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118 助けがきたことなんて無かったから

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「いっちゃん。いっちゃん」

 優しい声に、一太はふと児童養護施設の先生を思い出した。抱きしめてくれた手が、あった。むかしむかしのお話だ。
 弟の話す声をもう聞きたくないと強く思っていたら、どんどん意識を薄れさせることができた。殴られた腹や、強く引っ張られた髪の毛の痛みも薄れて、ほっとした。このまま。もう、このままでいい。そうしたら、苦しくも痛くもない。
 けれど、未練がましく自分は、優しい声と手を求めているらしい。
 幻聴が聞こえた。
 それは、もう遠い昔の先生の声じゃなく、最近の一太の心の支え。一太に、すっかり甘える癖をつけてしまった罪深い声。今、ここにはいないのに。なのに、こんなにその声と手だけを求めている。
 晃くんが優しいから、俺はこんなにも弱くなってしまっ⋯⋯。

「いっちゃん!」

 強く呼ばれて、ぼんやりしていた意識が覚醒した。

「え⋯⋯?」
「いっちゃん。聞こえる? 見えてる? 僕のこと、分かる?」
「あ、きら、くん⋯⋯」
「ああー」

 ぎゅう、と抱きしめられて一太は戸惑った。唐突に、腹に強い痛みが甦る。

「う、あ⋯⋯。い、痛⋯⋯」
「あ、ああ。ごめん」
「ち、違⋯⋯。お腹⋯⋯」

 慌てて手を離した松島に、抱きしめられて痛かったのではない、と伝えたかったが上手く言葉にならず、一太は自分から、松島の体にしがみついた。

「いっちゃん。いっちゃん。無事で良かった。良かったよお⋯⋯」

 涙声の松島なんて初めてで驚き、しがみついた手を緩めた一太に、今度は松島が、ぎゅうと抱きしめ返す。一太は、ほう⋯⋯、と長い長い息を吐いた。
 良かった。晃くんはちゃんと居た⋯⋯。弟に殴られた後からは、松島のことは、自分が作り出した都合のいい夢なのではないかとさえ思っていたから。こうして一太を抱きしめてくれている手が現実であることが幸せ過ぎて、結局夢のようだ、と思った。

「あー、どうかな? 大丈夫そうかい? やっぱり救急車を呼ぼうか?」
「救急車」

 聞いた事のない声が言った単語に、一太は激しく反応した。

「いら、いらな⋯⋯。救急車、いや」
「あの。今はとりあえず様子を見ます。ありがとうございます。お待たせしてすみません」

 一太が必死に首を横に振ると、なだめるように背中を撫でた松島が返事をしてくれた。
 一太は、ほっとすると同時に状況を思い出す。
 そうだ、のぞむのぞむは?

「だーかーらー。お兄ちゃんと一緒に暮らしたくて、わざわざ遠くから訪ねて来たのに追い出されそうになったからあ、かっとなったんですよお。俺⋯⋯、母にも兄にも捨てられて⋯⋯、金も持ち逃げされて、悲しくて悲しくて、ちょっとおかしくなってたんです⋯⋯。反省してます、すんません」

 気にした途端にのぞむの声が聞こえて、一太は、びくっと身を震わせた。

「いっちゃん。大丈夫。僕がいる。ずっと一緒にいるからね。お巡りさんも来てくれたんだ。もう大丈夫。大丈夫だよ」

 松島は、一太を抱きしめてくれている。安心できる言葉をたくさんくれる。
 それでも一太は思う。
 長い経験が、大丈夫ではない、と一太に告げている。
 本当に? 本当に、のぞむと離れられる? 兄を慕う弟の皮を被ったのぞむの話を、親身に聞く人たち。
 本当に、その人たちは、俺の話を聞いてくれますか?
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