う。別にそれで、構わないのだが。

「でも、松島くんは、付き合っている人がいるから私とは付き合えないって言ってたでしょ? その相手が村瀬くんなら、村瀬くんが松島くんと付き合うのをやめたら、私と付き合えるじゃない。そうすれば松島くんがおかしな目で見られることも無いし、皆幸せになれる」

 晃くんは、そんなこと言っていない。晃くんは、俺と付き合ってなくても、北村さんとは付き合えないって言ったんだ。
 話が、北村にとって都合の良いように変わっていて、一太はぞっとした。小さい頃のことを思い出したのだ。
 母に引き取られたばかりの頃、あまりに生活が辛くて、頑張って訴えてみたことが何度かあった。お腹が空いたとか、寒いとか、布団で寝たい、風呂に入りたい。そんなことを言ったと思う。後は、帰りたいって。おうちに帰りたいって言った。その度に、より酷い目にあってきたことを思い出した。
 一太の言葉や行動が、全て相手に都合良く変換されて、挙句、自分で言ったよね? と言われてしまったことが何度もあったのだ。その結果、一太は口を噤むことを選択した。
 曰く、こんなご飯食べられない、とあんたが言ったから、うちにはあんたに食わせる食べ物は無いのだとか、こんな風呂には入れない、と言うなら、風呂になんて入らなくていい、とか。ごみ箱に入った残飯を渡されて、腐った匂いのする食べ物を渡されて、食べられるわけが無い。水風呂になんて、真夏でもなければ入れない。けれど、全て一太が我儘を言ったのが発端で、そういう扱いになったのだという事になっていた。一太にとっての帰りたいおうちは児童養護施設のことだったが、それも、児童福祉司の人に伝わらなかった。おうちに帰れて良かったね、と言われてしまったのだから。
 だから、言わなければ分からないよ、と言われても、一太は口を開かなくなった。言っていない言葉の責任を負わされるくらいなら、何も言わないからそうなった、という事にされる方がいい。もしかしていつか、一太の言葉を正しく受け止めてくれる人がいた時に、最終的に決めたのは相手だと言えるように。そんな日がくることを夢見て、口を閉じていた。
 その頃のことを思い出して、一太の体から血の気が引く。
 かなり話してしまった一太の言葉は、この人の中で、どのように変換されていることだろう。

「ね? 分かってくれた?」

 目を潤ませてお祈りポーズをするこの人と、身長の関係で見下ろす形になっている自分は、人の目にどう写っているのだろう。
 ああ、目眩が酷くなる。
 ぐるぐる。ぐるぐる。考えが纏まらない。
 どうすればいいのか、分からない。
 いや、本当は簡単なことなんだ。になるように、行動すればいい。でも。
 このままではきっと、いつものように、相手の都合の良い形で話は終わる。いつものように……。

「いっちゃん! いた!」
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