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88 ◇大変の言葉の意味

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「いっちゃん、光熱費や食費のお話なんだけれどね。大変よ!」

 久しぶりに訪ねてきた松島の母は、息子より先に一太へと話し掛けていた。
 今までと違って、ずいぶんと荷物が少ない。これまでは、下ごしらえを終えた食材や、昨日までに作って冷凍していた料理を詰め込んだ大きなクーラーバッグと、一泊するための着替えなどの大荷物を抱えていた。今日は、買い物へ出掛けるためのバッグ一つの身軽な出で立ちだ。
 食事作りや掃除、洗濯をして二日間過ごすつもりでやってきたのではない様子が、よく分かった。
 確かに、今のこの部屋ですることなんて何も無い。一太が、その家事スキルを存分に発揮して、それらを毎日完璧にこなしてしまっているからである。てきぱきと動く様子に見惚れていると、何もしないままに作業は終わってしまうので、松島は毎日、邪魔だろうかと思いつつ、手伝いをするのに必死である。
 今のところ、必ず松島の仕事だと勝ち取れたのは、食後の皿洗いとお風呂洗いくらいのものだった。そのお風呂洗いも、風呂水を使用して洗濯を終えた一太がうっかりそのままやってしまうことがあるので、それは僕の仕事だと訴えて、何とかやらせてもらっている状態である。一太曰く、寒い時期の風呂洗いは大嫌いな家事の一つだが、夏は気持ちいいのだとか。一太は寒さに弱いらしいので、一太の動きが鈍くなったら、自分のペースで風呂洗いをしようと松島は思っている。今は、洗濯機が吸水を終えるのを横で待って風呂を洗っている、というおかしなことになっているが、一太が、人に仕事を任せるということを覚えてくれるまで続けるつもりだ。
 
「あの、やっぱり、だいぶ金額が上がってましたか?」

 小さな机を挟んで松島の母と向かい合った一太は、深刻な顔で財布を握りしめていた。
 家で沸かした麦茶が、氷入りで松島の母の前に置かれている。松島の前にも。こういう時に自分の分も準備するという考えが、一太には一ミリも無かった。今までの生活が透けて見えて、松島は胸に苦いものが沸き上がるのを感じる。
 共に暮らし始めた頃、当たり前のように松島の分の食事だけ準備した一太に、一緒に食べないなら僕も食べない、と松島は言った。一太は、ひどく驚いた顔をした。松島にはその表情の意味が分からず、どうして自分の分を準備しないのか、とその時は謎でしか無かったが、相談した父に、これまでがそういう生活だったのだろう、と言われて愕然とした。余ったら村瀬くんも食べられるのじゃないか、と。自分の想像の範囲を越えた虐待の事実に怯えたし、いっちゃんにはもう二度と飢えてほしくない、と思った。美味しいものをたくさん一緒に食べたい、と。
 その日、二人で分けた食事は全然足りなくて、でももう、開いているのはコンビニだけで、割高な出来合いの料理を買い足すことになった。申し訳なさそうにしていた一太は、自分の分も作らなければ食費がより高くつく、と学習したようだった。
 その後は、しっかり二人分の食事を出してくれて、二人で美味しく頂けている。
 だから、こういった時の一太の飲み物も、どうしても忘れてしまうなら自分が出せばいいだけだな、と松島は立ち上がった。ガラスのコップが二つしか無いので、一太のマグカップに氷とお茶を入れて出す。

「あ、ありがとう。陽子さん、それで……」

 流石に自分の分だと理解した一太が松島にお礼を言って、また松島の母に向き直った。お金の話の時、一太はいつも深刻だ。常に、不安で堪らないというように、体を固くしている。
 家賃は、来月から一太に半分負担してもらうことで話がついていたが、光熱費や食費は、かかった分にしたらどうかという話になっていた。つまり、松島が一人で住んでいた時の金額より上がった分だけ、一太が払うという仮の契約だ。共に暮らしはじめて一ヶ月。母は、計算結果を持ってやってきたのだ。

「違うの。違うのよ、いっちゃん。下がったの! 全部! 食費も、光熱費も!」
「…………え?」

 母の言葉に、贅沢をしていたつもりは無かったんだけど、と松島は頭を抱えた。
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