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120 涙
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「名前を聞かせてもらえるかな」
「村瀬一太です」
「松島晃です」
この部屋は、大人の男が六人もいるにはあまりにも狭い。何せ今は、布団まで室内に干してあるのだ。人が密集して暑いので、開けていた窓を閉めてエアコンは付けたが、圧迫感は否めなかった。侵入者の取り調べの声が、大きく響いている。
一太たち三人は、せめて少しは侵入者たちから距離を取ろうと、ベッドの上に座って話を始めた。一太は、聞かれるままに名乗ってから、唐突に思い出す。
「あ」
洗い終わった後、シーツや枕カバーを干していない。濡れたままでは、夜寝る時に困ってしまう。
「どうかした?」
一太の一言に、松島がすかさず反応した。
「シーツ⋯⋯」
「シーツ?」
「まだ干してない⋯⋯」
松島は少し驚いた後で、気の抜けたように笑った。
「洗ってくれたの? 布団も干してくれてありがとう。シーツは僕が干すよ。いい? いっちゃんは絶対に動かないで」
「いや、でも」
「ここで、先に話をしていて」
「できれば、そうして貰えると助かるな」
警察官が口を挟んだことで、一太はようやく現状を思い出した。一太たちを担当している警察官は、手にした用紙に二人の名前を書いた後、待ってくれていたらしい。
「あ。すみません」
「いやいや。事件に巻き込まれて大変だったね。何があったか、聞かせてくれるかな。ああ、私は近くの交番の笹井佳史と言います。よろしく」
「よろしく、お願いします。⋯⋯あの。急に。チャイムが何度も鳴らされて、玄関を開けたら急に、弟がいて⋯⋯。そのまま腹を殴られました⋯⋯」
松島が立ち上がって洗濯機の方へと歩いていくのを横目に、一太は警察官、笹井の質問に答えていった。
「それは驚いただろう。傷は? 痛む?」
一太は、笹井のその言葉に、驚いて目を見開く。弟に殴られたと言ったのに、この警察官は、きちんと心配してくれて、一太に話を聞こうとしてくれている。そのことに、とてもとても驚いたのだ。
一太だって、一度や二度は交番に相談したことがある。本当に耐えかねた末だったのだが、弟に暴力を受けたと言っても、兄弟喧嘩で大袈裟な、と取り合って貰えず、母や弟の父に暴力を受けたと言っても、家族の問題は家族で解決してください、と言われるばかりだった。
にこにこと、気持ち悪い笑顔で自分たちの正当性を話す家族の嘘に頷いた警察官や児童相談員に家に帰されて、更に酷い目に会うことが分かってからは、ただ口をつぐんで目をつぶって、暴力や暴言が通り過ぎるのを待つことを覚えた。
「痛い⋯⋯です」
「そうか。なら、手早く終わらせよう。松島くんは通報の後、私たちが到着するまで通話を繋いだままにしてくれていたから、通報後の大体の様子は分かっている。通報までのことも、隣の部屋の学生さんが教えてくれてね。お互いに窓が開いていたから、弟さんの大きな声が聞こえてきたらしいよ。腹を殴られた後のことは、覚えている?」
「あまり⋯⋯。望と、一緒にいた児童相談員が何か喋っていた、としか⋯⋯」
「ああ、そうか。大変だったね、うん」
正直に痛いと言っても、きちんと返事が返ってくる。大して話せていないのに、大変だったね、と言ってくれる。一太は、胸が詰まって言葉にならず、静かに涙を零した。
折角話せる機会なのに勿体ないと思いながら、洗濯物を取り込んで、二人分のシーツと枕カバーを干し終えた松島が戻るまで、声を殺して泣き続けてしまった。
「村瀬一太です」
「松島晃です」
この部屋は、大人の男が六人もいるにはあまりにも狭い。何せ今は、布団まで室内に干してあるのだ。人が密集して暑いので、開けていた窓を閉めてエアコンは付けたが、圧迫感は否めなかった。侵入者の取り調べの声が、大きく響いている。
一太たち三人は、せめて少しは侵入者たちから距離を取ろうと、ベッドの上に座って話を始めた。一太は、聞かれるままに名乗ってから、唐突に思い出す。
「あ」
洗い終わった後、シーツや枕カバーを干していない。濡れたままでは、夜寝る時に困ってしまう。
「どうかした?」
一太の一言に、松島がすかさず反応した。
「シーツ⋯⋯」
「シーツ?」
「まだ干してない⋯⋯」
松島は少し驚いた後で、気の抜けたように笑った。
「洗ってくれたの? 布団も干してくれてありがとう。シーツは僕が干すよ。いい? いっちゃんは絶対に動かないで」
「いや、でも」
「ここで、先に話をしていて」
「できれば、そうして貰えると助かるな」
警察官が口を挟んだことで、一太はようやく現状を思い出した。一太たちを担当している警察官は、手にした用紙に二人の名前を書いた後、待ってくれていたらしい。
「あ。すみません」
「いやいや。事件に巻き込まれて大変だったね。何があったか、聞かせてくれるかな。ああ、私は近くの交番の笹井佳史と言います。よろしく」
「よろしく、お願いします。⋯⋯あの。急に。チャイムが何度も鳴らされて、玄関を開けたら急に、弟がいて⋯⋯。そのまま腹を殴られました⋯⋯」
松島が立ち上がって洗濯機の方へと歩いていくのを横目に、一太は警察官、笹井の質問に答えていった。
「それは驚いただろう。傷は? 痛む?」
一太は、笹井のその言葉に、驚いて目を見開く。弟に殴られたと言ったのに、この警察官は、きちんと心配してくれて、一太に話を聞こうとしてくれている。そのことに、とてもとても驚いたのだ。
一太だって、一度や二度は交番に相談したことがある。本当に耐えかねた末だったのだが、弟に暴力を受けたと言っても、兄弟喧嘩で大袈裟な、と取り合って貰えず、母や弟の父に暴力を受けたと言っても、家族の問題は家族で解決してください、と言われるばかりだった。
にこにこと、気持ち悪い笑顔で自分たちの正当性を話す家族の嘘に頷いた警察官や児童相談員に家に帰されて、更に酷い目に会うことが分かってからは、ただ口をつぐんで目をつぶって、暴力や暴言が通り過ぎるのを待つことを覚えた。
「痛い⋯⋯です」
「そうか。なら、手早く終わらせよう。松島くんは通報の後、私たちが到着するまで通話を繋いだままにしてくれていたから、通報後の大体の様子は分かっている。通報までのことも、隣の部屋の学生さんが教えてくれてね。お互いに窓が開いていたから、弟さんの大きな声が聞こえてきたらしいよ。腹を殴られた後のことは、覚えている?」
「あまり⋯⋯。望と、一緒にいた児童相談員が何か喋っていた、としか⋯⋯」
「ああ、そうか。大変だったね、うん」
正直に痛いと言っても、きちんと返事が返ってくる。大して話せていないのに、大変だったね、と言ってくれる。一太は、胸が詰まって言葉にならず、静かに涙を零した。
折角話せる機会なのに勿体ないと思いながら、洗濯物を取り込んで、二人分のシーツと枕カバーを干し終えた松島が戻るまで、声を殺して泣き続けてしまった。
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