【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ

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130 美味しいは、言ってもらわなければ分からない

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「え?」

 一太は驚いた声を上げた。今、なんて?

のぞむくん……。君は……」

 椛田かばたが声を詰まらせて、一太を見た。

「ご飯?」
「そうだよ。お前の作った飯が食いたいって言ってんの」
「何で……?」
「何でって、美味いから」
「え? だってそんなこと、一回も……」

 そうだ。一回も聞いたことない。いつだってのぞむは、温かい食事がそこにあるのが当たり前って顔で食べて、足りないって文句を垂れていた。お金があまり無いこともあって、いつも、ぎりぎり足りそうな量を作っていたから。もちろんそこに、一太の分は存在しない。かさ増しの工夫をして多めに作ったって、のぞむが無理やり食べてしまって、お腹が痛いとか言い出すのだから、普通に作る方が手間がかからない。だから、量はぎりぎりのままだった。
 少しでも焦げていたり形が悪かったりすると、鬼の首を取ったように、母と二人で一太を責め立てた。カレーやシチューを作れば、手抜きか、と言われた。

「言ってなくても分かるだろ。残してないんだから」
「…………」

 分からなかった、と言えばまたのぞむが感情を爆発させそうで、一太は黙ってのぞむの顔を見た。
 一度も褒められたことの無い食事作りは苦痛で、作っている時の良い匂いが空きっ腹を刺激して、料理は一番嫌いな家事だった。
 今は、違うけど。
 一太は、隣に座る松島を見上げる。
 袋ラーメンを作ってあげても、美味しい美味しい、と喜んでくれる人。カレーは、大好物だと言った。一太も好きだから、よく作る。まとめて作って、二日間カレーになっても、二日目のカレーは更に美味しい、と喜んでくれる。
 だから今はご飯作りが楽しくて、作りたいから作っている。松島は、分担しよう、と言ってくれるが、一太がやりたいのだ。そう言えば松島は、ありがとうと笑って、他の家事を引き受けてくれた。
 一緒に暮らし始めてまだ、二ヶ月も経っていない。
 なのに、これまでの生活に戻るなんて考えられないほど快適で、ずっとこうしていたいと思えるもので。それは、一太の分も食事があるから、とか、お金に余裕があるから、とかそういう事だけじゃないと思う。一太の作った食事を、美味しいと松島が笑顔で食べてくれるから、そう思えるのだ。

「いっちゃん?」

 一太にじっと見られて、松島が首を傾げる。一太は、にこりと松島に笑顔を返した。
 それから、のぞむの方を向く。

「俺のご飯なんて、普通のレシピだから誰でも作れるよ。何か作りたい料理があるならレシピを渡すから。誰かに作ってもらうか、自分で作ってみて」
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