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 一太から奪うように、まだ店長の声が聞こえるスマホを耳に当てた松島の母は、もしもし、と少しよそいきの声を出した。

「突然すみません。お電話代わりました。……ええ、はい。うちの子が、いつもお世話になっております。看病に参りましてね。丁度よろしいからご挨拶をと思いまして。……ええ、はい。しばらく安静が必要なことはお伝えしてあると思うのですが、長期の休みは認められない、とのことでしたら、残念ですが、退職の手続きをお願い致します。ええ、お世話になりました。……え? 何ですって?」

 一太と松島が呆然としている間に、話が進む。

「あなた、うちのいっちゃんと私が話したことを、ご理解しておられませんの? 今から仕事に出てきたらクビにしないと言われましても、無理なんです! 仕事ができない体調だとお伝えしましたでしょう?」

 松島の母は、だんだんと早口になっていく。

「ですから、クビにして頂いて構いませんと申し上げております。入院するほどのことでしたのよ? あなた、ご自分なら、歩くのも辛い体調の時に、お仕事ができると仰るの?」
「母さん、母さん、落ち着いて」

 松島が、母の腕を叩いて小声で注意する。

「んん。はあ。……そういう訳ですので」

 喉を鳴らしてから深呼吸した松島の母が、またはじめのよそいきの声に戻った。

「お世話になりました。失礼致します」
 
 冷静に終わりそうだと思った途端に、大きな声が響いた。

「うちの子は、過労で入院していたと申しましたでしょう! もし、仕事を過剰に押し付けていたなら、労災案件ですわ! ……いいえ。そんなこと、いっちゃんは一言も言ってません。けれど、そうして慌てるということは、心当たりがおありですの? ……その件についてはもう、よろしいです。そういうことじゃありません。あなた、お大事に、の一言くらい言えませんの?」
 
 一太は、ただただ目を見開いているしかない。松島の母は、怒っているのだ。
 何に?
 何で?

「とりあえず、今日も明日も明後日も、いっちゃんは仕事には行けません! その後も、診察の結果次第です! それでは、失礼致します!」

 耳からスマホを離した松島の母は、ぷちっと画面をタップして通話を切った。

「なあに? あの店長。仕事が回らないとか、いつまでも休まれたら困るとか、最後には今から出てくるならクビにしないとそればかり。入院するって本当に大変な状態なのよ。命の危機よ。退院できたからって、完全に治ってる訳じゃない。命の危機がとりあえず去ったから、お家で療養しなさいってことなのに……」
「母さん……」
「村瀬くん。明後日まで休みを取ったのは、聞いたわね? その後は診察の結果次第。月曜日に診察でしょ? その後でまた電話してあげたらいいわ。退職と言われたら退職の手続きをするのよ」

 一太が、口をぽかんと開けて瞬きをしている間に、問題は解決してしまった。

「良かったね、いっちゃん」
「あ、は……はえ?」
「よし、カレー食べましょ」
「あ、あの」

 今、何が起こったのか、一太にはいまいちピンときていない。一太の人生で、自分が動かずに問題が解決したことなんて、一度も無かったからだ。

「あり、ありがとう、ございます」

 あのまま一太が店長と話していたら、きっと店へ行っていつも通り仕事を始めていた。クビにならなくて良かった、と思ったりしたかもしれない。
 入院するというのは、命の危機の時だなんて知らなかったから。
 体調を崩して、こんなに心配してくれる人に初めて会ったから。
 
「はい、どういたしまして?」

 松島の母は、ちゃきちゃきと動いてカレーをよそってくる。折り畳みの小さな机を出して、皿を三つ並べた。
 座って、待っていたらご飯が……。

「村瀬くんは、少なめね。まだ食べられそうなら、おかわりして」
「いっちゃん、がいいです」

 一太は思わず言っていた。さっき、電話の途中でそう呼んでくれたのがとても嬉しかったと考えていたら、つい。

「あ、いや、すみません、急に訳のわからないことを……」

 一太が我に返って慌てていると、松島の母は満面の笑みで頷いた。

「いっちゃん。とりあえず、元気になりましょ」
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