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79 胸が痛い理由

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 松島は必死で止めたが、一太には仕事を休むなんて考えられなかった。

「たまたま救急車で運ばれなかっただけで、本当にもう、息が止まりそうになっていたんだからね!」
「でも、止まらなかったし、今はもう何ともない」

 何ともない、というのは嘘である。松島と暮らし始める以前のような体の感覚なので、とても怠い。怠いが、最近が良すぎたと思えば、一太にとっては以前と同じ感覚なので、懐かしいなと思うだけだ。
 松島には、きっと、一太が怠い状態だということは気付かれているんだろう。まだ、共に暮らし始めて一月ひとつきも経っていないが、こんなにも一太を見てくれて、気にかけてくれる人に初めて会った。一太も、松島の体調の変化なら、他の人より分かる気がする。今のところ、松島の様子が違うな、と感じたことはないが。

「お願い、晃くん。一人で家に居たくない」

 震える小さな声で、少しずつ言えるようになった本音を溢してみる。
 仕事を休むのも嫌だが、そちらの気持ちも大きかった。また、電話がかかってきたらどうしよう。弟を、本当に引き取らなければならなくなったらどうしよう。そうなれば、一太が朝から晩まで働いて、弟を高校に通わせ、ご飯を食べさせなければならない。そうならないように、逃げてきたのに。
 ここに三人で住むわけにもいかないから、松島とはお別れしなくてはいけないんだろう。
 それを思えば、きゅう、と胸が痛い。本当に、胸が痛い。
 いつまでも甘えて、ここに居ていい訳ではないのに、いつの間にか離れることが嫌だと思う自分がいて、困ってしまう。
 一人家に居て、そんなことを考えて、痛む胸を押さえているくらいなら、仕事をしていたい。晃くんの姿が見える所にいたい。

「ああ、もう」

 一太の言葉に、松島が唸った。
 二人同時に休むわけにはいかない。同じ時間、同じ場所で仕事をしているのだから、一太が休むなら、松島は二人分働くつもりで行かなければならないのだ。
 一人で家に居たくない、との気持ちもよく伝わったようで、松島はしばらく頭を抱えた後、分かった、と言った。

「重たい荷物は持たないこと。辛くなったらすぐに言うこと。店長に言えないなら、僕にだけでも教えて」

 約束できないなら、二人で休む、と言われて、一太は真っ青になって頷いた。二人で休むなんて、とんでもない。

「分かった」

 晃くんといられるなら、不安な気持ちも少しは軽くなる。

「後は、さっきの電話は着信拒否にしよう。いっちゃんの命に関わる」

 真面目な顔で言われて、着信拒否?と一太は首を傾げた。命に関わるとは大げさだが、事実でもあった。

「あの電話番号からの電話は、いっちゃんの携帯電話では受けないことにするってことだよ」
「ええ?」

 携帯電話は、そんなことができるのか? いつまた電話がかかってくるかと思うと恐ろしいから、それはとても有り難い。けれど、役所からの電話に、そんなことしていいのだろうか。

「そんなことして、逮捕とかされない?」
「大丈夫。父さんにメッセージを送ったから、どうしたらいいのか教えてもらおう。ね? 今は父さん、仕事中だけど、時間ができたらきっと返事が来るから」

 一人で、頑張らなくてもいいのか。
 一太は、ぽかんと松島を見上げた。側に居てくれるだけで有り難いのに、次々と解決策まで考えてくれる。自分の手に負えないときは、頼れる大人を連れてきてくれる。
 嬉しくて、頼もしくて、ああ、俺はこの人が大好きだな、と思った。ただ、そう思った。
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