120 / 398
120 涙
しおりを挟む
「名前を聞かせてもらえるかな」
「村瀬一太です」
「松島晃です」
この部屋は、大人の男が六人もいるにはあまりにも狭い。何せ今は、布団まで室内に干してあるのだ。人が密集して暑いので、開けていた窓を閉めてエアコンは付けたが、圧迫感は否めなかった。侵入者の取り調べの声が、大きく響いている。
一太たち三人は、せめて少しは侵入者たちから距離を取ろうと、ベッドの上に座って話を始めた。一太は、聞かれるままに名乗ってから、唐突に思い出す。
「あ」
洗い終わった後、シーツや枕カバーを干していない。濡れたままでは、夜寝る時に困ってしまう。
「どうかした?」
一太の一言に、松島がすかさず反応した。
「シーツ⋯⋯」
「シーツ?」
「まだ干してない⋯⋯」
松島は少し驚いた後で、気の抜けたように笑った。
「洗ってくれたの? 布団も干してくれてありがとう。シーツは僕が干すよ。いい? いっちゃんは絶対に動かないで」
「いや、でも」
「ここで、先に話をしていて」
「できれば、そうして貰えると助かるな」
警察官が口を挟んだことで、一太はようやく現状を思い出した。一太たちを担当している警察官は、手にした用紙に二人の名前を書いた後、待ってくれていたらしい。
「あ。すみません」
「いやいや。事件に巻き込まれて大変だったね。何があったか、聞かせてくれるかな。ああ、私は近くの交番の笹井佳史と言います。よろしく」
「よろしく、お願いします。⋯⋯あの。急に。チャイムが何度も鳴らされて、玄関を開けたら急に、弟がいて⋯⋯。そのまま腹を殴られました⋯⋯」
松島が立ち上がって洗濯機の方へと歩いていくのを横目に、一太は警察官、笹井の質問に答えていった。
「それは驚いただろう。傷は? 痛む?」
一太は、笹井のその言葉に、驚いて目を見開く。弟に殴られたと言ったのに、この警察官は、きちんと心配してくれて、一太に話を聞こうとしてくれている。そのことに、とてもとても驚いたのだ。
一太だって、一度や二度は交番に相談したことがある。本当に耐えかねた末だったのだが、弟に暴力を受けたと言っても、兄弟喧嘩で大袈裟な、と取り合って貰えず、母や弟の父に暴力を受けたと言っても、家族の問題は家族で解決してください、と言われるばかりだった。
にこにこと、気持ち悪い笑顔で自分たちの正当性を話す家族の嘘に頷いた警察官や児童相談員に家に帰されて、更に酷い目に会うことが分かってからは、ただ口をつぐんで目をつぶって、暴力や暴言が通り過ぎるのを待つことを覚えた。
「痛い⋯⋯です」
「そうか。なら、手早く終わらせよう。松島くんは通報の後、私たちが到着するまで通話を繋いだままにしてくれていたから、通報後の大体の様子は分かっている。通報までのことも、隣の部屋の学生さんが教えてくれてね。お互いに窓が開いていたから、弟さんの大きな声が聞こえてきたらしいよ。腹を殴られた後のことは、覚えている?」
「あまり⋯⋯。望と、一緒にいた児童相談員が何か喋っていた、としか⋯⋯」
「ああ、そうか。大変だったね、うん」
正直に痛いと言っても、きちんと返事が返ってくる。大して話せていないのに、大変だったね、と言ってくれる。一太は、胸が詰まって言葉にならず、静かに涙を零した。
折角話せる機会なのに勿体ないと思いながら、洗濯物を取り込んで、二人分のシーツと枕カバーを干し終えた松島が戻るまで、声を殺して泣き続けてしまった。
「村瀬一太です」
「松島晃です」
この部屋は、大人の男が六人もいるにはあまりにも狭い。何せ今は、布団まで室内に干してあるのだ。人が密集して暑いので、開けていた窓を閉めてエアコンは付けたが、圧迫感は否めなかった。侵入者の取り調べの声が、大きく響いている。
一太たち三人は、せめて少しは侵入者たちから距離を取ろうと、ベッドの上に座って話を始めた。一太は、聞かれるままに名乗ってから、唐突に思い出す。
「あ」
洗い終わった後、シーツや枕カバーを干していない。濡れたままでは、夜寝る時に困ってしまう。
「どうかした?」
一太の一言に、松島がすかさず反応した。
「シーツ⋯⋯」
「シーツ?」
「まだ干してない⋯⋯」
松島は少し驚いた後で、気の抜けたように笑った。
「洗ってくれたの? 布団も干してくれてありがとう。シーツは僕が干すよ。いい? いっちゃんは絶対に動かないで」
「いや、でも」
「ここで、先に話をしていて」
「できれば、そうして貰えると助かるな」
警察官が口を挟んだことで、一太はようやく現状を思い出した。一太たちを担当している警察官は、手にした用紙に二人の名前を書いた後、待ってくれていたらしい。
「あ。すみません」
「いやいや。事件に巻き込まれて大変だったね。何があったか、聞かせてくれるかな。ああ、私は近くの交番の笹井佳史と言います。よろしく」
「よろしく、お願いします。⋯⋯あの。急に。チャイムが何度も鳴らされて、玄関を開けたら急に、弟がいて⋯⋯。そのまま腹を殴られました⋯⋯」
松島が立ち上がって洗濯機の方へと歩いていくのを横目に、一太は警察官、笹井の質問に答えていった。
「それは驚いただろう。傷は? 痛む?」
一太は、笹井のその言葉に、驚いて目を見開く。弟に殴られたと言ったのに、この警察官は、きちんと心配してくれて、一太に話を聞こうとしてくれている。そのことに、とてもとても驚いたのだ。
一太だって、一度や二度は交番に相談したことがある。本当に耐えかねた末だったのだが、弟に暴力を受けたと言っても、兄弟喧嘩で大袈裟な、と取り合って貰えず、母や弟の父に暴力を受けたと言っても、家族の問題は家族で解決してください、と言われるばかりだった。
にこにこと、気持ち悪い笑顔で自分たちの正当性を話す家族の嘘に頷いた警察官や児童相談員に家に帰されて、更に酷い目に会うことが分かってからは、ただ口をつぐんで目をつぶって、暴力や暴言が通り過ぎるのを待つことを覚えた。
「痛い⋯⋯です」
「そうか。なら、手早く終わらせよう。松島くんは通報の後、私たちが到着するまで通話を繋いだままにしてくれていたから、通報後の大体の様子は分かっている。通報までのことも、隣の部屋の学生さんが教えてくれてね。お互いに窓が開いていたから、弟さんの大きな声が聞こえてきたらしいよ。腹を殴られた後のことは、覚えている?」
「あまり⋯⋯。望と、一緒にいた児童相談員が何か喋っていた、としか⋯⋯」
「ああ、そうか。大変だったね、うん」
正直に痛いと言っても、きちんと返事が返ってくる。大して話せていないのに、大変だったね、と言ってくれる。一太は、胸が詰まって言葉にならず、静かに涙を零した。
折角話せる機会なのに勿体ないと思いながら、洗濯物を取り込んで、二人分のシーツと枕カバーを干し終えた松島が戻るまで、声を殺して泣き続けてしまった。
337
お気に入りに追加
2,211
あなたにおすすめの小説

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています
ぽんちゃん
BL
病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。
謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。
五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。
剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。
加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。
そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。
次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。
一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。
妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。
我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。
こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。
同性婚が当たり前の世界。
女性も登場しますが、恋愛には発展しません。

無能の騎士~退職させられたいので典型的な無能で最低最悪な騎士を演じます~
紫鶴
BL
早く退職させられたい!!
俺は労働が嫌いだ。玉の輿で稼ぎの良い婚約者をゲットできたのに、家族に俺には勿体なさ過ぎる!というので騎士団に入団させられて働いている。くそう、ヴィがいるから楽できると思ったのになんでだよ!!でも家族の圧力が怖いから自主退職できない!
はっ!そうだ!退職させた方が良いと思わせればいいんだ!!
なので俺は無能で最悪最低な悪徳貴族(騎士)を演じることにした。
「ベルちゃん、大好き」
「まっ!準備してないから!!ちょっとヴィ!服脱がせないでよ!!」
でろでろに主人公を溺愛している婚約者と早く退職させられたい主人公のらぶあまな話。
ーーー
ムーンライトノベルズでも連載中。

モテる兄貴を持つと……(三人称改訂版)
夏目碧央
BL
兄、海斗(かいと)と同じ高校に入学した城崎岳斗(きのさきやまと)は、兄がモテるがゆえに様々な苦難に遭う。だが、カッコよくて優しい兄を実は自慢に思っている。兄は弟が大好きで、少々過保護気味。
ある日、岳斗は両親の血液型と自分の血液型がおかしい事に気づく。海斗は「覚えてないのか?」と驚いた様子。岳斗は何を忘れているのか?一体どんな秘密が?

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。

弱すぎると勇者パーティーを追放されたハズなんですが……なんで追いかけてきてんだよ勇者ァ!
灯璃
BL
「あなたは弱すぎる! お荷物なのよ! よって、一刻も早くこのパーティーを抜けてちょうだい!」
そう言われ、勇者パーティーから追放された冒険者のメルク。
リーダーの勇者アレスが戻る前に、元仲間たちに追い立てられるようにパーティーを抜けた。
だが数日後、何故か勇者がメルクを探しているという噂を酒場で聞く。が、既に故郷に帰ってスローライフを送ろうとしていたメルクは、絶対に見つからないと決意した。
みたいな追放ものの皮を被った、頭おかしい執着攻めもの。
追いかけてくるまで説明ハイリマァス
※完結致しました!お読みいただきありがとうございました!
※11/20 短編(いちまんじ)新しく書きました!
※12/14 どうしてもIF話書きたくなったので、書きました!これにて本当にお終いにします。ありがとうございました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる