【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ

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39 ◇それは当たり前のことだと思っていた

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「俺は、仕事して家事をして、自分のお金で何とか夜間高校に通ってるのに、何で親に金を出して貰ってる弟の高校の費用の足りない分まで出さないといけないのか」
「弟の……」
「ちゃんと勉強してないから公立の高校に入れないって。お金足りない分を俺が払えって」
「…………」
「俺は、学校に行きたかった。普通に。昼間に。中学を卒業したら皆がそうするように。なのに、俺が行けなかったのに、俺の仕事して稼いだ金で弟が行くって。俺は、成績良かったのに。近くのどこの高校でも受かるって言われてたのに」
「うん……。いっちゃん、頭良いもんね。いつも真剣に授業聞いてるもん」
「真剣に聞くのなんて当たり前だ。だってお金払ってるんだ。その時間寝てたりしたら、払ったお金が無駄になる。休んだりなんてもったいなくてできない。俺が頑張って働いたお金で、授業を買ってるんだ。教えてもらえるのは、幸せなことなんだから」
「うん……。うん」
「自分で学ぶのは、大変なんだ。本を読んだだけじゃ分からないことはたくさんある。先生がいて、分からないことを教えてもらえるのは嬉しい」

 きっと一太は、教えてもらえなくて苦労したことが色々とあるんだろうと松島は思った。そして、一つ一つの授業にお金がかかっていることに思いが至っていなかった自分が恥ずかしかった。
 親の金で、その授業を受けさせてもらっているというのに、うっかり授業中に居眠りしていたりぼんやりとしていた自分が、とても恥ずかしかった。

「それで、家を出たのか?」

 父の声に、話がずれたことを悟り口をつぐむ。

「それから、仕事場の工場で何日か寝泊まりして。社長にバレて……。怒られたけど、家を出たい、普通に学校に通ってみたいって言ったら、社長がここから離れた大学へ行ったらどうだって言ってくれて。それで、俺の名義の通帳を渡してくれた。毎月の給料を少しずつ、俺の家の人に気付かれないように別の口座に入れてくれてたって。無いと思ってたボーナスとか、最後には退職金も入れて、これで頑張れって。夜間高校の先生とも相談して、高校の卒業資格は取っていたし学校を選んで試験の受け方を聞いて、受検の書類を出してもらってそのまま逃げた。そういえば……その人たちにはお世話をしてもらったな……。先生にはここまで連れてきてもらったし」
 
 呟くような一太の言葉に、連れてきてもらえて良かったと安堵する。方向音痴だし電車やバスにも乗ったことないのだから、一太ひとりでは来られなかっただろう。いい先生がいたようで良かった。

「どうせ大学行くなら何か免許を取りたくて。子どものお世話をするのは好きだし得意だし、二年間で免許が取れるから幼稚園教諭と保育士の資格が取れる学校にした」
「ふむ……。よく頑張ったね。しかし、児童養護施設には戻れなかったのか?」
「何回か学校の先生が連絡してくれたし、家の人も俺を戻したがってたけど、施設も満員で、血の繋がった母親がいるならできるだけ家で見てくださいって。俺は、酷い怪我をしてるとか無かったから、緊急ではないって思われた。弟も、小さい頃は俺に懐いてて、様子を見る人が来たときとか俺にべったりくっついてたし。こんなに仲良しなのに離せないでしょうって」
「ああ、うん。そうだな……」

 父が言葉を濁すところをみるのは初めてかもしれない。つまり、よくある事例なのだろう。

「自分の生きる分なら何とかなると思ってたけど、大学はものすごく高かった。寮に入りたかったけど女子のしかなくて、住所無いと仕事できないし、何とか屋根のあるとこ見つけて」

 それが、あの壊れかけのアパート。せめて大学の寮に入れていたら……。でも、ほとんど女子学生しかいない大学の寮に、男子の入れる所は無いというのは理解できた。

「勉強と仕事だけで家事をそんなにしなくていいから楽になったはずなのに、普通に暮らすのが分からなくて疲れた」
「普通に……?」
「小学校の時も中学の時も、基本的に体操服着てたし、仕事しだしてからは作業着を着っぱなし。服を自分で選んで買うのが分からない。給食と、家族に作った残り物しか食べてないから、どんな食事をすればいいのか分からない。何にお金を使ってもいいのか、幾ら置いておけば足りるのか分からない。この後何かあって足りなくなるかもしれないと思うと、怖くて買えない」
「かなりの頻度でバイトをしていたと聞いているが」
「保険料とか年金とか色んな支払いがあって。税金は去年の稼ぎにかかるとかで、今年の収入が少なくても払わないといけなくて。電気もほとんど使ってないけど、スマホの充電だけはしないと学校と仕事の連絡が届かない。寒くなったら、暖かい服と毛布……。みんな、こんなに金がかかるのを本当に出してくれる人がいるの? 買い物しても大丈夫なの? なんで出してくれるの?」

 最後には一太は、本当に不思議そうに父に尋ねていて、松島はそのやつれた顔をただ見ているしかなかった。
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