【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ

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52 よそのうちで、初めておかえりを聞いた

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「おかえり!」

 初めてお邪魔して、そのまましばらくは暮らすことになる松島の部屋。たくさんの部屋がある大きな建物の、一階の角部屋だ。松島が鍵を開けて扉を開くと、明るい女性の声が聞こえた。
 おかえり?
 一太の覚えている限り、言われたことのない台詞に面食らう。それに、松島は一人暮らしと言っていなかったか?

「ただいま」

 けれど驚いた風もなく、大荷物を持った松島が答えて中に入っていく。玄関に荷物を下ろすと振り返って、タクシーの運転手が抱えてくれていた一太の布団を受け取った。

「ありがとうございました」
「いえいえ。それでは、これで失礼します」
「はい。また、ご縁がありましたら、よろしくお願いします」
「はい、では」

 自分の荷物ばかりだから一太も持ちたいのだが、松島が軽い荷物しか渡してくれない。
 結局今も、頭を下げてタクシーの運転手を見送ったら、一太の部屋から回収してきた布団を持って部屋へ入った松島を、玄関で見ているだけだ。

「いっちゃん、上がって。荷物は僕が運ぶから、そこに置いておいてよ。安静にしていないと、また病院に戻されるからね」
「う、うん。お邪魔します」

 一太は靴を脱いで、ごく軽い貴重品を入れたバッグだけ持って部屋に入った。     
 また、病院に戻される。
 その脅し文句が効いている。支払った時には、安くすんだと思った入院費だが、よく考えたら、アパートの二ヶ月分の家賃だった。三日と半日で!
 治療してもらって、今、とても調子が良いように思える体は、それだけ分のお金がかかっている、ということだ。しかも、これだけお金をかけて治した体は、医師によるとまだまだ本調子では無いらしい。また戻されたら、あっという間に、松島の父が受け取ってきてくれた三十万円が消えてしまう。
 頑張って安静にして、月曜日にはバイトに出る許可をもらわないといけない。

「こんにちは。あきらの母です。しんどくない? ベッドにでも座っていてね。寝ててもいいわよ」

 一太は部屋には入ったが、どこにどうしていたらいいか分からずに立ち尽くしていると、松島の母だという女性に話しかけられた。

「こ、こんにちは。村瀬一太と言います。あの、すみません、迷惑をかけて。なるべく早く、部屋は探すつもりなんですけど、その、少しだけ、お世話になります」

 頭を下げながら、しどろもどろに言った。定型の挨拶などはすらすらと言えるのだが、不意打ちで話しかけられると、返事のレパートリーが少ない。こう言われたらこう返す、という問答集みたいなものがあれば覚えるのにな、と一太は常々思っている。

「あら、少しだけなの?」
「いっちゃん、ずっと居ても全然構わないから」
「あ、ありがとう」

 居心地がよすぎて一人に戻れなくなったら困るから、そういうことを言うのはやめてほしい。
 そう思う気持ちと、嬉しい、ずっと一緒にいたい、という気持ちがいっぺんに沸いてきて、頭がぐちゃぐちゃになりそうだ。
 とりあえず、ベッドの上に座らされて、自分の少ない荷物が、部屋の隅に積まれていくのを見ていた。
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