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122 届けたい言葉はもう、無かった

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「は?」

 一太の言葉に、のぞむが低い声を出した。それから、今までの物言いを忘れてまくし立てる。

「はあ? 何言ってんの? 後で覚えとけよ、くそが! とりあえず、訳分かんないこと言ってないで、早く俺の昼飯作れよ。人がちょっと甘い顔したら、すぐつけ上がりやがって! まじで俺、腹減ったんだけど!」

 昼ご飯の時間は、とうに過ぎている。皆、お腹は空いていることだろう。一太も、殴られたお腹がずきずき痛いだけでなく、朝に食べた物を吐いてしまった空っぽの胃が、きゅうきゅうと痛み始めていた。仕事をしてきた松島も、きっとお腹が空いているに違いない。二人の警察官だって、このままでは昼の休憩が取れなくなってしまう。
 そこまで考えて一太は、のぞむが何か言っても冷静でいられる自分に驚いた。今までなら、殴られた直後だって即座に無理やり動いて、ご飯を作り始めていたに違いない。
 肩を抱いてくれている松島の手。大変だったね、と言ってくれた警察官。自分を肯定してくれるものが、確かにここにある。もう、大丈夫。きっと、言葉は届く。

のぞむくん⋯⋯」

 児童相談員が、呆然と呟いた。あの人は、のぞむのどんな姿を見て、どんな言葉を聞いて、ここへ連れて来たのだろうか。
 一太は、のぞむではなく、児童相談員をじっと見ていた。のぞむに届けたい言葉なんてもう無くて、この人に分かって貰いたかった。また、のぞむを連れてこられるのは嫌だ。また、のぞむを引き取れと電話を掛けてこられても頷けない。
 返事は、決して変わらないのだから。

椛田かばたさん。村瀬くんは、先日お会いした時にあなたにお伝えした筈です。弟さんを引き取ることなんて出来ないし、もう二度と会いたくないって。弟さんが持ち逃げしたと言い張っているお金も全て、村瀬くんが稼いだ、村瀬くんのお金であるということもお伝えしましたよね? それで、終わりましたよね? 弁護士である僕の父の立ち会いの元、正式な話し合いだった筈です。父は言っていました。家庭内暴力の、被害者と加害者を会わせることは危険だと」
「そ、それはそうなんですが。でも、のぞむくんが、お兄さんとの面会を望んでいたので⋯⋯」

 松島の言葉に、流石にもごもごと口ごもりながら、椛田かばたは言う。きっと彼は、家庭内暴力、という言葉が実感として分かっていなかったのだろう。兄弟喧嘩でいつも一太が負けている、くらいの認識だったのかもしれない。彼はどうやら、家族というのは基本仲良しだ、と思っているようだから。
 だが椛田かばたは、目の前ではっきりと、一太が殴られた上、髪の毛を掴んで引き摺られる場面を見てしまった。一太がのぞむを訴える際の、暴力行為を証言する証人は、椛田かばたなのだ。

「弟さんが望んでいたから、村瀬くんの個人情報を仕事の権限で入手して、連れて来たんですか? 村瀬くんが、引っ越したばかりの住所まで調べて? 村瀬くんが望んでいなかったのに? そして、裏口からの不法侵入をされた、と」
「あ、いや。それは、村瀬さんを助けようと⋯⋯」
「なあ、おい! 俺の昼飯を早く作れって!」
「こら、君。大人しくしていなさい!」
「いっちゃん?」

 ぐらりと一太の体が傾いて、松島が声を上げた。のぞむはもう、取り繕う様子もなく声を張り上げて立ち上がろうとして、近くにいた警察官におさえられていた。一太は腹の痛みが強くなってきて、松島にすっかりもたれかかってしまう。
 折角、晃くんが俺のために話をしてくれているのに⋯⋯、と思いながらも、少しずつお腹を抱えて前屈みになっていく。

「これはいけない。やはり、まずは病院だ。救急車が嫌ならタクシーを呼ぼう。そちらの二人は、とりあえず交番で、もう少し詳しく事情を聞かせてもらうとするかな。お腹が空いたのなら、どこかで弁当を買うことは許可しよう。松島くん、弁護士のお父さんにも連絡を取りたいので、話を通しておいてくれると助かる」
「分かりました」

 笹井ささいが冷静に場をまとめて、素早く携帯電話でタクシーを呼んだ。
 何で俺が出ていかなくちゃならないんだ、俺は今日からここで暮らす、と喚くのぞむが警察官二人に連れ出され、パトカーに乗せられた。後ろ座席で、がっちりと押さえられている。まだ抵抗しようとしたが、これ以上暴れるなら手錠をかける、と言われて、少し大人しくなった。椛田かばたも、悄然と助手席に乗る。
 それを見送った後でタクシーに乗った一太は、痛むお腹を抱えて、松島と病院へと向かった。
 のぞむがパトカーで連れ去られても、何の感慨も湧かなかった。
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