死後の世界

秋川真了

文字の大きさ
上 下
1 / 1

死後の世界

しおりを挟む
アール氏は平凡な男であった。
顔も普通で背も一般的。決して頭が良いというわけではなかったが、悪くもなかった。幼少期からそれなりの人に囲まれ、それなりの会社に就職し、それなりの女性と結婚した。
そんなアール氏も若い時には勿論、葛藤があった。幼少期の「僕はなんでもできる」という万能感も薄れ、徐々に自分がこの地球の主人公ではないことに気づかされていた時期だった。「自分は平凡なのではないか」そんな悩みを彼は至極真剣に考えていた。一思いに悪事でも働いて見ようとも思ったがそんな時に決まって彼の良心がブレーキをかけた。この彼の良心もせめてアリも踏み抜けないような良心の塊だったならともかく、やはり凡人らしく中途半端なものだった。
そんな彼も今は自分の両親から受け継いだ実家でその最期を迎えようとしている。走馬灯だろう。自分の経験がまるで一本の映画のように高速で、だか確実に彼の目前で上映されていた。
「ご臨終です」
そう短く告げた医師の声を最後に彼の生命活動は終わった。
ああ自分は死んだのだな、とアール氏も思った。しかしどうだろう。自分にまだ意識はある。成る程死後の世界へ行けるのだろう。アール氏は家族と決別する悲しさから一転一気に楽しみになってきた。両親は元気にしているだろうか?同僚のあいつは?ご近所さんだったあの方はどうだろう?
そこでアール氏はふと思った。天国や地獄はあるだろうか。自分はどちらにいくのだろう。とくに良いことはしていないが悪いこともしていない。そんなことを考えていると、スウーと彼の体が浮き始めた。正確には彼の意識であるが、その感覚からまるで体ごと浮いていくような感じだった。体はどんどんと高くへ高くへ、看取りに来ていた親戚一同も徐々に遠くなってきた。その中で彼は3人いる孫の内一人をずっと見つめていた。その孫は3人の中でも取り分け平凡。まるで自分を見ているかのような気持ちにアール氏はなり、いつもその孫を可愛がってきた。その孫の横顔だけをアール氏はみえなくなっても見つめ続けていた。
上空が急に眩くなるのを感じてアール氏は上を向いた。するとどうだろう。雲の上から光が漏れ出している。雲に足をつけ、光を放っている方を見ると、自分よりも何倍も大きい人のような形容しがたい者が立っていた。
「アール氏ですね」
凛とした声が響く。悪魔などの類ではないはずなのにアール氏は尻込んでしまいそうだった。
「あなたは平凡ながらもよく自分の人生を全うしました」
自分の人生が平凡などもうわかりきっている。しかしこれは…とアール氏は考えた。
「私は天国へ行けるのでしょうか?」
神様からのお言葉も決して悪いものではなかった。つまりはそう言うことではないだろうか。しかし神からの返答は違った。
「いいえ。貴方に天国は無理のようです」
背筋が凍る。なんと言うことだろう。
「そんなに顔を強張らせないでください。貴方の頭の上を見ればわかります」
頭の上…そう言い恐る恐る上を見ると何やら数字が青で5と書かれていた。
「その数は善行を行えば増え悪行を行えば減ります。そしてゼロより大きければ青。小さければ赤です。しかしそれが青の一桁とは本当に貴方の行いは平凡そのものですよ。」
「では私はその…」
恐怖であまり喋れなかった。自分が生きてきた何倍もの長い時間の待遇が今決まるのだ。
「そうですねえ。一先ず貴方は哺乳類以外の生命体に生まれ変わって頂き善行を積んでいただきます。その間は数値の確認はいくらでもできますので悪しからず。」
「善行て何をすればよろしいのですか?」
「単純ですよ。その生命体の仕事を全うするだけ蝉なら鳴いて交尾して繁殖する。魚なら食べられないように泳ぎ繁殖していただきます。まあ詳しくは転生すればすぐに脳に本能として植え付けられていますので」
「はあ」
そう返事するしかなかった。理解こそできるが納得はできない。現世で聞いた死後の世界とは全く異なっているではないか。
「ただ一つ気をつけて下さい。もし本能などに背いて自由な行動をとった場合、減点がなされポイントが減っていきます。もし赤文字の百までいったら大変なことになりますからね。覚悟して下さい」
その警告を受けた直後彼は真っ逆さまに落ちていった。その間に人間であったはずの身体は形を変わっていき…
目が覚めると彼はアリとして生まれていた。自分のアリになった姿に最初こそ困惑したが、そこで作業を重ねていく内、彼は様々な人と出会った。人と表記するのはおかしいかもしれないが全員人間だったことがあるため間違いでもないだろう。よく仕事の合間に談笑をしたりして楽しく過ごせていた。やはり中が人間ということもあり、アリの性格もそれぞれだったが大きく二つに分けられた。一つ目は100ポイントを目指して作業するもの。二つ目はそのあまりの遠さに作業を諦め、点数が減りすぎない程度に作業をするもの。この二種類に分かれていた。そんな中でもアール氏はせっせと働いていた。彼はもう一度人間になり、今度もまた幸せな家庭を築きたいと思っていたからだ。そうしてだいぶたった頃アール氏が食べ物を巣に運んでいる最中であった。急に大きな影ができた。なんだろうと思っているすきに。ぐしゃり。その影の中にいたアリは全員踏み潰されたのだ。勿論アール氏もである。身体は潰され、足はもげ、もう意識は無くなりかけていた。しかし最期の力を振り絞ってアール氏は自分を潰した人間の顔を見た。その時、アール氏は絶望した。アール氏を踏んだのは他でもない。あの孫ではないだろうか。悲惨な叫びを心であげアール氏は苦楽を共にした仲間に別れを告げた。





アール氏の願い通り孫は平凡に生きている。幼少期の万能感も薄れ、悩みに葛藤し、一時は悪事をしようかとも考えた。しかしその時祖父譲りの中途半端な良心がブレーキをかける。
せめてその良心がアリをも踏み抜けないようなのであったのならば、祖父であったものは無残に死ななかったとも知らずに。彼は日々頭の上の数を増減させながら今日も平凡に生きている…
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

誓い

時和 シノブ
現代文学
登山に訪れ、一人はぐれてしまった少年の行方は…… (表紙写真はPhoto AC様よりお借りしています)

猫ふんづけたら

碧井永
現代文学
 動物アレルギーである、〝僕〟。  しかし、なぜか犬猫(ワンニャン)に好かれてしまう男。  そんな男のところへ三毛猫がやってくる。  しかも。  その猫は、オス。  オスは幸運のシンボルとされていることもあって、男は幸運の鍵のように猫を大切に扱うようになっていく。  でも毎日はからわず、散々で。  アルバイトしていた会社が倒産したり、  恋人の家族トラブルに巻き込まれたり、  恋人にフラれる寸前だったり。  目先の苦悩とさらに先の幸運を天秤にかけ、幸運のほうへと気持ちが傾いた男の、アレルギーと闘う命がけの日々がはじまる。

きみのオムレツはあいのあじ

有箱
現代文学
私たちにとって、オムレツは定番中の定番メニューだ。しかし特別なメニューでもある。 そんな我が家は片親家庭だ。 けれど、一人娘には寂しい思いをさせないよう、精一杯愛して育ててきた。 娘にとって十分であるかは、ちょっと不安だったりするけどね。 ……さてさて、今日も二人、ふわとろな幸せを頬張りましょう。

5分読書

鳥谷綾斗(とやあやと)
現代文学
ホラー以外の掌篇、短篇作品集です。 すべて5,000字以下、5分(※目安)の隙間読書にどうぞ。 コメディ、ヒューマンドラマなどです。 * 1. 戦争中の私と、戦争中だったおじいちゃん

『ペーパー・ムーン』のように

紫 李鳥
現代文学
脱サラの隆雄は、訪問販売に転職したものの、営業が下手で商品を売ることができなかった。

僕を待つ君、君を迎えにくる彼、そして僕と彼の話

石河 翠
現代文学
すぐに迷子になってしまうお嬢さん育ちの綾乃さん。 僕は彼女を迎えにいくと、必ず商店街のとある喫茶店に寄る羽目になる。そこでコーヒーを飲みながら、おしゃべりをするのが綾乃さんの至福の時間なのだ。コーヒーを飲み終わる頃になると、必ず「彼」が彼女を迎えに現れて……。 扉絵は、遥彼方さんのイラストをお借りしています。 この作品は、小説家になろう、エブリスタにも投稿しています。

就職面接の感ドコロ!?

フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。 学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。 その業務ストレスのせいだろうか。 ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。

保育士だっておしっこするもん!

こじらせた処女
BL
 男性保育士さんが漏らしている話。ただただ頭悪い小説です。 保育士の道に進み、とある保育園に勤めている尾北和樹は、新人で戸惑いながらも、やりがいを感じながら仕事をこなしていた。  しかし、男性保育士というものはまだまだ珍しく浸透していない。それでも和樹が通う園にはもう一人、男性保育士がいた。名前は多田木遼、2つ年上。  園児と一緒に用を足すな。ある日の朝礼で受けた注意は、尾北和樹に向けられたものだった。他の女性職員の前で言われて顔を真っ赤にする和樹に、気にしないように、と多田木はいうが、保護者からのクレームだ。信用問題に関わり、同性職員の多田木にも迷惑をかけてしまう、そう思い、その日から3階の隅にある職員トイレを使うようになった。  しかし、尾北は一日中トイレに行かなくても平気な多田木とは違い、3時間に一回行かないと限界を迎えてしまう体質。加えて激務だ。園児と一緒に済ませるから、今までなんとかやってこれたのだ。それからというものの、限界ギリギリで間に合う、なんて危ない状況が何度か見受けられた。    ある日の紅葉が色づく頃、事件は起こる。その日は何かとタイミングが掴めなくて、いつもよりさらに忙しかった。やっとトイレにいける、そう思ったところで、前を押さえた幼児に捕まってしまい…?

処理中です...