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55 ◇傷痕
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松島は洗面所を出ようとして、足を止めた。風呂場からのシャワーの音に交じって、堪えた泣き声のようなものが聞こえた気がしたからだ。
いっちゃん、泣いてる……?
風呂へ入っていった一太はうつ向いていて、何だか様子がおかしかった。
声が、震えていた?
気に入ったらしいロフトから下りてきた一太は、部屋へ入れたときの緊張感が薄れていて、ほっとしていたのに。先ほどのやり取りで、何かおかしなことがあっただろうか。
分からない。
分からないけれど、放っておけない。
松島は、ぎゅっとティーシャツの胸の辺りを掴んだ。大きな手術痕が二本ある左の胸。手術が終わり、ようやく皆と一緒に体育ができるようになって喜んでいた頃。体操服に着替えるときに見えたその痕を、気持ち悪い、と言われた。
その時から、人前で決して裸にならなくなった。
水泳の授業は全部見学したし、修学旅行でも大浴場には行かず、部屋の小さい風呂に入った。どんな夏の暑い日にも、下に黒のランニングシャツを着ている。
家族は、勲章なのだから何にも気にすることはないと言ってくれるが、どうしても脱げなかった。
でも。
シャワーの音が止まると、やはり聞き間違えようのない嗚咽が響く。
風呂場に一人になったから、安心して泣けたのだろうか。いや、そんな泣き方には聞こえない。父が、不動産屋からお金を取り戻して来たときに涙を見せた一太は、こんな泣き方じゃ無かった。
何故? 心配事は、とりあえず消えたはずなのに。
松島は、服を脱いだ。
扉を開けると、驚いた一太が松島の方を向く。
やっぱり、悲しい方だった……。
松島は、泣き顔には気付かないふりで、ざっとシャワーを浴びた。
「湯船に入ろう」
一太をぐい、と立たせて、狭い湯船に引っ張りこむ。一太を抱えて座ると、ざば、とお湯が溢れた。
「あ、あああ。もったいない……」
一太が、少し震えた声で呟いたけれど、知らん顔で足の間に座らせた。一人でも狭い湯船だから、二人だとぎゅうぎゅうだ。
「はは。一度やってみたかった」
松島が笑うと、駄目だよ、こんなの、と一太が呟く。
「水も無料じゃないんだからね」
「うん。でもうち、水道代は毎月二千円」
「え? そうなの?」
「だから使いまくっていいって訳じゃないけどさ。今日だけ許して」
うう、と唸った一太が少し笑った。
「ちょっと楽しかった」
「悪いことって楽しいの、なんでだろね」
くすくす笑って狭い風呂でくっつき合う。一太は細すぎて、皮膚があちこちがさがさで抱き心地はよろしくない。松島もあまり肉付きの良い方ではないけれど、何にも鍛えていない体に、少しの肉は付いていた。一太がもたれかかってくれるから、そのままの姿勢でふ、と息を吐く。
「僕、友だちとお風呂入るの初めてなんだ」
「へえ」
「この傷がさ」
松島は、抱き締めていた一太の体を少し離して、胸を見せた。一太は、少しだけ目を見開いた。
「見えたら気持ち悪いかも、と思って」
「え? なんで? 格好いいよ」
「へ?」
「病気を治すために闘った証だろ。すごく格好いいけど」
「え? 本当に? 格好いい?」
「うん、すごく格好いい」
「ええー。そうかあ。そうなのかあ」
松島は、力が抜けて、湯船にくたりともたれかかった。一太の体をぐっと抱き寄せて、へへーと笑う。
「そうかあ。格好いいのかあ。そうなのかあ」
松島は、のぼせるからそろそろ離してー、と一太がギブアップするまで、その姿勢でによによと笑っていた。
いっちゃん、泣いてる……?
風呂へ入っていった一太はうつ向いていて、何だか様子がおかしかった。
声が、震えていた?
気に入ったらしいロフトから下りてきた一太は、部屋へ入れたときの緊張感が薄れていて、ほっとしていたのに。先ほどのやり取りで、何かおかしなことがあっただろうか。
分からない。
分からないけれど、放っておけない。
松島は、ぎゅっとティーシャツの胸の辺りを掴んだ。大きな手術痕が二本ある左の胸。手術が終わり、ようやく皆と一緒に体育ができるようになって喜んでいた頃。体操服に着替えるときに見えたその痕を、気持ち悪い、と言われた。
その時から、人前で決して裸にならなくなった。
水泳の授業は全部見学したし、修学旅行でも大浴場には行かず、部屋の小さい風呂に入った。どんな夏の暑い日にも、下に黒のランニングシャツを着ている。
家族は、勲章なのだから何にも気にすることはないと言ってくれるが、どうしても脱げなかった。
でも。
シャワーの音が止まると、やはり聞き間違えようのない嗚咽が響く。
風呂場に一人になったから、安心して泣けたのだろうか。いや、そんな泣き方には聞こえない。父が、不動産屋からお金を取り戻して来たときに涙を見せた一太は、こんな泣き方じゃ無かった。
何故? 心配事は、とりあえず消えたはずなのに。
松島は、服を脱いだ。
扉を開けると、驚いた一太が松島の方を向く。
やっぱり、悲しい方だった……。
松島は、泣き顔には気付かないふりで、ざっとシャワーを浴びた。
「湯船に入ろう」
一太をぐい、と立たせて、狭い湯船に引っ張りこむ。一太を抱えて座ると、ざば、とお湯が溢れた。
「あ、あああ。もったいない……」
一太が、少し震えた声で呟いたけれど、知らん顔で足の間に座らせた。一人でも狭い湯船だから、二人だとぎゅうぎゅうだ。
「はは。一度やってみたかった」
松島が笑うと、駄目だよ、こんなの、と一太が呟く。
「水も無料じゃないんだからね」
「うん。でもうち、水道代は毎月二千円」
「え? そうなの?」
「だから使いまくっていいって訳じゃないけどさ。今日だけ許して」
うう、と唸った一太が少し笑った。
「ちょっと楽しかった」
「悪いことって楽しいの、なんでだろね」
くすくす笑って狭い風呂でくっつき合う。一太は細すぎて、皮膚があちこちがさがさで抱き心地はよろしくない。松島もあまり肉付きの良い方ではないけれど、何にも鍛えていない体に、少しの肉は付いていた。一太がもたれかかってくれるから、そのままの姿勢でふ、と息を吐く。
「僕、友だちとお風呂入るの初めてなんだ」
「へえ」
「この傷がさ」
松島は、抱き締めていた一太の体を少し離して、胸を見せた。一太は、少しだけ目を見開いた。
「見えたら気持ち悪いかも、と思って」
「え? なんで? 格好いいよ」
「へ?」
「病気を治すために闘った証だろ。すごく格好いいけど」
「え? 本当に? 格好いい?」
「うん、すごく格好いい」
「ええー。そうかあ。そうなのかあ」
松島は、力が抜けて、湯船にくたりともたれかかった。一太の体をぐっと抱き寄せて、へへーと笑う。
「そうかあ。格好いいのかあ。そうなのかあ」
松島は、のぼせるからそろそろ離してー、と一太がギブアップするまで、その姿勢でによによと笑っていた。
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