あの頃のぼくら〜ある日系アメリカ人の物語〜

white love it

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2.〜1962年〜

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 ジャックが時計を見ると、現在午後7時だった。
 ユタからオハイオまでは飛行機で行くわけだが、直通の便が出るのはあと2時間後だった。
 空港内のベンチに腰を掛けながら、ジャックは注意深く辺りを見回した。弁護士事務所内や地元ならともかく、不特定多数の人間が集まる空港にあっては日系人に偏見を持つ人間もそれなりにいるだろう。出自について卑屈になる気はないが、今は揉め事は起こしたくない。
 とりあえず心配はなさそうなことを確認すると、ジャックはコートの襟を立てて、目を閉じた。
 10月のユタはそこまで寒い訳ではないが、それでも今のジャックには空気がひんやりして感じる。
 
「クレア……」

 あらためてその名を口にして、どれほど長い間、その名前を口にしていなかったかをジャックは実感していた。
 決して忘れたことはなかったし、機会があれば弁護士特権で連絡先を探そうと思っていたくらいだ。
 だが結局は、忙しさと日々の雑事によって、心の片隅に追いやられていたということだろう。
 ジャックは自分を戒めるかのように、こめかみをグッと抑えた。 
 ふと気づくと、ジャックの隣に一人の白人女性が座っていた。
 年齢は60過ぎくらいだろうか? 白人にしては珍しくシミやシワの少ない綺麗な肌をしており、薄っすらとしたメイクが洗練された顔立ちに仕立てあげていた。品のいいスーツを着て、流行から少し遅れた帽子を被っている。視線は正面のカウンターに注がれており、ジャックの方に向けられることはなかった。
 だがジャックは、その女性の醸し出す張り詰めた空気を感じとっていた。その空気がジャックに向けられていることも。

「失礼だけど、あなたはどこの国の人?」

 彼女は視線を向けることなく、そう尋ねてきた。
 ジャック自身はれっきとしたアメリカ人だ。アリゾナ州で生まれた際の出生証明書もちゃんとある。
 だがこの場合、そういう答えは望まれていないのも、長いアメリカ暮らしでよく分かっている。

「……両親は日本の出身です」
「今度、東京でオリンピックをやるそうね? おめでとう。敗戦から20年も経ってないのに、大したものだわ」

 そう言いながらも、彼女の目は少しも笑ってなかった。

「私が何を待っているか分かる?」
「……飛行機? ……ですか?」
「そうよ。日本から、日本の硫黄島から飛んでくるはずの飛行機を待っているの」
「……」
「この17年、ずっと週末にはこの空港に来て待ってるの」
「……残念です」
「あら、何が? 息子が今夜の飛行機に乗っていないと、どうして言えるの?」

 無駄な争いはしたくない。
 ジャックは黙って立ち上がると、場所を移動しようとした。
 だが、彼女はジャックのコートの裾を掴んだ。
 ジャックは振り向かなかった。
 立ち止まったまま、じっと彼女の言葉を待った。

「日本人にも」

 そう小声で話す彼女の声に、先程までの凛とした響きはなかった。
 俯いているのか、小さく震える声はとても聞き取りにくいものだった。

「あなたのようなハンサムな男がいるのね? ハンサムで礼儀正しくて、流暢な英語を話し、高級スーツに身を包める男が」
「ありがとうございます。奥様」
「……息子にもそうなって欲しかったわ」

 ジャックは一礼すると、歩き去った。彼女はすでにコートの裾を離していた。
 ジャックは決して振り返らなかった。



 日系アメリカ人と日本人は違う国籍だ。だが多くのアメリカ人、特に白人達はそうは思わない。ドイツ系アメリカ人とドイツ人が違う国籍であることは分かっていても、日系アメリカ人と日本人の違いは理解しないのだ。
 日系アメリカ人部隊がノルマンディーにてどれほどの血を流し、どれほど連合国軍の勝利に貢献したかも知らないくせに。
 普段なら、こういう理不尽な差別発言には言いようのない怒りを覚えるところだった。
 だが空港の外に出て冷たい空気を頬に浴びながら、今のジャックの心は冷え切っていた。
 時間がくるまでそうしていたが、その時のジャックの願いはただ一つ。空港のベンチに先程の女性がいないことだった。
 もし今度彼女を見たら、平然と脇を通り抜ける自信はなかった。
 そして、その願いは叶えられた。
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