【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ

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「晃くん、朝だよ。時間だよ」

 一太は、ベッドで寝ている松島の肩を揺らして、控えめに声を掛けた。んー、と声がするだけで、松島が起きる様子はない。
 家の中は、どの部屋も冷房が効いていて、ちょうど良い温度に保たれている。暑くもなく、遮光カーテンが引かれているから部屋もしっかり暗くて、いつまでも寝ていられそうだ。一太も今朝、まだ眠たいという頭を振って、頑張って起きた。洗濯機を早めに回さなくてはならない、という一心で。
 一太はふと、エアコンもカーテンも無かった自分の部屋を思い出す。
 眩しくて目が覚めた。暑くて寝られない夜があった。逆に寒くて寝られなかった夜もあった。
 ほんの一月ひとつき前まで、そんな日々だった。
 あっという間に、快適な環境に慣れてしまった自分に気付いて、薄暗い部屋で呆然としてしまう。
 赤く湿疹だらけだった皮膚も、毎日、涼しい部屋で過ごし、松島に薬を塗ってもらって、すっかり綺麗になった。痒みもなくなった。とても嬉しい。
 湿疹が消えると、暴力を受けた痕がありありと見えてきて気まずいが、松島が何も言わないでいてくれるので助かっている。

「晃くん、起きてー」

 何も急ぎの用事がある訳では無いが、陽子さんに頼まれたので起こさなくては、と一太は一生懸命、松島に声を掛けた。
 昨夜、すき焼きを堪能した後は、広い風呂に入って、すぐに二階の松島の部屋へ上がり、皮膚の薬を塗ってくれた。そのまま、その日に撮った写真を確認しているうちに眠たくなってしまい、気付いたら寝ていた。松島家の人に、あまりしっかりご挨拶も出来なかったが、今朝、松島の母にそのことを気にした様子は無かったので、安堵した。
 それどころか、お泊まりの代金もいらないと言う。
 何故なのかはよく分からない。分かるのは、松島家の人たちは、一太が今まで出会った人間の中で、一番親切なのだという事くらいだった。
 松島がちっとも起きないので、カーテンを開ける。九月下旬の日射しは朝も早くから眩しくて、ううー、と松島が唸る声が聞こえた。

「まだ六時半じゃん。早過ぎ……」

 枕元のスマホを手探りで持ち上げて時計を見た松島が、すぐにスマホを投げ出して、また目をつぶる。

「ええ? 晃くん。陽子さんが起きてって言ってたよ」
「いいよ、放っておいたら」

 ベッドに近寄った一太の腕を、寝転がったままの松島が引っ張った。

「え? わ、何?」

 体の上に倒れ込んだ一太を、松島はぎゅっと抱きしめる。

「もうちょっと寝よ?」
「あ……」

 半分寝ぼけた松島は、まだもう少し寝たかったから、一太を押さえつけただけなんだろう。でも、抱きしめられた一太は、固まって動けなくなってしまった。

「あ、あの、あ、きらくん?」
「んー? よしよし」

 ぽんぽんと背中を叩かれて、力が抜ける。冷房の効いた部屋は、くっ付いていても暑くはなかった。
 どうしよう、嬉しい……。
 気持ち良くて、動けない。動きたくない。
 一太はずっと、こんな風に誰かの腕に抱きしめられたかった。少し前に、松島に抱き締められて嬉しかったことがあったけれど、その後また、そうして欲しいと言うことができなかった。
 もう一度、ぎゅって抱っこして、と言えなかったから、こうしてたまたま抱きしめて貰えたら、嬉しくて動けない。その腕から抜け出すなんて、勿体なくてとてもできない。
 一太は結局そのまま、

「ご飯ができたわよー!」

 という陽子の声に呼ばれるまで、松島の腕の中で幸せに浸ってしまっていた。
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