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116 ◇◇誰かにとっての良い事が、全ての人にとっての良い事であるとは限らない
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「あー、あっちー。家入ろうぜ。飯食いたいし」
一太の髪を引っ張って、望が靴を脱ぐ。
「望くん!」
すっかり呆然としていた椛田は慌てて望の名前を呼んだが、蹴り飛ばされて尻もちを付いている間に、玄関の扉が閉められてしまった。立ち上がってノブを回した時には、鍵がかかっていて開かなかった。
「望くん、開けなさい。望くん!」
「うるせえ」
一言、それだけ聞こえて声が遠ざかった。椛田は、とんでもない事になったとようやく気付く。何とか、何とかしなければ……。焦りつつ周辺をうろつき、裏手に回ることができた時には、部屋が一階で良かったと、的外れな感想を抱いた。
「早く立てよ。ほんとお前、弱くなったなあ。前はもっと大丈夫だったじゃん。あー、もう。何で家の中も暑いんだよ。エアコン無えの?」
望の話す声が、洗濯物が干された小さなベランダの向こうから聞こえてくる。窓が開いていることに少しほっとして、椛田はそっとかがみながら、二人が入っていった部屋の側へと近付いていった。
ちっ、と舌打ちした望が、部屋をぐるぐる歩き回りながら、機嫌良く喋っている。
「良いとこ住んでんな。お前のことだから、風呂無しのぼろアパートとかにいるんじゃねえかと、それだけが心配だったんだよ。そんなの絶対嫌じゃん? まあ、これからはお前の名前で金も借り放題だし、その金で家借りればいいから、何とかなるとは思ったんだけどさ。ここならそのまま住んでやってもいいわ。ってかさあ、どんだけ隠して貯め込んでたんだよ。大学? 通ってるんだっけ? あれって、すげえ金かかるんだろ? その上にこの部屋? お前、どんだけ持ってったんだよ。まじ、無いわー。お前の稼いだ金は、俺が使うんだって決まってんのにさあ。お前がいなくなった所為で、母ちゃんまで出てったじゃん。俺の生きてく金、どうしろってんだよ」
椛田は、望を保護してから今までずっと望が涙を堪えて話す言葉を聞いてきた。
兄が金を持ち逃げした。だから、こんな風に一家はばらばらになってしまった。でも、ずっと優しく俺の世話をしてくれた兄のことを慕っているし、何か理由があったとは思っている。俺が、公立の高校に入れないくらい頭が悪かったのが、良くなかったんだ。私立はお金がかかるから、もっとお金がいるって言ったのが良くなかったのかもしれない。でも、勉強がどうしても苦手で、頑張ってもやっぱり無理だったんだ。俺がもう少し頭が良かったら、お兄ちゃんもお母さんも出ていかなかったのかなあ。
悲しげに笑うその顔が可哀相で、せめて居場所の分かる家族に会わせてあげたいと、そう思った。
電話連絡した兄は、弟さんが会いたがっていると告げると、会いたくない、と言った。家のお金を持ち出したことで、気まずいのかもしれない、と椛田は考えた。でも弟さんは、そんなお兄さんも許すと言っているのだから、会って話せば和解は出来るはずだ。何より、持ち出したお金を弟さんに返すべきだ、と思う。そうすれば、わだかまりも解けるだろう。
だから椛田は、まずは自分が兄である一太に会って、弟である望と面会して話してくれるように、頑張って説得した。家族なんだから、会えば、会って話せば必ず分かりあえると思っていた。だというのに、兄の方はやはり、もう二度と会いたくないなんて冷たいことを言う。
どうして、そんなに冷たいことを言えるのか。世の中には色んな人がいて、家族といえども分かりあえないこともあると知っているが、とりあえず、まずは会って話をしないと、分かりあえる筈がない。やはりどうしても二人が手を取り合えなかったとして、会わないままそうなるなんてよくない、とそう思ったのだ。
だから、面会を望まない一太に会うために、仕事が休みの日に自費で、望を連れて来た。全くの善意からの行動だった。
椛田にとっては、望の願いを叶え、自分の気持ちを納得させるために必要な行動だった。
でも。
一太にとっては?
椛田は、殴られ、髪の毛を掴まれ、無表情に吐いていた一太の白い顔を思い出す。
会いたくありません、と彼は言っていた。
ちゃんと、言っていたのに、と。
一太の髪を引っ張って、望が靴を脱ぐ。
「望くん!」
すっかり呆然としていた椛田は慌てて望の名前を呼んだが、蹴り飛ばされて尻もちを付いている間に、玄関の扉が閉められてしまった。立ち上がってノブを回した時には、鍵がかかっていて開かなかった。
「望くん、開けなさい。望くん!」
「うるせえ」
一言、それだけ聞こえて声が遠ざかった。椛田は、とんでもない事になったとようやく気付く。何とか、何とかしなければ……。焦りつつ周辺をうろつき、裏手に回ることができた時には、部屋が一階で良かったと、的外れな感想を抱いた。
「早く立てよ。ほんとお前、弱くなったなあ。前はもっと大丈夫だったじゃん。あー、もう。何で家の中も暑いんだよ。エアコン無えの?」
望の話す声が、洗濯物が干された小さなベランダの向こうから聞こえてくる。窓が開いていることに少しほっとして、椛田はそっとかがみながら、二人が入っていった部屋の側へと近付いていった。
ちっ、と舌打ちした望が、部屋をぐるぐる歩き回りながら、機嫌良く喋っている。
「良いとこ住んでんな。お前のことだから、風呂無しのぼろアパートとかにいるんじゃねえかと、それだけが心配だったんだよ。そんなの絶対嫌じゃん? まあ、これからはお前の名前で金も借り放題だし、その金で家借りればいいから、何とかなるとは思ったんだけどさ。ここならそのまま住んでやってもいいわ。ってかさあ、どんだけ隠して貯め込んでたんだよ。大学? 通ってるんだっけ? あれって、すげえ金かかるんだろ? その上にこの部屋? お前、どんだけ持ってったんだよ。まじ、無いわー。お前の稼いだ金は、俺が使うんだって決まってんのにさあ。お前がいなくなった所為で、母ちゃんまで出てったじゃん。俺の生きてく金、どうしろってんだよ」
椛田は、望を保護してから今までずっと望が涙を堪えて話す言葉を聞いてきた。
兄が金を持ち逃げした。だから、こんな風に一家はばらばらになってしまった。でも、ずっと優しく俺の世話をしてくれた兄のことを慕っているし、何か理由があったとは思っている。俺が、公立の高校に入れないくらい頭が悪かったのが、良くなかったんだ。私立はお金がかかるから、もっとお金がいるって言ったのが良くなかったのかもしれない。でも、勉強がどうしても苦手で、頑張ってもやっぱり無理だったんだ。俺がもう少し頭が良かったら、お兄ちゃんもお母さんも出ていかなかったのかなあ。
悲しげに笑うその顔が可哀相で、せめて居場所の分かる家族に会わせてあげたいと、そう思った。
電話連絡した兄は、弟さんが会いたがっていると告げると、会いたくない、と言った。家のお金を持ち出したことで、気まずいのかもしれない、と椛田は考えた。でも弟さんは、そんなお兄さんも許すと言っているのだから、会って話せば和解は出来るはずだ。何より、持ち出したお金を弟さんに返すべきだ、と思う。そうすれば、わだかまりも解けるだろう。
だから椛田は、まずは自分が兄である一太に会って、弟である望と面会して話してくれるように、頑張って説得した。家族なんだから、会えば、会って話せば必ず分かりあえると思っていた。だというのに、兄の方はやはり、もう二度と会いたくないなんて冷たいことを言う。
どうして、そんなに冷たいことを言えるのか。世の中には色んな人がいて、家族といえども分かりあえないこともあると知っているが、とりあえず、まずは会って話をしないと、分かりあえる筈がない。やはりどうしても二人が手を取り合えなかったとして、会わないままそうなるなんてよくない、とそう思ったのだ。
だから、面会を望まない一太に会うために、仕事が休みの日に自費で、望を連れて来た。全くの善意からの行動だった。
椛田にとっては、望の願いを叶え、自分の気持ちを納得させるために必要な行動だった。
でも。
一太にとっては?
椛田は、殴られ、髪の毛を掴まれ、無表情に吐いていた一太の白い顔を思い出す。
会いたくありません、と彼は言っていた。
ちゃんと、言っていたのに、と。
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